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台湾に行きたいの

今年、行きたい場所がある。

ヤマシタさんの、これをマイペースに少しずつ埋めているんだけれど、真っ先に書いた項目が、「行きたい場所」。

台湾だ。

私、2020年は台湾に行きたい。

去年、ありのすさんが単身台湾に行って、しこたまおいしいものを食べていたあの輝きが忘れられない。


好きなものを好きなだけ食べたい、というその衝動をそのまま受け止めて、飛行機に乗ってしまうんだもの、信じられないし眩しすぎる。
心配性の寂しがりが肉体化したみたいな人間が私だから、独身のときならいざ知らず、家族ができた今、ひとりで飛行機に乗って異国に発つなんて、もうほんと大偉業としか思えない。
離れている間に南海トラフが起きたらどうしよう、とか、台湾でテロにあったらどうしよう、とか、飛行機が墜落したら、ハイジャックにあったら、あああああああああ、想像だけで疲弊してしまう。
その疲弊のすべてを乗りこなして、旅に出たありのすさん、まじでまぶしい。しかもその意欲の根っこにあるのが「食べたい」だから、その動機の純度にくらくらしてしまう。


私も台湾に行っておいしいものを食べたい。

なにも台湾でなくても、と思われそうなのだけれど、台湾に対して、私にもそれなりの憧れがある。
数年前にふらりと立ち寄ったビュッフェのお店で、台湾フェアというのをやっていた。
そこで食べた魯肉飯(るーろーはん)が忘れられない。
もともと、ハンバーガーであるとか、ビビンバであるとか、ちらし寿司であるとか、中華粥であるとか、炭水化物と、タンパク質と、野菜やなんやが混じり合った食べ物が好きなのだ。ひと口ほおばるとお口の中であれもこれも混じり合って、混沌の中で、おいしいが新たなおいしいを連れてくる。
一口ごとに、それぞれが違う濃度で混ざり合って、飽きることを知らない。

魯肉飯を初めて食べたとき、「混沌」という言葉が明朝体の太字で頭に降ってきた。そして次に、「おいしい」というとても素直で愛らしい感想。
「混沌」「おいしい」「混沌」「おいしい」「混沌」……
混沌とおいしいが大合唱していた。

そのお店は前述したようにビュッフェのお店で、私はすっかりあれこれ食べておなかがすっかりくちくなった頃にこの魯肉飯にありついたのだった。
最初から魯肉飯だけをどんぶりいっぱい食べたらよかった、と激しく後悔した。
めいいっぱい食べたのに、後悔が残るという失態。
あれから二年近いときが流れているのに、私はしぶとくあの魯肉飯に焦がれている。
生憎ここは田舎の小さな町で、台湾料理を出してくれるお店はない。
つまりいっそ、台湾に飛ぶのが最も適切なのだ。

寂しがり屋の心配症だから、そんなの無理だよ、と小さくなっているのが常だったけれど、背中を押してくれる人がいた。


ナースあさみさんが、台湾に引き連れてくれるとのこと。やさしい。
諦める理由なんていつだって行列をなして、すぐそばにあるから、むりやり引っ張ってくれるくらいがちょうどいい。
たぶんそれでもきっと、飛行機に乗る直前まで「やっぱり家に帰る」とか泣き言を言うんだろうけど。そのときは適当にあしらって大丈夫です。

楽しいことをしようと言ってくれる人がいるしあわせ。
行きたい場所があるというしあわせ。
産んで飲ませることばかりに専心していた数年前には想像もつかなかった。

今年は台湾に、いく。

パスポートとらなくちゃ。
(て書きながら、やっぱりびくびくしてる)

また読みにきてくれたらそれでもう。