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阪神大震災の時、神戸に居ました。

1995年1月17日は阪神大震災の起こった日。あれから29年が経ちましたが、あの時の体験は自分の死生観を変えました。

それは、「人は理由も無く突然死ぬ。」ということです。
自分の頭の中にはいつもこれがあって、日々のプライベート、仕事、遊び、家族観などの根幹となっています。

これらから導き出される考えや行動を少し挙げると、次の通りです。

毎日後悔のないように遊ぶ、仕事する。
行きたいところは気軽にどこでも行く。
やりたい事は気軽にやる。
いつも休んでよく遊んでと人から言われても、そこは躊躇しない。長期の休みも取るし、自由にやりたい事はやる。仕事の為に生きている訳ではないので。
できるだけ笑っておく。苦しい顔で人と別れない。
世の中には幸運、不運が必ずある。いつも幸運でもない。不運だけでもない。どっちでもいいと割り切ること。何が起こっても仕方がないと思う事。死んでも仕方がないと思う事にしています。
心がけでできるリスク回避は常に考えて実行する。プラットホームに一番前に立たないとか、津波エリアに住まないとか。
結局死んだら終わり。死んだら年月経つと徐々に忘れられる。それも仕方のない事。死んだら終わりです。

実は、阪神大震災の起こる半年ほど前に借りようと思っていたアパートがありました。まだ若くて信用も無い状態でしたので、入居審査で断られて、泣く泣く違う場所のアパートを借りました。
新たに住んでいたアパートもかなり揺れましたけど、その後の生活には全く影響ありませんでした。が、しかし、入居したかったアパートを震災後見に行って震えました。1階を借りる予定でしたが、2階が崩れて入居したかった部屋は完全に押しつぶされていました。そのあたりのエリアは90%以上倒壊という極めて被害の大きい場所でした。高速道路が倒壊した少し北側のエリアでしたから。
あそこに住んでいたら、間違いなく死んでいたか、大怪我していたか。自分は無宗教なのですが、神様が守ってくれたに違いないと、あの時ばかりは思いましたね。
一歩違う方向に行くと、死んでいたかもしれない。やっぱり「人は理由も無く突然死ぬ。」です。

これからも、日々大切にして生きていこうと思います。1月17日はあの日の事を思い出しながら一日過ごしたいと思います。


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