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寝れないからって日記

今月は原稿が立て込んでいて、今日は一日パソコンに向かっていた。

夫の仕事が休みだったので、相談すると、なんとお迎え~寝かしつけまですべて担ってくれることになったのだった。
こんな大ボーナスあるのか!!と驚いた。驚いて喜んだ。
嬉々として、図書館からのイオン(フードコート)というコースで21時までがっつり執筆。
すごい。まとまった時間があるってすごい。
いつもは、10時くらいから14時半までしか確保できないので、いかに効率よく考えをまとめるかに神経を使っている。
「あ、こっちの方向でも考えてみようか」と思った瞬間にそのためにはいったい何分ほど必要なのか、その価値はあるのか、とつい、そろばんをはじいてしまう。その結果、無駄に脳内でおろおろして、右往左往するという生産性の悪さもついてくる。
まとまって作業ができるということは、「いったんこの線で書いてみようか」というおおらかさを装備できるので、終始心が安定するらしい。そして、心が安定しているので、いったん書いたその線がわりとびしっと決まったりもするらしい。
いつもみたいに、じだばた「どうしようどうしよう」と思っている時間が1分もなくて驚いた。
普段はだいたい13時を過ぎたあたりから、お迎えを意識しだしてそこそこ動揺している。

*

閉店までイオンのフードコートにいたのだけど、夕方を過ぎたら客層の半分くらいが高校生になった。
そうか、今の子たちにはイオンがあるんだ。いいな、と思った。
コスメもスタバも、マックも映画館もあるんだから、最高だ。この箱の中で青春がひと通り手に入るという寸法。
スカートを翻して席へと走る女の子たちを見ながら、いつか長女もこんな風にきゃらきゃらと笑いながらお友達とおしゃべりしたり食べたり飲んだりするのかしらと思う。
中には、母親と夕飯らしきものを食べている子たちもいて、またしても長女もいつかこうして、と思う。
今じゃないどこかを見るとき、どうしていつも少しかなしいんだろう。
それが後ろであっても、前であっても、たいてい少しだけかなしい。

リンガーハットでトムヤムクンちゃんぽん麺という、なんだかとんちんかんなものを食べた。辛くておいしかった。おいしかったけど辛くて食べるのに時間がかかったのがやや誤算。

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今書いている原稿のうちふたつは、生産者さんの取材記事。
掲載媒体は季刊誌なのでそうしょっちゅう取材に行くわけではないのだけど、それでももう季節をひと回りした。
初めて掲載されたのが秋号で、今書いている原稿も秋号のもの。なかなか慣れないと思っていたけれど、ふと気がついたら、もう最初の取材から1年。大人になってからの成長はどうやら遅いみたい。
だって、子どもたちにとって1年前って「すげえ青かったあのころ」みたいな感じだと思うのだ。彼らの成長は早い。末っ子に至っては1年前なんてほとんど赤ちゃん(語弊)だから、完全にダンジョンを移動した感がある。

帰宅してからもぼちぼちと続きを書きつつ、先述の季刊誌の他県版(東海四県で発刊されている)に目を通す。静岡県版の方の筆が参考になった。
どうやったらこういう話を聞き出せるんだろう。同じ文字数で同じ誌面なのになんだか話が濃かったし、商品の話も丁寧に感じた。私はつい、人となりにフューチャーしてしまうんだけど、生産者さんなんだからもっと農業のお話も聞き出さないといけないんだろう。つい、「人」の話に触れてしまうのだよねぇ。
ただ、今のところインタビュイーさんはみんな魅力的な方だったので、やはりそこも大切に届けたいなと思うし、ね。

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なんだか、あんなにがっつりと集中をしたのってほんとうに久しぶりの久しぶりで、そのことに少し興奮しているのかもしれない。
なんだか醒めない熱みたいなものが騒ぐので、こうしてとりとめもなく、今日という日について書いている。
だけれどそろそろ寝ないとね。明日がつらいから。

脱衣場の足ふきマットに裸ん坊のメルちゃんが2体寝転んであって、ああ、末っ子が今日もメルちゃんとお風呂に入ったんだな、という痕跡を抱きしめて寝る。

また読みにきてくれたらそれでもう。