ステータス

人はステータスによって他者を評価したがる。学歴、年収、会社、住む場所。評価したいのではない。混沌とした、細分化されたこの社会は、基準を設けクラス化しないことには成り立たない。

誰であってもそう。「俺はステータスで人を評価しない。自分のステータスなんてどうでもいい」という人でさえ、自分より優れたステータスを前にしたら心が揺らがないわけがない。相手と比較しどこかで自分の醜さを感じてしまう。
生物は強いものが勝ち弱いものが負ける。人間世界でも強いステータスが勝ち弱いステータスが負ける。全く不自然なことはない。むしろすべての人に同じステータスが与えられたら俺たちはみなミジンコかよって。

結局のところ、いいステータスを持つ人が周りからちやほやされる。以上。それに抗おうとしたって意味がない。

ではどうするか。今の自分のステータスを虚偽でもいいから正当化すること。正当化というより意味を持たせること。
この会社・学歴であるのは、自分の芯にある○○を成し遂げたいという強い思いがあったから、ここでしかできないからそこに所属する、簡単にはねじ曲がらない強い芯をステータスは関係ない絶対的に比較することができない価値観を持つこと。
もし相手にマウントを取られたら質問攻めすればいい。その学校で何を学んだのか、会社ではどんな仕事をして社会的に意義あることを達成しているのか、そのブランドの好きなとこは、機能性にひかれたのか、ほかのブランドと比べて何がいいのか。
皮肉っぽくなりすぎると相手に不快感を与えるので以下にも興味がありそうに質問攻めする。相手も調子に乗ってぺらぺらとしゃべるけど決してこの人と話すのはつまらないとは思わないよ。


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