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わたしは分断を許さない

私は、三年前に亡くなった兄の車を運転している。いつものように車に乗って、音楽に変えると、忌野清志郎さんのお声が流れてきた。

兄は昔、記事にある「カバーズ」というアルバムを聞いていた。読んでもらうとわかるように、かなりの「問題作」だったようである。

幼心にも覚えていた。今思うとよく聞いていたなと感じる。兄はすごい。

40を過ぎても大事にしていたようで、車の中にあるHDにも入っていた。まず最初に取り込んだCDがこの一枚だった。


とっても印象に残る瞬間に私はこのアルバムを聞いた。

それは、「わたしは分断を許さない」の試写会の帰り道のことだった。

前作である「変身ーMetamorphosis」のテーマは忘却、そこから分断が起こるだろうという監督堀潤のテーマだ。

冒頭は香港のデモの現場。一気に心を持っていかれる。「伝えたい」と思うことを最前線に行って自ら撮る。元々報道の現場にいたからこそ撮ることができた映像だと感じる。よく撮ってきたなと思う。ジャーナリスト堀潤の凄いなと思うところ。

原発事故から生業を奪われた方の訴訟では、「人間らしい」一面を見ることができた。個人的にはもう少し見たかったかなと思うところ。

また、メディア人ならではのシーンがある。よくここまで出してくれた、出したなと思った。私は、伝え手としての戒めだろうと想像した。

パレスチナのガザやザアタリキャンプ、カンボジア、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)など、それぞれの現場での「小さな主語」が語る物語がそこにはある。

入管難民法改正案が取り下げられたというニュースがあったが、わたしは分断を許さないの中でも会見の様子が取り上げられている。注意をして見てほしいと思うシーンだ。

さらに、ジャーナリスト安田純平さんが取材されたシーン、そしてインタビューで語っていたことは私の心臓を貫いていた。

大きな主語というのはそのものを語っているようであやふやだということがある。だから自分で見て、事実を伝え、その上で意見を言ってほしいと私も思う。

ダイアログ(対話)することを私たちは諦めてはいけない。


この映画は撮影はもちろんのこと、編集、ナレーションに至っても監督である堀潤さんが携わっている。元々アナウンサーだったのでナレーションはお手の物だと感じる。

試写の後、ウーマンラッシュアワーの村本大輔さんとのトークセッションがあった。とても印象的だった。

「僕の漫才のネタは怒りからできてる。堀さんはどうして取材に行くの?」

「悩んでるんですよ。正解がないからこそ。」

どんなことも、絶対にこれがいい、という正解というものはない。だが人は拠り所みたいなものは求めている。なので事実を知る、ということがとても大事だということ。

村本さんは芸人ではあるが、なんていうことをいうと失礼にあたるかもしれない。いろんなことに興味を持って漫才を作っている。世の中に一石を投じるところがいいところだなと感じている。


試写会で一緒に見ていた友人の1人は涙していた。私はというと、しっかりと見届けたい、あわよくばいいところを盗んでやりたいという気持ちで見ていたので自分の感情を忘れていたところがある。

今の日本、この映画をもし清志郎さんが見たらどんな感想を抱くだろうか。そんなことを考えながら味わい深くドライブした。コロナの世界や入管難民法のニュースなど、知ったらどう思うだろうか。

兄は高崎にあるミニシアターなどにもよく足を運んでいた。そんな兄にもおすすめしたい映画だった。どんな感想が聞けただろう。もっともっと話をしたかった。話を聞きたかった。兄を知りたかった。


香港に続いてミャンマーでも大変なことになっている。訪れてくださっているあなたはご存知だろうか。


今回、緊急にミャンマーで起こっていることを付け足して再編集したものが再上映された。

私も先日、オンライン上映でやっと見ることができた。コロナ禍でもこうした事ができることは可能性をも感じる。

ミャンマー市民の方が命がけで撮ったものだった。

実は、今回最後まできちんと見ることができなかった。あまりにもひどい光景だった。思わず目を背けてしまった。なので映画として万人におすすめしたい、というものでもない。

事実を知るということは大事なことである一方で、怖いことでもある。もしかしたら知らなくてもよかったことなのかもしれない。

事実は時として自分を苦しめることがある。

私は家族を続けて亡くしたという経験がある。その、1人ひとりを蔑ろにはできないと思うようになった。だからこそ小さな主語を大事にしたい。そう強く思うようになった。

ダイアログが大事で必要なことということもわかっている事ではあるが、未だに自分から話すことができない。そして意見や思っている事も言えずもどかしい気持ちになる時さえある。

そんな時は、どんなタイミングでどんなことを言ったら伝えられたのだろうと自問自答が始まる。

こうして、私の自問自答は一生続くのだ。






何かいいものを食べます。生きます。