トイレブラシ翁

先日のこと。トイレ掃除のブラシをたてておくホルダーをふと見たら、天面にほこりが溜まっていた。あらいやだ。

さっとトイレットペーパーを畳んだやつで拭って、トイレに流した。
ここ、知らないうちにほこりが溜まっちゃうのよねぇ。かつて暮らしたあの家でもこのうちでも、いつだって知らないうちに溜まっていたよねぇ。記憶をお散歩していて気がついた。
私、このトイレブラシと、いったいどれだけ???一緒にいるのか????

ひいふうみい、と月日を指を折り数えてみて、ぎょっとした。

書くのをはばかられるんだけど、でも書くんだけど、たぶん、おそらく、17年ほど経っている。なにそれ、どういうこと。17年って言ったら、生まれた子供が高校2年生になるくらいの年月っていうことで、ハイハイから、離乳食から、小学校入学を経て、反抗期を乗り越えて、肩幅も首筋もしっかりとした、高校2年生になるってこと。
ものすごく、長いってこと。

これが猫なら天寿を全うしていてもおかしくないってこと。
粗相したりすることがあっても、あたたかく見守って、一緒にいられる日々に感謝して、ほかほかとした日々を送ってるってこと。
つまり、ものすっごく長いってこと。

*

一般的に、トイレブラシをみんなどのように買い替えたりするんだろうか。
今日現在、我が家のトイレブラシは依然、頑健な様子で、買ったその日から衰えを感じない。歯ブラシみたいにブラシ部がささくれてぼうぼうということもないし。持ち手部がひび割れたり朽ちたり、という感じもない。
隅々まで、若々しく、元気。
これを手放すという発想が、とんと私にはないみたい。

便器っていうあまりきれいではない場所を清掃してるという事情から、なんだかこんなに長く使うのって健全ではないのかしら、と不安になったりもするんだけど、どこからどう見ても、私のトイレブラシは今日も元気そう。
こういうものを捨てるタイミングが、新しいものに買い替えるタイミングが、ほんとうにわからない。

話が少し逸れるのだけど、私が使っている電卓の裏には旧姓で記名がしてあって、とある友人がそれを見たときに「すっごい物持ちがいいんだね!!」と驚いていた。それは確かに私が結婚前に働いていた会社で使っていたもので、その時に記名をしたんだけれど、実を言うとそれ、私が小学校5年生の時にボーリング大会の景品で貰ったものだった。
かれこれ25年ほどのお付き合い。

そんなふうに、我が家には30年近く手元にあるものがたくさんあって、ここ10年前後で所有しているものに関しては、むしろ浅いお付き合い、と言えてしまう。

たぶんボーダーは結婚した2009年。
それ以前か、以後か、で気持ちが全然違う。

結婚後に所有したものは「最近買ったもの」に分類されてる、たぶん。

*

さて、トイレブラシは17年生だから、それなりに長生き。だけど、買い替えを検討するほどでもないわよね、という感じ。
でも、ちょっと落ち着いて一般的に考えてみたら、トイレブラシの寿命は計り知れなくてもやっぱり我が家の場合はそうとう長生きなのでは、とも思う。長生きはいいことだけどね。

みんなこういうものをどんなタイミングで捨てるんだろうな、とけっこう本気で思っている。
洗面器やらお風呂の椅子もそうだし、おたまとかボウルとか調味料ストッカーとかの朽ちる気配のないあれそれが、我が家では今後とも永遠に使われそうな気がしている。

買い替えるっていることは、今所有しているものを捨てるということでもあるし、捨てるっていうことはしかるべき日にゴミ捨て場に持って行かないということでもある。そして、ゴミ捨て場に持って行くには、しかるべき分別をしないといけないし、これはなにゴミだろうかと考える必要もある。
ほい、と可燃ごみに出せるもの以外のすべて、私は捨てるのがほんとうに億劫なのだ。

例えば「その他プラ」という分別だったとして、その日は月に何度もないし、忘れないように覚えておかないといけない。
ただでさえいろんなことを取りこぼして生きているから、覚えることが増えるのは気が重い。
つい「その他プラ」の日に出しそびれても腐ったりするものじゃないから、まあいいか、とガレージの隅で捨てられるのを待つことになる。何週間もそこで役目を終えたそれが視界に入るのが、つらい。
ほんとうにきちんと役目を終えていれば、平気なんだけど、まだ使えるものがゴミとして置かれてあるのを見るのがつらい。
ちらりと姿が見えるたびに、なんだかとんでもない殺生をしているような気持になってしまう。

そんなだから、きっちりとお役を終えていない者たちは永遠に私の手元に残ってしまうんだろう。

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近頃の流行らしい、シュッとしたお玉や(レードルというんだろうな)、すんとした菜箸を使っているお友達を見ると、素敵だなぁ、とほれぼれするのだけど、それと同時に、しゃっと心を切り替えてそれ以前のお道具をしかるべき日にゴミに出したんだなと思う。華麗な手元の奥に勇敢さを感じる。

ものを大事にしていると言えば聞こえはいいのだけど、私はたぶん臆病なのだ。
ものを大切にすることに対して特に美徳みたいなものは感じていないし。
ただ、捨てたり新しいものを得るという動作が、あまり得意じゃないというだけ。それはなんだか少し野暮だな、と思う。

とは言え、まだまだとうぶん、このトイレブラシは使えそうだし、使うんだろうし、この調子なら30年くらい生きると思う。トイレブラシ翁。

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