サンタクロース
クリスマスの夜、物音で目が覚めた。
父と母が、ゆっくりと私の枕元を歩く足音を感じた。その瞬間、寝たふりをした。
どうしよう、見ちゃった。でも、気づかないふりしなくちゃ。5歳の私はとっさに目を瞑った。
翌朝起きると、枕元に金色のリボンがかかった赤い包みがあった。中身は、絵本の「しろいうさぎとくろいうさぎ」と海外のチョコレートだった。隣に寝ていた兄も包みを開けていた。記憶は曖昧だけど、本とチョコレートだったと思う。お互いのプレゼントがほぼ同等なのを確認して、同じチョコレートを一緒に食べた。茶色い箱に入った、見たことのないようなチョコレート。甘くて、口の中でふわっと溶けていった。
昨晩目覚めた時のことは、言ってはいけないと思い、誰にも言わなかった。
サンタクロースがいるか、いないかは別として、私は両親から優しくされているんだなと感じていた。
これが私の子どもの頃のクリスマスの記憶だ。
そして、四半世紀。
私もプレゼントを贈る立場になった。
幼い我が子達に、足音を気づかれることのない優秀なサンタクロースだった。
その甲斐あってか、我が子達はいくつになってもサンタクロースからのプレゼントを楽しみにしていた。欲しいものを書いて、窓際に飾っている赤い靴下に入れていた。
息子のすばるは、仮面ライダーのおもちゃやレゴなど、比較的手に入れやすい物が多かった。変わったことと言えば、サンタクロースのためにケーキを食卓に出して寝ていた。もちろん、サンタクロースは、夜中にペロリといただきました。
そして、娘のぴーちゃん。こちらのリクエストはバリエーション豊かだった。ある年は、チンパンジーのぬいぐるみとダイヤモンド。なぜ、猿でもゴリラでもなくチンパンジーなのか?
そして、ある年は特定のポケモンカード。中身のわからないポケモンカードを特定されるのは辛い。一番、難易度が高かったのは、ドラえもんだった。しかも、クラスの友達にクリスマス明けにはドラえもんが来るからタケコプターを貸してあげる、と言いふらしていた。さすがにドラえもんを連れてくるのは難しいので、丁重にお断りする手紙を書いた。
ぴーちゃんへ
ぴーちゃんにとって大切な家族や友達がいるように、ボクにとって大切なのび太くんから離れる事はできないんだ。ごめんね。でも、ぴーちゃんの家族や友達を大切にしていれば、きっと、どんな秘密道具よりも頼りになるはずだよ。
覚えている限り、こんな内容だったと思う。
サンタクロースも知恵を絞りました。
それから数年が経つと、すばるは「信じている人には来るんだ」と言ってはいるものの、複雑な様子。
ぴーちゃんは「〇〇ちゃんは、サンタクロースからのプレゼントは親が買っているって言われたんだって。そんなことないよねー。もし、もしも、そうだとしてもそんな言葉は絶対に聞きたくないっ。夢が無いっ。」と真っ赤になって訴えていた。
ということで、我が家のサンタクロースはその後も役割を果たし続けました。
さすがに、大学生になった今は、何も無いです。
と言いたいところですが、なんと、今でも毎年お菓子、20歳を超えてからは缶ビールと好物のおつまみなど置いてしまってる。すばるには毎年、ニヤニヤしながら、「いつまでやるの?」と言われている。本当に子離れできないサンタクロースだ。
実は、夢が無いと怒っていたぴーちゃんが小6くらいの時、こんな事があった。サンタクロースが来るはずのない私の枕元に、かわいい刺繍を入れたタオルハンカチが置かれていたのだ。どうやら小さいサンタクロースが来てくれたのだ。あれっきり、現れないけど、そのタオルハンカチは今でも大切に保管している。
今年も、世界中でそれぞれのサンタクロースが現れますように。
この人の形をしたパンは、フランス アルザス地方に伝わる「マナラ」というブリオッシュ生地のパン。サンタクロースの起源となった人物、聖ニコラウスをお祝いする日(12月6日)に食べるそうです。
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