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いろんな痛い。お産とか。

痛みに強いらしい。

二十歳くらいの時に大きなやけどをしたことがあって、それはもう痛かった。
やけどを負った左あし(足首から下)全部が燃えるように熱くて、声を出すこともできないほどだった。

その三年後くらいだったかに、婦人科系の手術を経験した。
これもまた、ものすごく痛かった。
術後の痛みが想像の百倍くらい痛かった。
麻酔もするし、簡単な手術らしいからと、とても気楽に考えていたのがよくなかった。
麻酔が切れた後は足首をたった一センチ動かすこともできなくて、ベッドの上で驚愕した。余りの痛みに寝返りひとつうてなくて、軽い床ずれができてしまった。

大きな痛みを立て続けに経験したせいか、お産の時に私はたびたび、痛みに強いですねと医師や看護師に驚かれた。

一人目は帝王切開で産んだ。
術後は本当に痛かった。
全身が気だるいし、傷の痛みと後陣痛でその日の夜は一睡もできなかった。
うとうとしても激しい痛みで目が覚めてしまうのだ。
が、翌日には見舞いに来た夫と新生児室まで歩いて行き、エレベーターホールまで見送った。
確か痛み止めもほとんど飲まなかったと記憶している。

退院後少しした頃に、おっぱいに鶏卵大のしこりができた。
産んだ病院に電話すると診せに来てというので、駆け付けた。
傷みはあるかと訊かれるが痛くもなんともない。
看護師さんが触ったり押したりするのだけどまったく痛くない。
顔をしかめる様子もない私を見て、医師と看護師は乳がんを疑った。母乳の詰まりによるものであれば、かなり痛みが伴うらしかった。

触診はしたことある?とか、いつ頃からこのしこりはあるの?やら根掘り葉掘り聞かれた後、とりあえず絞り出してみようということになって、助産師さんがおっぱいマッサージを施してくれた。
それももちろんまったく痛くなかった。
痛がらない私の表情を医師はずっと凝視していた。

おっぱいマッサージの甲斐あって、しこりは少し小さくなり、医師の結論は、乳腺の詰まりと私が痛みに強い、ということだった。
術後も傷みに強かったもんね、と助産師も頷いていた。

二人目と三人目はちょっとした不思議なご縁で経腟分娩だった。
知らない人のためになぜ不思議なご縁かを補足すると、帝王切開後の経腟分娩はハイリスクとされるため、避けられる傾向にあるのだ。つまりまあまあ珍しいのだ。
その話もまたいつか。

二度目のお産は割とスタンダードな進み方だったと思う。
が、子宮口8センチくらいまでは多少の痛みはあるものの、会話もできるし、いててて、くらいだった。
9センチあたりからは強烈な痛みが襲ってきて、頭の先から足の先まで細胞全てが「痛い」と叫び散らしているようだった。
とにかく痛かった。気絶するほど痛かった。
一時間近くその痛みと闘ったのだったと思う。
その一時間は間違いなく人生で一番痛かった。いろんな痛みを経験したけれど明らかに格上のハイスペックな痛みだった。

そんなハイスペックな痛みを経験した後、三度目のお産での痛みの時間はわずか十六分だった。 
産まれる一時間前、私は産院のおいしいお昼ごはん(メンチカツでした)をぺろりと平らげ、とても満ち足りていた。
モニターを見に来た助産師さんにぴょこんぴょこん跳ねる波形を指して、これって陣痛ですか?と訊ねたけれど、「うーん。ごはん食べれちゃってるからねぇ、痛みじゃなくて“張り”だと思うからまだかな」と言われた。
その日はもう予定日を十日も過ぎていたので私としては少しでも早く産み落として身体を軽くしたかった。
幼児ふたりと暮らすマタニティライフはほんとうに骨が折れるものだったし、まさにからだに鞭を打つような暮らしだったから腹の子が気がかりで仕方がなかった。
心身ともに早く身軽になりたかったのだ。
そのすぐ後に先生が内診をしたら子宮口は七センチ開いていて、うまくいけば一時間で産まれるよと言われたので夫に電話をした。
「先生がうまくいけば一時間で産まれるって言ってるからそろそろ病院に来てー」
私の呑気な声に夫はまさかそんなことはないだろうと思いながら、呑気な顔でやってきた。
夫が着いてもなお、助産師さんが覗きにきては元気そうな私の様子をみて、まだだなと出ていくのがじれったかったので意を決して私は痛いふりをすることにした。その日はお産が重なっていて、助産師さんを引き留めるにはお産が進んでいる素振りを見せる必要があったのだ。
実際、体感としてお産が進んでいるような気はするものの、「痛い」がないと客観的には「進んでいる」とみなしてもらえない。
横を向いて、からだを小さく丸めて「うーん」と言ってみた。
どれどれ、と助産師さんが様子をうかがってくれる。
すると少し傷みが増した。
いよいよ陣痛らしいぞと思った私は嬉々として姉妹にLINEをした。
「陣痛なう。いたい」
その直後、
「痛い?産みたい感じある??」とベテラン風の助産師さんが訊いたのでこれはチャンスと思い、「…うーんある?かな?」と答えたら、ベテランは子宮口も確認せずに「よし、産もう!」とおっしゃった。
ええええ、まじで????!!!
ベテランだからって、いきみ逃がしとか、子宮口の確認とか、「全開です」のひと声とか、いろいろすっ飛ばしすぎている。
もっと腰をさすってもらって、テニスボールとかどこかしらに押し付けてもらって、優しい言葉をかけてもらったりしてお産に挑むのではなかったか。
ていうか、そんなに実は痛くないし、産みたい感じもないし、嘘ついてしまったんです、かまってほしいばっかりに、とはもちろん言えなくて、あああってなっていたら、手早くお産の体制にされて、なんとその瞬間に強烈な痛みが走った。
そして、今すぐ腹を切ってくれと懇願したくなるほどの痛みが襲ったかと思ったら、あっという間に我が家の大天使末っ子が産まれたのだ。
姉妹にLINEを送信してから産まれるまでの時間、わずか十六分だった。
いきんだ記憶すらない。確か、息を吐いて、と言われて息を吐いたら産まれたのだ。やはりベテランはベテランだった。

痛みに耐えた時間が短いのでセオリーで言えば母体の負担は少なく、とても安産だったと言える。
親孝行な末っ子に拍手だ。
立ち会った助産師さんはやはり「痛みに強いね」と言い、赤ちゃんが勢いよく産まれたために派手に裂けた会陰の傷もさほど痛いとは思わなかった。

痛みに強いとは言え、長いお産よりは短いお産でもちろんありがたかったし、産後も体調がわりとよかった気がする。
万事とてもよかった。
よかったのだけど、夫に
「赤ちゃんて簡単に産まれると思ったでしょ」と訊いたら、曇りのないピュアな表情で
「うん!」
と答えられたことが未だにどうしても心残りで。

また読みにきてくれたらそれでもう。