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ヤンキーと相まみえる。

僕は、中学受験をして中高私立で過ごし、浪人を経て慶應へ行き、ヤンキーとは無縁な生活を送ってきた。この世にはいろんな人がいる。社会を俯瞰して見てみると大学に行く人、私立に行く人なんてほんのわずかの%になるということを最近強く感じている。高校を出て社長をしている六本木のおじ様方もいっぱいいるし。早くに結婚してひ孫が見れるのが当たり前というクールに命をつないでいる田舎の世界もある。そんな僕とは別世界のヤンキーと可愛い僕が相まみえることがあった。
 
僕は小学校の時、誰にも暴力は振るわない優しい男だった。幼少期に「金色のガッシュベル」を読んだ僕はこの世において最も優先されることは「優しい」ことだった。極真の空手を習い、大会を3連覇し、黒帯を締め、木製バットを足でへし折れる姿は小学校の誰も知らないことだった。ただ小学3年生の頃に、仲良くしていた友達がチャラめのグループに目を付けられる事件があった。
ある日の終わりの会が始まろうとしていた時、その友達は悪いリーダーみたいなやつにトイレに呼ばれて暴力を振るわされそうになっていた。友人がいないと気づいた僕はトイレに駆けつけてみるとリーダーは友人を壁に押し付けて今にも殴ろうとしていた。僕が
 
「なんしょん?」
 
と腑抜けたセリフを放つとリーダーは自分と壁との間にいる友人をバツが悪そうに開放した。僕はトイレで用を足しに来ただけの人を装いトイレを済まし、スリッパを脱ぎ終えて目線を上にあげると、リーダー格の奴が右手を振りかぶっていた。
 
「殴られるな、、、」
 
その予想通り、リーダーは僕の頬を殴りつけてきた。急なことにビックリしながらも、「殴られたら殴っても良い」という親の掟の発動条件が満たされたことで僕は右拳をリーダーにお見舞いした。するとよろけたリーダーが本日2発目の顔面パンチを繰り出してきた。「おっと2発目。ありがとうハンムラビ王」と思いながら次はサウスポーでリーダーを殴った。リーダーが半泣きでゆっくりうずくまる様子を見て、僕はその場を後にした。こんなドラマみたいなシーンが本当にあったのかと思われるかもしれないが、僕の脳裏にこの光景は油をひかなかった炒め料理のようにちゃんとこびりついている。僕は初めての喧嘩で気が動転していることを悟られないように静かに教室に戻ろうとすると、その一部始終を眺めていた悪グループの下っ端みたいなやつが「高田が〇〇を倒した!」と耳で読む号外を配り歩いた。僕的にはそんなに大きなことを成し遂げたつもりではなかったが気分は悪くなかった。その日の帰り道で知らん上級生から「あいつ倒したってな。」「お前、強いんやなぁ」と声をかけられたが、それはそこまで気持ち良いものじゃなかった。自分が悪者になった気がしてしまった。悪グループから遊びに誘われたこともあったが、僕は少人数で笹の葉を用水路でレースさせる遊びをするくらいのグループだったので遠慮していた。気づけば「優しいけど、実は強い奴」の称号をほしいままにしていた。そのせいで、小学校6年生になって変な闘争に巻き込まれそうになるのはまた、別のお話。

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