車
高3の誕生日が過ぎてすぐに近所の教習所に通った。
免許取得後、49歳になるまでいつも車に乗っていたが、便利な場所に引っ越したので車を処分した。
あれから6年、すっかりペーパドライバーに成り下がってしまった。
先日止むに止まれず仕事で運転せざるを得なくなり、死のドライブ~?とか冗談に聞こえないことを言いながら、内心ヒヤヒヤだった。
ちゃんと運転できるのか。
交通ルールは忘れていないか。
もし事故ったら?
ガレージで練習してからだな〜とか
考えただけでも不安で仕方なかった。
なのに、いざ運転席に座ったら、
勝手に手足が動く❗️
当たり前のように運転できた自分に驚いた。
なんと、身体は忘れていなかったらしい。心配はどこふく風、
思い込みで損した気分になった。
そういえば、父は駐車にうるさく「車に乗りたいなら、とにかくバックと切り返しや❗️」と、毎日特訓された。なんでこんなスパルタ訓練されなあかんねん と、理不尽さを感じながら命令に従った。
もたつく駐車は他人の迷惑になる!と、特に縦列駐車には厳しかった。家のガレージは車一台ギリギリとめられる広さしかなく、縦列駐車でないとはいらない。さらに前の道幅も狭く、車を停めるにはテクニックを要した。
何度、ボタン1つでタイヤが横向きになり、そのまま移動して欲しいと思ったことか…。
バックで思い切り突っ込んで、切り返し駐車するのだが、ちょっと突っ込み方や切り返しのタイミングが、ずれたら車庫にはいらない!だから近所でも「よくこんなとこに一発で停められるな~」と感心された。
こうして、父の特訓のおかげで、狭い場所の縦列駐車は得意分野になった。
さらに「事故るならお前が死ね。他人を巻き込むことだけはするな」と言われた。
娘に死ねとは、なんちゅう親父や❗️と思ったが、自動車事故は一瞬にして起こる。乗るならそれくらいの気持ちがないとダメだという風にも聞こえた。
あの時父は、「お前のせいで他人の命を奪い、一生償って生きるより、お前が死んで悲しむほうがまだ耐えられる」と言ったが、本心だと思うし、私も自分の娘が免許をとった日に同じことを言っていた。
スパルタ親父のおかげで、縦列駐車とバックがうまくなったことに、今は感謝している。
車にもお世話になった。育児には特に役立ってくれた。子供の急な病気や、雨降る日の外出に車は本当にありがたかった。
しかし、一番はなんといってもストレス発散に行く真夜中のドライブ。
最高だった。
家族が寝静まったら、そーっと見つからないように出掛けた。
車内では、好きな曲をかけ、窓を閉めて大声歌ったり、ボイトレしたり、言いたくても言えないことを独り言みたいに言ってみたりしながらただ走り回る。たったそれだけでも気持ちがスッキリしたものだ。
今思えば、便利だったり、ドライブが楽しかったという以上に、
私には独りきりになれる唯一の空間だった。
自分だけの時間と居場所を車が与えてくれていたのだな〜、ありがとう。
あー、ストレスフルな今、また車に乗りたくなってきた。
サポートなど恐れ多いですが、気に入っていただけたなら、幸いです。