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生きた椅子

東京メトロにて。空いた席に腰を下ろした。
目の前の座席の端から親子が2人座り、1つ空けて女性が座っていた。僕はちょうど空いている席の目の前にいた。よく見てみると、目の前の空いている席が静かに浮き沈みを繰り返している。その現象を確かめようと両脇の2組に目を凝らしたが2組が座り方を変えたなどの影響で浮き沈みしている様子はなかった。

その椅子は生きていた。スタートラインに立ったアスリートの肺のように静かに浮き沈みをしていた。その椅子は僕に訴えていたのかもしれない。

「君たちは、この電車に乗ることで人生を過ごしてきた。色んな人を見てきたよ。30年もこの電車内で見かける常連もいる。社会人としていつも満員電車に揺られているおじさん。彼は温かい家庭のために生気を絞って働いている。中学生の初めての電車旅。緊張と楽しみをハーフずつで割ったような思春期のカクテルを眺めたこともある。電車内で助け合う人、告白が失敗して絶望の淵の人、明日が結婚式の人、愛しい人を最近亡くした人。

様々な感情をこの低い位置から眺めてきた。しかし、僕はここでいつも見つめるだけ。感情のままに行動を取り、社会を構成し、時折脳に快楽物質が流れる人間がどれだけ羨ましいことか。僕はこの場所を動くこともできず、『誰かの』世界をいつも覗いている。いつか、いつか。そちら側で生きることを待ち望んでいるんだ。そこの人間よ、精一杯やれよ。」
早口で語った椅子は足りなかった酸素を補うようにもう1つ深呼吸をした。

おまえが羨ましがる人生歩んでいくから待っててよ。また会いに来るよ。
僕はその車両番号と何番ドアかをメモった。

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