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Amazonが輪郭を持った日

新卒で就職した会社は出版社だった。

ある日のこと。
電話に出ると読者の男性だった。
「〇〇という本がどこにも売ってないんだ」
全国的にもうほぼ無いと言っていい本だった。
もちろん、版元にももうとっくにない。

「こちらにも、もう在庫がございません」

つまり書店を通して取り寄せることも難しい状態だ。当然、版元から自宅へ直送することもできない。だって、無い、のだ。

なんとかしてその本がほしい男性は食い下がる。どうしたらいいかなぁ、と問いかけてくる。
そういった問い合わせは本当に多かった。
その出版社で扱っている書籍の性質上、どうしてもどうしてもほしい、必要である、というケースは後を絶たなかったのだ。

そういう場合は紀伊国屋やジュンク堂などの大手書店の在庫を確認して、もしあればお知らせする。
が、調べた結果どちらも在庫はゼロだった。
ならばと思い、Amazonで検索するとなんと、残り僅かに在庫があった。
一筋の光をお伝えする。

「Amazonに僅かにですが在庫がございます」

男性は、ああ、よかった!と言った後、こう続けた。

「じゃあ、Amazonに買いに行くので住所を教えてください!」

とてもご機嫌なヴォイスだった。

私は丁寧に、Amazonというのは、ネット書店であること、Webサイトから注文すること、をお伝えしたのだけれど、聞いてください、全く伝わらなかった。

「だって、そこに行けばあるんでしょ?大丈夫!行きますよ!」

所望していた本の在庫があると知った彼は、ほんとうにご機嫌だった。
どんなに遠くても買いに行くと言った。

私はもう一度、いや、二度三度、Webサイトを開いて注文するやり方を説明した。
けれど、気持ちはAmazonへ走り出しているらしい彼は買いに行く、の一点張りだった。

そのうち、私は、彼のご機嫌でくもりのない声に、もしかして私が間違っているのだろうか、と思い始めた。

確かにそこに行けばあるのだよな。
Amazon、という場所が日本のどこかにあって、そこには誰かがいて、「くださーい!」と言えば誰かが「はーい」って顔を出してお買い物をできたりするのでは。
できるという話は聞いたことがないけれど、でも、できないという話も聞いたことがない。

そもそもAmazonってなんて言うか、概念に近くてAmazonの住所なんて私考えたこともなかった、と気がついた。
まるでそれは、テレビで見る憧れの彼や彼女にも普通に親がいて、ごはんを食べて、トイレやお風呂をつかう、ということを考えもしなかった中学性のあの頃の思考そのものだった。
なんだか目が覚める心地だった。
Amazonの中身みたいなものを初めて想像した瞬間だった。

どうやって、その男性に納得してもらったかもはや記憶にないのだけれど、Amazonを開くたび、あの日のことがよぎるのだ。
もはや概念になりかけていたAmazonが急に輪郭を持った生身のAmazonになったあの瞬間を。
今日も生身のAmazonは日本中、いや世界中のあらゆるものを届けるために、いろんな人の力で稼働している。
でも、それを感じさせない滑らかすぎるお買い物が実現してしまうのがAmazonのすごいところだよね。
アレクサとかもはや未来。


#Amazon #買い物 #エッセイ #コラム #日記

また読みにきてくれたらそれでもう。