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くすぶり続ければ火は点くから~「おれら」近畿代表として~

OZZY-ZOWプロジェクトさんが、「おれら」の概念について語られています。

ここでいう、「おれら」とは、ものすごく単純にいえば、「非リア充/陰キャ/コミュ障/いじめられっ子/もやしっ子/ダメ人間」のいずれかに属する人たちが中心だと、個人的には判断しています。

上のテキスト内でOZZYさんご自身が「おれらチェックリスト」(なんだそれ)を作ってくださっているので、引用させていただいて、答えていきますね。

・学校では目立たない→◎
・なんなら不登校→○
・帰宅部。あるいは文化系の部活。→◎
・勉強はできる方ではない場合が多い→〇
・さりとてスポーツも微妙→◎
・とはいえヤンキー文化には馴染めない→◎
・そういったものを補強するために、文学やサブカルに走る→◎
・劣等感と自意識を拗らせている→◎
・厭世的でありながら、変にお人よし→◎
・人といると疲れる。一人が好き→◎
・でも寂しい→◎
・でも人と接するのが苦手。どうしたらいいかわからない。→◎
・キラキラした世界が苦手→〇
・青春に良い思い出がない→◎
・成人式には出なかった→◎
・リア充は爆発すればいいと思っている→〇

さっすがぷらーな氏!かなりの高得点!快挙!(なのか?)

いやあ、このチェックリストを最初に見たときは、昔の俺の悪口を言っているのかと思いましたね(被害妄想)。そのくらいドンピシャなのですよ。

自分は小学校のクラス制度というものに全く馴染めなくて、ヒエラルキーの階層がどうのこうの以前に、まず同じ室内に40人くらいいる中で仲の良い友達を作りましょうというのが、何をどうすればできるのかさっぱりわかりませんでした。

友達が作れなかったとか、友達がいなかったというわけではありません。近所の子供たちとは普通にミニ四駆やポケモンなどで遊んでいたし、人見知りぎみではあったけど、しばらく遊べば基本的に誰とも仲良くなれたし、特に暗い性格なわけでもなく、 いつもゲームボーイとレーサーズボックスを持ち歩く、当時の日本中にいくらでもいた普通の少年でした。家の周りでは。

これが、学校だとなぜか、同じようにできませんでした。というか、10歳ぐらいの子供が一気に40人ぐらい喋って騒いでいる中で他人に話しかけて友達になりましょう、というの、難易度が高すぎません?……5人ぐらいで鳥貴族2時間コースに行った方が確実に友達を作れると思うんだが。あ、それ未成年じゃ難しいか。

そんなわけなので、近所に住んでいる友達はいても上級生や下級生だったりしてクラスにはおらず、家の周りでは普通なのに学内ではぼっちという特殊な小学校時代を過ごしていました。だからたまに近所で仲の良い子たち(学年は違うけど学校は同じだったりしたので)とすれ違うと、なんだか気まずかったりしましたね。

ぼっちなので、休憩時間にサッカーに参加したりなどもちろんしませんでした(当時はまだJリーグ人気が残っていたので、みんな野球よりサッカーをしていた)。何をするかといえば、校内の散歩。

あまり行ったことがない視聴覚室や理科室のある校舎とか、図工の写生の時間くらいしか行ったことのない中庭。そして、屋上へと続く階段。

屋上には厳重な鍵がかけられていて、教諭の許可なくしては立ち入り禁止でした。立ち入り禁止の理由は、子供だった自分でもわかりきっていました。

校舎は3階建てだったので、屋上は実質的に4階。いま思えば大した高さではないのですが、当時の自分にはとてつもなく高く見えました。屋上の手前の窓から見下ろすだけで、背筋が震え上がりました。そこから飛び降りるほどの感覚って、どんな気分なのだろう。

そういうことを考えて、答えが出ないままにチャイムが鳴り、まあどうでもいいか、と思いつつ、学校ではぼっち、家では元気、という日々を繰り返しました。

家では普通のテレビ大好きっ子で、さらに流行の最先端をチェックしておきたい、どこにでもいるミーハーなクソガキだった自分は、あの、ドラマが大ブームになって話題になっていた『金田一少年の事件簿』がアニメ化されると聞いて、月曜日の午後7時に全裸待機(風呂あがり)していました。

それ以前に原作を少し読んでいたので、アニメ版を視て特に驚いたことはありませんでした。正直、思っていたよりもちょっとつまんないかな、ぐらいに思っていました。しばらくしてCMに移り変わったのでトイレに行こうとしたら、画面の向こうで、上半身裸の男性が出てきて歌い出しました。

そう 微かにドアが開いた
僕はそこから抜け出すだろう
この狭い地下室では何か 狂っている 狂っている

黒夢の『少年』のシングルのCM。上半身裸の男性は、ボーカルの清春さんなのですが、当時は何もわからず、ただただ、きもちわるい!という感想でした。

アニメの『金田一少年~』は、多少グロいお話もいくつかあったのですが、それよりもずっときもちわるい、なんやねんこの変なクネクネしたボーカル(ご本人に言ったらボコられそうだな……)、というのが、第一印象でした。

とはいえ、毎週のように『金田一少年~』を視聴していたので、毎週のように『少年』のCMも目にするわけで、自然に覚えていきました。

そしてしばらく経って、当時の人気音楽番組『歌の大辞テン』で、ちゃんとした歌詞を初めて見ました。清春さんの歌い方は独特なので、CMだけだと歌詞を聞き取れなかったのです。

わずかな戸惑い消すように 少年は歌ってる
誰の真似より誰の言葉より 疑う事 疑う事

意味はよくわからなかったけど、「誰の真似より誰の言葉より」という部分が妙に心に残りました。

学校というのは、他人に合わせることが重視されます。今はもう少し多様性に寛容かもしれませんが、少なくとも自分の世代ではそうでした。

明るくて元気な子が良しとされていて、少人数と仲良くするよりもみんなで一斉に遊ぶことを薦める。それが一概に悪いとは言いませんが、やはり向き不向きというものはあるのだと、むしろ当時よりも広い場所を知っている今の方が、強く思います。あの頃に疑っていたことが正解かどうかはわからないけど、間違いでもないと思う。

歌詞の全文を読んだのはだいぶ後になってからで、もう中学生になってプチ不登校をこじらせていた頃に、なぜかいきなり思い出して、この曲が入っているアルバム『CORKSCREW』をTSUTAYAで借りたのです。歌詞の最後まで、少年はくすぶったまま。

発売されたのはこちらの方が少し前なのですが、『Like A Angel』という曲が実質的に『少年』の続編のような内容で、ついに引きこもっていた部屋の窓を削る、というようなストーリーで、この曲も大好きですが、「おれら」に属していたからこそわかる『少年』のくすぶり方が、自分で書いていてキモイとは思うけど、なんだか愛しいのです。

noteの公式イベントでも、いじめられている子供たちへのメッセージを送ろうというようなものがあったし、今は「社会人1年目の私へ」というタグがありますね。

自分が他人様に伝えられることなんてどれだけあるかわかりませんが、「おれら」選手権を行えば近畿地区トップ500には入れそう(弱気)な自分から言わせていただくと、できないことはできなくてもなんとかなる、くすぶり続けていてもなんとかなる、なので安心して「おれら」でいて良いです。

子供の頃の友達より、いま呑み屋でたまに会って喋る人の数の方が遥かに多いしな。

サウナはたのしい。