【422日目】『作業的公正』で大切なこと

こんばんは。

『障害という言葉がない世の中』

『障害という言葉がない世の中』みたいなことをたまに聞きます。

医療・福祉関係の人がよく言ってるイメージ。

否定したりはしませんが、僕はちょっと違和感。

なぜなら『障害』は必ず誰にでもあるものだと思っているから。

例えば、背の小さな子供にとっては大きな壁でも、身長の伸びた大人にとってはただの段差だったりします。

大小それぞれ形や対象が違くても、なにかしらの障害はあるわけです。

僕の場合、理想としてるのは『作業的公正』ってやつです。

「障害がないことが作業的公正なのかな?」ってちょっと考えたんですけど、たぶん違います。

障害という言葉についてと、作業的公正の文脈を考えてみた結果、挑戦できることが大事なんだと思いました。

大小それぞれ形や対象が違うだけ

障害があっても挑戦できること。

障害があっても、どんな人でも挑戦できること。

大人でも子供でも高齢者でも、どんな人でも挑戦できること。

逆に、挑戦することがなければ障害もないのでは?

いやいや、それは違う。

大小それぞれ形や対象が違くても、なにかしらの障害は必ずある。

常に。

絶対にそう。

言ってしまえば、重力だってそう、時間だってそう。

なんだってそう。

大小それぞれ形や対象が違うだけ。

だから、障害を無くすことにこだわるんじゃなくて、障害に対して挑戦できることに価値を置いておきたい。

だって、そうじゃないと最初っから詰んでます。

『challenged』

『障害者』って英語で色々な表現の仕方があるらしいんですけど、その一つに『challenged』というのがあるんですね。

「与えられた困難に挑戦する人」って感じのニュアンスで。

アニメ『新機動戦記ガンダムW』に登場する人物が、「強者などどこにもいない。人類すべてが弱者なんだ」って言ってました。

まさにそんな感じ。

生きてる人はみんなそう。

挑戦し続けられる状態のことを、作業的公正と認識しておこうと思います。

反対に挑戦することが許されない状態、挑戦することが認められない状態が作業的不公正。

想像に難しくなく、それはしんどい。



本日も最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

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それでは、また明日。

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