雑記-昔の事が思い出せない、情報過多?

4月20日、午後11時40分 書き始める。
 ここのところ父の病気と私の精神の弱さが中心の文章が続いてしまった。当初はそのようにするつもりではなく、私の病気の現状を可能な限り伝わりやすく発信していくつもりだったが、それが出来る精神状態ではなくなってしまった。今も精神的には参っており、死んでしまいたいのが本音。同時に両親を残して死ぬなど言語道断と言う気持ちもある。

そんな話題ばかりが続いたが、今さっき自分の病歴を振り返っていて、ここ数年でかなりの部分を忘れている事に気づいた。何故忘れていると気づいたかと言うと、2017年に書いた病歴を見返していたからだ。これは通院している病院の先生に渡すため作成したもの。

思い返せば、年月も経っているし、コロナ禍だのウクライナ侵攻だの国内では安倍晋三元首相の殺害や近隣国との軍事的緊張まであるし、更に対照的に私生活は病気で寝ている事が多く変化に乏しい事が考えられる。

それと、思い当たるのが、ほかに二つ。
PS4を買ったころだったか、一時的にyoutubeにアップロードしていたゲームの動画が少し当たって、僅かばかりゲーム代が生まれた時期があった。ゲームが元々好きだったため、ゲームを遊ぶとゲームが買える仕組みは中毒性が高く、結構遊んだので情報過多になりすぎたように思う。
これは病気である事を除けば幸せな時期だったのかもしれない。個人的に大好きな声優の本多知恵子さんが亡くなったショックからまだ立ち直ってなかった時期なのであまり幸せな記憶が無いけれど。あの時は本当にショックだった。

 そして、もうひとつは2019年からは幸運にも障害年金が受給できるようになり(慢性疲労症候群での需給は珍しいと頼んだ社労士の方が言っていた)、本を読める余裕が出た事。本を読むようになり古典を色々読んでから余計に自分が希薄になってしまったように思われる。賢くなったつもりや、充実感を与えてくれたけど、情報過多になって昔の事が思い出せなくなった事に関係しているように思う。良い面も多くあったけど、そんな負の側面もありそうだ。
 話は少しそれるけれど、障害年金と言うと誤解が色々と多いらしく、診てくれている先生ですら医療費の補助が出るものと思っていた。実際は障碍者手帳は持っていないので交通費も自己負担だ。確かに生活は受給額分のみ楽になり大変に助かっているけれど、元が貧乏な身分では悠々自適とはあまりに遠く、未だに経済的には苦しい。月収ゼロ円が6万円になったくらいのイメージ。本は可能な限り節約して手に入れたもの。ただ、長年貧乏を続けてきている身分としては、これでもネットなどで反感を買う理由はわかる。ただ、本当に健康になれるものならなりたい。健康な人生を歩みたかったという事だけは理解してほしい。

話を戻して、このゲームと読書は幸福でもあったが、病気の事を忘れさせるいわば麻薬のようでもあったので、依存していたと思う。それまでは音楽制作や鑑賞が主たる趣味だったが、そちらもやる気を失い、何だか軽薄な人間になって気がする。
20代の頃、父の友人のクリエーターが「器用貧乏にならないように気を付けてね」と言っていたが、その意味がやっと分かったかもしれない。

もっとも、振り返ると必ずしも悪い事ばかりではなく、病気でさえなければそれなりに幸福な部分もあった人生だったのかもしれない。
そんな事を思っていたら日付が変わっていた。
これから長い夜を不安と恐怖にかられながら過ごすのだと思うと気が滅入る。

4月21日 12時19分、見ていたカンブリア宮殿がじっくり聞いタロウに代わっていた事に気づきながら書き終える。

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