見出し画像

1999年7の月とはなんだったのか

ノストラダムスの大予言、というものが、かつて存在しました。

フランスのノストラダムスさんという医者が16世紀に著した『予言集』という本を、20世紀に入ってから五島勉さんという作家が訳したことが始まりなのだそうです。

1973年に翻訳版が発売されるや、またたく間に大ベストセラーとなり、その作中での「1999年に恐怖の大王がやってきて人類は滅亡する」という内容は、人々に大きな衝撃を与えた……。

かどうかは、当時は生まれていないので定かではありませんが、自分の幼少時の’90年代前半にはよくテレビで特集されていたように思うし、『ドラえもん』にもいくつかこの予言を扱ったエピソードがあります。

最も深く関連しているのは『大予言 地球が滅びる日』という話。アレを押し入れでひとりでこっそりやっているドラえもんがいちばん怖いわ。

ちなみに2017年にアニメ放送されているようですが、ノストラダムスには言及されたのだろうか。

さて、現在は2021年。

例のアレのせいで不穏な社会になってはいますが、人類は滅亡していません。つまり予言は外れました。五島さんという方は昨年に亡くなられたそうなのですが、後年にはこの訳にはフィクションも含まれていると告白されていたとのこと。

この予言について、当時のぷらーな氏はどう思っていたのかというと。

めっちゃくちゃ信じていました。心から本気で信じていました。自分で言いますがピュアボーイだったのです。

1999年の夏に人類はいなくなる。マジ怖い。怖いけどちょっと興味はある。滅亡した世界、見たい。怖いけど見たい。滅亡した世界ってなんかかっこよさげで憧れる。

そう、男の子は滅亡が好きなものなのです。

これは少年マンガの歴代ヒット作を見ていっても明らかなことで、『北斗の拳』も『進撃の巨人』も『Dr.STONE』も滅亡した世界が舞台です。

そんなドキドキとワクワクを胸に秘めている思春期の自分のことなどまるで露知らず、世の中は呑気に日常を送っていました。

この期に及んで地域振興券なんぞ配っておる場合かと、勝手に大人たちに憤っていました。とはいえ自分も、来たる滅亡になんの対処もしていなかったんですけどね。

ケンシロウのように拳が強いわけでもなく、エレンのような度胸があるわけでもなく、千空のように頭脳明晰なわけでもないので、仮に本当に滅亡した世界に立たされたなら、ただただ無力に泣き喚いていたことでしょう。

現実世界にはユリアもミカサも杠もいないし、いたとしても全員に愛想を尽かされていそうな気がします。

1999年も半分が過ぎ、梅雨を迎える時期になって、ようやく自分は異変に気づきます。大人たちはともかく、同じく幼少時にノストラダムス教を叩き込まれているはずの同級生すら、滅亡について全く語らない。男子も女子も語らない。

そのしばらく後、とてもショッキングな事実に気づきました。

あの予言をずっとまともに信じていたのは自分だけなのだと。早い子は小学生に上がったあたりで信じるのをやめていたのだと。

勝手に脳内で描いていた滅亡は崩れ去り(滅亡の概念がよくわからなくなってくる日本語)、しとしとと降りしきる雨の中、校舎の裏にある海に向かってバカヤローと叫びました。うん嘘です。校舎の裏に海なんてなかったし関西人はバカヤローとか言わん。


Twitterでは陰謀論がどうこうというのをたまに目にすることがありますが、アレを信じる人の感覚というのもなんとなくわかるようなわからないような気がするのは、このトラウマがあるからなのかもしれません。

そして、それらの陰謀論に全く興味が持てないのもまた、ノストラダムスさんと五島さんのせいですね。


7の月を少し過ぎた頃、TSUTAYAで借りたLUNA SEAのアルバムに『1999』という曲が入っていました。

2分半くらいの短くて速くて激しい曲ですが、演奏の後ろで英語が飛び交っていました。まだ予言の余韻に浸っていたい(時空の歪んだ日本語)自分は、歌詞カードに載せられていた英語の全文を当時がんばって訳したなあ。

おかげで英語の成績は上がりました。なのでそこだけは感謝しています。


サウナはたのしい。