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いつのまにか音楽を目で作る時代がはじまっていた

こんにちはぴゅら子です
プレイヤーやコンポーザーをやっていて、この10年の間にものすごい技術の進歩に直面しているように感じます。
その結果、ポジティブな成長的側面が大きいのですが、そこそこ弊害もあるんじゃないかと思って、自分の考えを整理する意味合いで、少し書き散らしてみました。多分こういった状況は音楽業界だけの話ではないと思いますので、別業界の方もおもしろ半分で読んでいただける内容できたらいいなと思って書きました。
若干説明が冗長になってしまうかもしれませんがあらかじめご了承のほどよろしくお願い申し上げます。

最近の音楽ソフトすごいって話

音楽テクノロジーの成長ってすごいんです。何個かわかりやすそうな例をあげてみます。
DAWの機能拡張
DAWとはDigital Audio Workstationのことで、現代においてPC上で音楽制作をする上で必須といっても過言ではないソフトです。ソフトというよりもソフトの集合体的なイメージの方が近いかもしれません。
このDAW機能は音楽を作る上でほぼ全ての操作を行うことができるのですが、中にはなくても、音楽は作れるけどあると便利だよねといった機能もたくさんあります。
わかりやすい例ですと、打ち込んだ音を選択すると、設定されているキー(調)から想定されうるコードネームが表示されるアシスト機能であったり、打ち込んだ音をクォンタイズ(タイムを揃える操作)する設定を、かなり詳細に変更できたり、これまで耳や知識、演奏技術で行っていた調整、修正を自動でやってくれるという機能が充実しています。

譜面ソフトの機能拡張
いわゆる“おたまじゃくし”が書いてある一般的な譜面や、コードのみが記載されているコード譜などさまざまな譜面を表示させるソフトがあります。
少し前まで演奏の現場で譜面といえば紙以外あり得なかったのですが、最近はむしろタブレッドなどにPDF化した譜面を用意したり、譜面ソフトを使用することが多いです。
譜面ソフトを使えば、曲を一瞬で転調させることができたり、下手すると自動演奏、自動伴奏の機能がついていたりします。めちゃくちゃ便利です。

私たちは音楽を目で作るようになった

DAWの機能やその他音楽関連のソフトの機能拡張が凄まじいおかげで、これまで一般的とされていた音楽のフォーマットを理解していなくても曲を書けるようになりました。
まじで音楽の知識が0に等しい人でも、あれ?音楽やってました?的な曲を作れる時代なんです。
楽器が弾ける必要はないですし、歌が上手である必要もありません。操作方法を知っていたら感覚的に、街で流れていそうな音楽を作れます。

まじで凄い!!

なぜそんなことができるんのかというと、音楽が目に見えるビジュアライザーという機能が充実しているからだと、私は考えています。
これまでの常識では、音楽は耳で聞くもだし、耳で作るものでした。
しかし今では、これまでは考えられないほど大きな部分を目で作ることができるんです。DAW操作に慣れていれば音をモニターしなくても1曲を作りあげることもできます。人間は情報の80%(でしたっけ??)を視覚から得ているみたいな話も聞きますよね。めっちゃ理にかなった音楽の作り方が1〜20年前くらいから本格的に始まっているんですね。

しかしですよ、便利なものには副作用がつきものです。
凄いんだけど、その結果として変な知識が育ってるような気がするんです。

音楽を目で作ることで変な知識が育っている

少し前まで作曲といえば、ペンと紙と頭脳と楽器で行われていました。
DTM自体はここ10年と言わずもう少し前から存在していたにせよそれを扱う人たちは、誰でも一度はギターを片手に、あるいはピアノの前に座り紙で譜面を作っていたと言い切っていいでしょう。
しかしこの10数年の間に、DAWを使用して音楽を作ることから作曲を始めた、ネイティブDTMerが数多く誕生しています。
ネイティブDTMerは、これまで基礎とされていた楽典や音楽の構造に関する知識がなくても音楽を作れるという仕組みで音楽を作ってきているので、その辺りの知識をほとんど持っていないということもありえてしまうんです。

実際に見てきた例を挙げると
「この曲は7/4拍子です、なぜならDAWでそう設定してるからです」
「このコードはCm6(9)です。DAWに書いているからです」
お、なるほど…そうきたか。

これまでの世代は、既存の音楽知識を表現するために、DAWをいかに使いこなすかという視点でDAWを使ってきていた印象がありますが
新しい世代の方はDAWに使われているというと言葉が若干悪いですが、DAWに育ててもらっているんですね。

従来のミュージシャン  ⇨ あの音を出すにはどうやってDAWを使おう
これからのミュージシャン⇨ DAWに従って音を探そう

音楽を作る上で拍子や、コードの知識はなくてもヒット曲は書ける時代がきているんでしょうね。

音楽を耳で聞く時代が終わるまで

音楽が目で作られる世界の行き着く先に、音楽の消費が耳ではなく目で行われる時代が来ると思うんです。音楽というコンテンツは、インストだろうが歌ものであろうが、映像の“BGM”になっていくと思います(既になってるかもしれませんね)。
※BGMという存在がいいとか悪いとかの話ではなくて、音楽を音楽として消費されることがないという意味ですので悪しからず。
音の運びや調べの美しさ、詩に感動するのではなくて、あの映画のこのシーン好きといった全体のなかの一つの要素として音楽が消費されていくんです。

音楽のBGM以外のもう一つの道は演奏という形態でしょうか。
演奏も、フェスとかバンバン中止になっていますよね。怖いのは1,2年後にフェス再開した時に、お客さんが離れていることですね。
YouTubeでプロの演奏が無料で見れるしもうよくね?という層、一定数いると思うんです。

また、ライブ演奏という形態そのものについても変化がありそうです。
演奏の内容はもちろん大事ですが、同じくらい大事なファクターに見た目や、大道芸的な技があるように感じられます。
こういった音楽の消費も、演奏の音ではなく見た目やストーリーのおまけとして音楽が消費されていますよね。
飲食店やパーティの演奏ってライブという名目のBGMですね。

あれ?こうやって考えると音楽が音楽として消費されること自体
風前の灯火では?

それでは、耳で音楽を聞いたり、作ったりしいる私たちは過去の遺物になるのだろうかという疑問が湧いてきますが、多分そうなるんでしょうね。

音楽って、誰かに聞いてもらいたいという承認欲求だったり自己顕示欲だったりを充す表現だったはずだし、音楽をやっている以上そういう目線や野望は少なからず持っていますが、これも時代遅れの感覚になっていくかもしれませんね。
自分の音楽、自分の為の音楽を作りはじめようかな。

好き勝手書き散らしてしまいましたが、最後まで読んでくださってありがとうございます

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