見出し画像

Sex, Drugs, Rock'n'Roll

調べ物で、キリスト教の本を読んでいる。

私はキリスト教徒ではなく、この本を読んでいてもまったく同意できない部分もあったのだけど、ぐっとくるところもあった。以下引用、長いです。

……恋をしている状態に依存しすぎているとは言えないでしょうか。ある種のロマンチックな恋愛関係、それがたとえ間違ったものであっても、それがないと人生に意味を感じられないのです。
……(サリーは)自分を愛してくれる男性がいないと、自信が持てないようになりました。ひとりぼっちでいることなど、耐えられませんでした。その結果、彼女は暴力をふるうような相手でさえも、恋愛関係を持ち続けることのほうを選びました。
なぜそのような状況を耐えたのでしょうか。彼女が、男性に求めたもの、それは神しか与えることのできない愛と受容でした。
……ある一つの良い事柄が、適切な境界線を越えるとそれは偽りの神に変貌したと言えます。……恋愛が偶像になると、恋人に使われるか虐待されるか、病的な関係に盲目になります。偶像礼拝的な執着心は、とにかくその偶像にしがみついていられるためには、どんな約束も平気で破ったり、自らの分別のなさを正当化したり、仲間を裏切ったりさえできるのです。……偶像礼拝とはつまり、奴隷になることなのです。
……現代はそれよりも愛という感情そのものが、神に成りかわることができるようになりました。愛に溺れ、のまれ、すべての幸せの源をそこに見出そうとするようになっているのです。
……私たちは、かつて神への信仰から得ていた超越性や人生の意義を、セックスや恋愛に求めるのです。
……現代社会のポップミュージックやアートは、そうし続けるようにとメッセージを発信し続けます。……もし、たった一人の、本当に心から愛せる人を見つけるなら、自分のすべてが解決するという幻想を抱き続けているのです。
……ロマンチックな恋愛関係がドラッグのように現実逃避として人生に現れるケースは多々あります。虐待的な関係にとらわれていたサリーはかつて私にこう言ったことがあります。「男の人は私にとってお酒みたいなものなの。誰かの腕に抱かれているときだけ、現実に対して私は私でいいんだ、って思えるから」
……サリーが、どのように我に返り人生を取り戻したかを話してくれました。彼女が相談したカウンセラーは、彼女が自分のアイデンティティーの土台を人に求めていたこと、他人に自分を「救って」もらおうとしていたことを指摘しました。そして、自分のセルフエスティームを高めるために職を得て経済的に自立することを勧めました。彼女は経済的に自立することこそ今の自分に必要だと心から同意したものの、セルフエスティームについての助言は受け入れませんでした。「私がアドバイスされたのは、結局、女性にとっての典型的な偶像を捨て、男性にとっての典型的な偶像を持ちなさい、ということだったんです」……「でも、今まで異性に愛されることに頼ってきた自分の存在価値を、今度は仕事やキャリアアップに頼るなんてもっとしたくなかった。私は自由になりたかったんです」……誰か異性に言い寄られたとき、彼女は心の中で彼に向かってこう言います。「あなたって、お付き合いしてみたらすばらしい男性かもしれない。……でもあなたは、どんなことがあっても『私のいのち』にはなれない。キリストだけが私のいのちだから」

最後の「キリストが私のいのち」というのが、キリスト教の説教だからそうなるんだけど、そこは必ずしもキリストでなくともよい。宗教というのは迷える人をわかりやすく導くために神を提示しているけれども、究極的にはそれは「神」ではなくて「自分」なのだと思う。3次元的な肉体を持つ自分ではなくて、万物を包摂するワンネスとしての自分。

この部分を昨夜ベッドで読んでから眠りについたら、過去の恋愛について示唆的な夢をみた。読んだことを、自分の経験に当てはめて落としこむ感じ。わかりみが深すぎてぐったり疲れた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?