名前

最近気付いたことがある。

「名前」について。

このページにたどり着いたあなたは自分のことをいう時にどう表現しているだろうか?

日常会話、こういったブログ、とかとか。

父と会話をするとき、私を呼ぶときは名前で呼んでいる。

これは、信友直子さん監督のドキュメンタリー映画、「ぼけますから、よろしくお願いします」を見ていて感じたことでもある。

この映画は、介護を通した家族の物語で、私も号泣に次ぐ号泣だった作品。

娘である信友監督は、この中でご自身のことを「直子は」と呼んでいる。

私は、自分のことを名前で呼ぶ自分が好きだったりする。

その時の自分が一番「らしさ」が出るような気もする。

人からどう呼ばれるのが嬉しいのか。

慣れた人だとあだ名で呼ぶ人が多いかなと。私の場合。「ぷにちゃん」

「ぷにまるさん」「ぷにさん」だったり。「まるちゃん」この呼び方は変化球でびっくりしたけどそれもまた嬉しいこと。

「ぷにまる」から呼んでもらえることも嬉しいこと。

元々の「野村良江」という名前から呼んでもらえるのも嬉しい。

しかしながら、苗字で呼ばれると、少し堅苦しさを感じてしまった。

一つ、「壁」みたいなものがあるようにも思える。

あだ名で呼ぶ人がいる一方で、「よしえさん」と呼んでくださる方も。

ある同級生なんかは「良江!」と呼びつけで呼ぶこともある。それもまた彼女の愛嬌だったりもして私は好きだ。彼女は、誰に対しても名前で呼ぶところがあるので、すごくいいところだなぁと、私は発見した。

「名前で呼ぶ」ということは、もう一歩、関係性を縮めるものだなぁと感じた。

名前、それは親がつけてくれたもの。生まれて初めての「らしさ」なのかもしれない。

私のことをぷにさん、と呼んでいた元旦那。

次にもし旦那さんができるとするならば、名前で呼んでほしいと思う。







何かいいものを食べます。生きます。