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ずっと持久走だけでいい

球技というものが、一切できません。

小学生の頃にちょっとだけソフトボールクラブに入っていたものの、いちばん下手な奴が任されるライトポジションで、たぶんバットがボールに当たったという経験は数えられるほどしかない。

サッカーのリフティングの最高記録は5回。それも、自腹でボールを買って1ヶ月くらい練習してのこの成果。あれ以来、「やればできる」的な根性論をあんまり信用しなくなった……。リフティング以前に、ボールを蹴って撥ね飛ばすというのができない。マジでできない。なんでみんな普通にアレができるのか意味がわからない。

バスケのドリブルの最高記録は……たぶんそれ以下だ。

バドミントン。これも、羽根を投げてそれをラケットで打つという初期段階でアウト。これもオカンに頼んでまで練習したのに無理で、もはや逆に才能があるのではないかと思い始めた。

もちろん卓球もラリーが続かない。なので、自分と温泉に行くことがあっても卓球には誘わないでください。確実に相手をイラつかせる自信があるので。

高校は文系で、さらに2年生以降は英語と国語に特化し、家庭科や美術などの選択授業もなくなったのですが、体育だけはずっと残っていて、当然ながらそれも内申書に響くんですよね。そのせいで指定校推薦が取れなかったのでだいぶ恨んでいます。

そんなわけで自分は、体育の授業など要らぬ。滅せ。と唱えている過激派体育不要論者なのですが、ひとつだけ好きだったスポーツがあります。

スポーツと呼ぶのかどうか難しい感じですが、でもちゃんと競技として存在するわけだし。えーと、何かといいますと、マラソン、というか、持久走、ですね。

何が良いって、これはうちの学校においての話なのですが、外に行けるということ。

学校の裏手には大きな神社があって、その外周の道路はジョギングや犬の散歩などのために一般解放されていました。

まず1周めはウォーミングアップとして学内のグラウンドを走り、そこから通用門を出て、神社へと続く道路へ。

この道路はいちおう車道なのですが、車で参拝に来る人というのはなかなかいないので、関係者っぽい軽ワゴンがたまにトロトロ走っているの以外はガラガラ。平然と車道を走っていましたが、先生も特に何も言いませんでした。

神社の周りにはたくさんの木々が植えられていて、鯉の泳ぐ大きな池もあり、その池には朱色の欄干で彩られた橋が架かっているという、狙ったのかどうかは不明だけどミニ京都とでも呼びたくなるような風雅なつくりでした。1月や2月の寒い風に吹かれ、身体を火照らせながら眺めるニセ京都。これがなかなか悪くない。

なにせ持久走というのは、上位陣のガチ勢の人たち以外は、順位や記録にあまりこだわらないというのが良い。真ん中あたりを走る人はだいたい友達どうしで喋っていたり、わざと中間ペースを落として走ったりしていて、けっこう自由だ。とにかく完走することが目的なので、どれだけ遅かろうとゴールまで辿り着けさえすれば褒められるところも好き。

……なのですが、基本的に学校では不人気ですよね。先生が「今日は持久走」と言うと大抵、「えーっ」って落胆の声が上がる。むしろ自分はずっと持久走でも良かったんですけどね。確かにキツイのはキツイんですけど、集団で球技をやるのが苦痛でしかなかった自分には合っていました。

しかし、自発的に鍛えていない限り、なんキロもの距離を走るなんて機会は大人になってからはないですね。そう思い、先日の帰り道、久しぶりに家まで走ってみました。

………………………。


なにこれエグイ。

突発的な思い付きで始めたので、ランニングシャツ姿なんかではない普段着にショルダーバッグという重装備がいけなかったんでしょうが、想像以上に息を切らしている自分にびっくりしました。

自分は5~6キロくらいの距離なら平然と歩くし、それが特に苦にならない人のはずなのですが、どうやら2ヶ月間の引きこもり生活で身体がなまっていたようだ……。

緊急事態宣言が全面的に解除されたとはいえ、急にワ―ッと外に飛び出しまくるにはまだ警戒が必要ですが、近所をちょっと走るくらいはたまにはしてみようか……でもこれから暑いよなあ(早くもサボりフラグ)。

サウナはたのしい。