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旦那飯は韓国料理 〜番外編 〜 一期一会

ある時期、急に仲良くなり縁を感じずにはいられない人との出会いがある。
彼女はまさにそんな人だった。

彼女は、同じマンションの住人で、犬5匹を一人で一気に散歩するパワーのある人だ。
なんだか、すごく、気になる存在で、散歩中に犬を通じて話すようになった。
彼女の5匹の犬達は保護犬や、行き場ない犬だったそうだ。
子供がいない彼女は、我が子のように可愛がっていた。

ある時彼女がトリミングの免許を習得し、自分の店を開店。顧客も増え、私もそのひとりになった。


いつも思い通りに
トリミングしてもらえた

三年程経ったある日、トリミングに行くと、ご主人が亡くなったと聞かされた。さらにすごく腰が痛くて、依頼されている犬の散歩ができないから、一緒に手伝ってほしいと言われ、依頼主さんに許可を得てお手伝いを始めた。

彼女は、5年前に子宮頚癌を患ったらしく、一応完治していたものの、その時の後遺症で、血液の病気になり、酷い貧血で輸血をしないと身体になっていたらしい。

でも輸血がいやで、あまり主治医の話もきかず、プラセンタのサプリを飲んでいると言っていた。

会うたびに状態が悪くなっているみたいで、セカンドオピニオンや休業を提案してみたが、お客さんは増える一方。
旦那さんを亡くし、まるで寂しさを紛らわすように仕事をしているみたいだった。

しばらくして、やはり限界が来たのかお店を人に任せて、休暇を取ることにしたからと連絡があったけれど、彼女は、ほぼお店に姿を出していた。
自分の大切な店を他人に任せきることはできなかったんだと思う。

トリミングしてもらったみんな

そんなある日、彼女から「家に来てほしい」とラインがきた。
心配でかけつけたら、いつも綺麗にトリミングされていた5匹の犬と2匹のネコは、まるでみんなモップみたいになり、家は荒れ放題になっていた。

「週末、この子たちの晩ごはん、トイレシート交換をお願いできませんか?」とプチバイトを頼まれた。

まぁ、すぐに元気になるだろうし、週末だけならとOKした。

彼女の犬も猫も凄く人が好きなので、大歓迎してもらえた。
椅子に腰かけて辛そうな彼女は、顔色がなかった。
そうこうするうちに、週末だけでなく、毎日朝夜二回のお世話になっていった。

そんなある日の夜、急に連絡が入った。
「手足のふるえが止まらないから申し訳ないけど救急車を呼んでもらえますか?」と頼まれた。

慌てて様子を見に行くと、彼女は血の気のない顔でぐったりしている。取るものもとりあえず、緊急入院となった。
彼女は「たぶん、入院になるし、長くても二週間だと思います。チビ達をよろしくお願いします。」
と言い残して病院へ搬送されていった。

翌日、要るものを揃えて病院に来てほしいと頼まれ、準備した。
地方にいる彼女のお姉さんと連絡をとり、入院手続きなどを代わりにやった。
なんともうまい具合に私は休みの日だからできたけど…

でもまだこのときは、まさかここからさらに大変な日々が来るとは思いもしなかった。

綺麗にしてもすぐ汚される😅

ラインで毎日犬やネコたちの様子を知らせ、世話をしながらキッチンなどの掃除をした。帰って来たら、綺麗な部屋ですごせるようにと…。

犬5匹猫2匹いると、いくら空気清浄機や消臭機器を設置していても追い付かない❗️
飼い主が居なくなった犬猫の楽園になった家。

臭いな~と臭いを辿れば、おしっこシートではないところに大量のおしっこ跡。しかもかなり日が過ぎている。
床を消臭し、綺麗にしても、また数日後にはやられる。

さらに、そんなとき困ることがあった。

テンチャン

ネコのテンチャンと、ペキニーズのヨシくんが、高齢により弱っていた。テンチャンは、ご飯をあまり食べなくなり、おしっこをもらしたり、変な場所にいたり、いつもと違う行動をしていたのですごく不安で、彼女に連絡してみた。

高齢だし、いつ何が起きてもおかしくない。でも帰るまでいて欲しいというのが彼女の願いだった。

私も皆に「お母さんもうすぐ帰るからね❗️待っててね、頑張ろうな」と毎日話しかけていた。

ある朝、テンチャンがいない。まさか❗️と思い、探し回ったら、トイレのところで力つきていた。

冷たくなったテンチャンを柔らかい座布団にのせて、彼女に写メした。最後の様子を伝え、二人で泣いた。
朝の準備を手伝ってくれていた長女も号泣だった。
毎日顔を会わせていたから情が湧いていた。

彼女の指示で、棺や花を用意して私がテンチャンを見送った。

テンチャンはよく話をしてくれたから、その声がしないのが本当に寂しかった。

そのころ彼女は痛みが酷すぎて検査さえ受けられない状態で退院の目処が立たないまま二週間が過ぎていた。

正直、二週間だから❗️と言い聞かせていたところもあったから、少し不安になった。
でも彼女の「退院したら、たぶん朝は自分でできるから、夜だけになると思います。」という言葉を信じるしかなかった。

ただ、犬猫たちにご飯をあげて、水を変えてトイレシートを変えるだけだから、簡単じゃん❗️と思われるかもしれないが、なかなか重労働で、トイレシートも大きいのが6枚と老犬ヨシくんは別の場所に居たので、ここが一番大変だった。

目が見えてないし、認知がありクルクル回ってジッとしていられない。ご飯のときも押さえないと動いてしまう。ベッドと収納棚の間に柵をして勝手にどこかに行ったりしないようにしていたが、棚にゴン❗️と当たったり、水に足をつっこんでベチャベチャになったり、ベッドづたいに他の犬が侵入して、ヨシくんのご飯やウンチを食べたりして目が離せなかった。

犬たちは余りにも汚れていたし、以前、皆をトリミングしていたトリマーさんに頼んでせめて爪だけでも切ってほしいと、病院から彼女に依頼してもらった。

トリマーさんはすぐに都合をつけてきてくれた。
この子らを幼いころから見ていたトリマーさんは「可哀想すぎる!日を改めて一気に全員トリミングします。」と言って爪だけ切ってくれたが、私は余りにも汚れいるヨシくんが心配で「この子だけは今カットしてもらえませんか?」と頼んだら、ヨシくんを見たトリマーさんがビックリ❗️
「これはあかん❗️皮膚病になる。さらにすごい歯周炎で膿が出てるから受診もしないと」と悲惨な姿のヨシくんをカットしてくれた。

他のモップになっていた犬たちは、入院前にMさんが自分で軽くバリカンを入れてたのでまだマシだったが、後できいたらヨシくんは毛を刈ると骨と皮になってるのがわかっていたから見たくなくてそのままにしてしまったと彼女が言っていた。

でも、お世話する私的には衛生的に良くないし、ヨシくんのために綺麗にカットしてもらいたかったのだ。
人でもそうだが、歯周菌はうつるから怖いのもあったし、受診もさせたかった。

トリマーさんも「ヨシ、辛かったな~、楽にしてあげるよ」といいながら、まるで羊の毛を刈るみたいに丸裸にしてくれた。
その姿は余りにも気の毒なミイラみたいだった😢
あ~、この哀れな姿を直視したくなかったんだな~。と気持ちは理解できたが、私には放置できなかった。
カットすると、肌を拭いて清潔を保てるし、食べたもので口の周りが汚れたりしないから安心だった。ただあまりにも毛がなくて寒いから洋服を着せてあげた。

彼女が在宅で犬を受診してくれる先生を探してくれたから、狂犬病射とヨシくんを診察してもらえた。
やはり酷い歯周炎で、穴があいて膿が出ていた。
抗生剤をのみ続けていると、臭いがマシになり、膿がおさまった。良かった。
顔を拭くこともできるようになった。

でも、日に日にご飯を食べなくなっていった。
水をこぼすからと先生に相談したら、「目が見えてないし、ご飯の前とあとに水を飲ませて、それ以外は水を置かなくても良い」と言われ、絶対に必要な量は必ず飲ませて水の入れ物を置かないようにしたら、濡れなくなった。

落ち着いたヨシくん

老犬用サークルがあったのを思い出し、サークルの周りにバスタオルをかけて、網に当たらないようにし、床にはいらないキッチンマットやウレタンマットを敷いて痛くないようにした。
なんとか彼女が帰るまで、ひと目でも会わせてあげたくて、必死にお世話した。そのかいあって、なんとか彼女の退院に間に合った❗️長くても二週間の入院は1ヶ月を軽く越えていた。

この日から、ヨシくんは急に元気を取り戻し、立ち上がり動くようになった。
それまではいつ逝ってもおかしくない状態だったのにだ。

やっぱりお母さんに会いたかったんだなと実感した。他の子たちもケンカしなくなり、大人しくなった。

でもヨシくんのお世話はさらに過酷になり、彼女の状態もさらに厳しくなっていた。

彼女が退院し、朝のお世話はなくなるとホッとしていたが、それどころではなかった。

退院してきた彼女は、自力で歩けなくなって車イスで移動。

ヨシくんは、水分しかうけつけなくなった。見ていないと食べられない。介助が必要になってしまった。
他の子たちのご飯もあるし、ヨシくんだけにかかりきりにはなれない。何日かそんな日が続いた。

朝は仕事の時間があるから、もっぱら午後出勤の長女に頼んでいたが、ヨシくん逝きました。と連絡が。安らかな最後だったらしい。おおきな深呼吸を2回してスッと命の灯火が消えた。

ヨシくんて、テンチャンのお骨にも、可愛い花を供えた。

彼女から、実は、腰の骨が癌で溶けていたこと、癌が神経にからんでいて、治療ができないこと、余命宣告されたことなどを聞かされた。
彼女は、気丈に「好きなこと、夢は全部叶えましたから、後悔はない。ただもう少し店はやりたかったな~。」と話してくれた。

あとは、緩和ケアしかなく、彼女は訪問治療でギリギリまで愛犬たちと家で過ごす選択をした。

しかし、それは簡単ではなかった。
ヘルパーさんが来ても、犬のことはしてくれない。
犬猫ちゃんたちは、容赦なく体当たりでお母さんに甘えてくるし、
車椅子でひかれそうになったり、あんなに可愛がっていた子たちすら、ウザイと感じるほどに彼女は衰弱していった。

元気な時はおしゃべりしたが、話すこともできない日が増えていった。
食べることもままならなくなり、小さいおにぎりをつくったり、果物をむいてあげたりしたが、つらそうだった。

あるとき、「あのこたち、そろそろ里親さんに渡そうかと思うけど居なくなったら、イイダさん来ないでしょ?話すだけでも、姿があるだけでもなんか励みになるんよね、だからもうちょい頑張るわ❗️」と言われ
「犬がいなくても、様子みにくるよ」と話した。

早く手放してあげたほうが犬たちのためになるのはわかっていても、独りの寂しさに耐えきれないからと言っていた。

甘えたのあいちゃん

それでも、猫のあいちゃんは彼女が緊急入院したあいだに希望通りに里親さんへ譲り渡した。

彼女が全員引き取ってくれる里親さんを探して準備していたのだ。

知らない人に任せられないからと、大切にしてくれる人を探して、少し安心した様子だった。

犬たちの世話に休みはない。クリスマスにはミニケーキを一緒に食べた。
人に自分の本心をさらけ出すタイプではない彼女だけど、私には何でも話してくれた。楽だったらしい。そう感じてもらえただけでも良かった。
毎日会うし、お互いに友達を通り越して家族みたいな不思議な感覚だった。

彼女が患ってから半年ほど過ぎた頃、とうとう痛みに耐えられなくなり、救急車を呼んだ。
犬たちを隔離するために一緒にいたが、痛みが激しすぎて担架にのることもできない。
仕方なく力技で移動させるも、痛い❗️痛い❗️痛い❗️と救急隊員の足を掴んで叫ぶ姿に、ただ祈るしかなかった。

この入院では、モルヒネとかを使うから意識が朦朧とするから、今のうちにと、あれこれ依頼された。私へは、主に犬たちのことだった。

すでにお別れの挨拶はしていた。入院前日にハグしあった。
「色々ありがとう、本当に感謝しています。ありがとう。」といってくれた。

私は、頑張り過ぎている彼女にこれ以上頑張ってはいえないし、
「こちらこそ。少しでも痛みが和らいで楽にすごしてね」と言った。
お互いにこれが最後になるとわかっていたからこそ、笑顔でお別れした。帰りマンションの廊下で泣いた。

彼女が入院し、犬たちを里親さんに引き渡した。里親さんの元締めさんが面会に行き、皆幸せにひきとられたことを報告し、皆の写真を渡してくれた。
薬が効いてる彼女はただただニッコリしていたそうだ。
でもきっと安心できたと思う。
数週間後、彼女は安らかな眠りについた。

彼女が大切にしていた子たちは、本当にいい里親さんたちに引き取られ、すごく幸せに暮らしている。私も時々様子を見させてもらっては、幸せな顔に安心している。

彼女も、先代のしーちゃん、ヨシくんにテンチャン、そして旦那さんと、皆を見て喜んでくれていると信じたい。

短い間に急激に仲良くなり、正義感の強いまっすぐな、でも人一倍に寂しがりやの彼女に、何かもっとしてあげられることがあったんじゃないか…と思うけど、私の精一杯を尽くしたつもりだ。
決して満足して逝ったわけではないだろうけど、生きていた間に少しでも、安心や幸せを感じてもらえていたなら嬉しい。

いつも祈ってますよ。忘れないよ。安心してね、ありがとう。


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