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ランニング教

ずっと、ランニングをしたいと思っている。
とあるブログを私は長く愛読していて、その管理人の彼女が1年ほど前からランニングをしているのだ。
私は彼女が第2子、第3子にあたる双子を産んでからの読者で、彼女がまさかの4人目を妊娠した時も、めでたく出産した時も、仕事を始めた時も、陰ながら応援させていただいている。
その彼女が、長い長い幼児期の子育てが少しずつ楽になって、ランニングを始めた時の衝撃といったらもう。
4人もお子さんがいて、しかしどうやら配偶者は子育てにあまり積極的ではなくて、資格を取って仕事も始めて、もう、もう、十分ですよ、読んでいるだけで瘦せてしまうよ、という暮らしの中でランニング????!!!!!!と心の中でしりもちをついた。
そして、そのランニングは健やかに続いており、最近ではハーフマラソンにも参加して、よい成績を収めたらしい。
まっくらい寝室の毛布の中で、精神的に拍手喝采、スタンディングオベーションした。

少し前、走りもしない配偶者に「向いてないんじゃない」と苦いことを言われたと書かれてあった。腐らずに頑張った彼女が眩しい。
そして、なにより、私が読者になって日が浅かったあの頃の彼女と、今の彼女はシルエットがまるで違う。すっかり健康的で、しゃんとした立ち姿がとても美しい。

さらに、私が大好きなニシハラハコさんも、ランニングを続けていると公言している。

いつの間にかハコさんも30キロとか走っている。かっこいい。
村上春樹以外のものをかく人々は、お尻が痛くなるほどずっと座っていて、走るとかそんなこと微塵も思わないと思っていたら大間違いだった。

ほら、ここまで読んだら、「走りたい…」ってなったでしょ。

*

というわけで、私は今、たいへん走りたい盛りなのだけど、なぜだか走っていない。
夫に「私、ランニングするわ」と宣言して、ランニングシューズを注文させた(夫は元靴屋なので、私の足元は基本的にお任せしている)のに開封される兆しもない。なんなの、わがままなの。
夏のうちは、こんなに暑くて走ったら死ぬかもしれないし、と思って自粛した。体力がないのに過酷な夏ランニングなんてしたら、いっそ体に悪いに決まっている。落ち着いて秋ごろに始めよう、と思った。
秋になってもしばらくは、南国三重県は暑い日が続くので、やはり危険は冒せないから自粛した。もっと秋が深まったら健康的に颯爽と走りだそう、と思った。私はこう見えて慎重なところがある。

さて、秋がうんと深まっていよいよその時がきた、と思ったのだけど、走るべき時間が分からない。
いったい何時に走るのが適しているのか。
秋が深まった今、朝がうんと冷える。こんな寒いうちから走ったら心臓に過剰な負担がかかるのではないだろうか。
「冬の早朝にランニングして、血がドロドロになったところへ風呂に入って死ぬ人間が多い」とずっと昔にテレビで医師が嘆いているのを観た。私は冬の早朝にランニングをするのだけはやめよう、とあの日、こころに誓ったのだ。
今、突然秋が急激に深まって、朝なんてほとんど冬だからランニングなんてしてはいけない。
では、昼間に、と思うけれど昼間は仕事をしている。
夕方は子どもたちの習い事の送迎や夕飯の準備で忙しい。
では夜に、と思うけれど、あなた、そんな、田舎の夜に走るとか、命知らずが過ぎませんか。外灯もないし、農道を車がびゅんびゅん抜けていくし、不注意な私はあっさり車にひかれてしまう。それに暗いとこわいし。イノシシとか出るし。

走るべきタイミングが見いだせない。見いだせないまま冬が目の前まで来ていて、だんだん不安になってきた。
私は、ランニングをできないかもしれない、という大きな黒い不安が頭の上でとぐろを巻いている。

*

ランニングをすれば、私もしゃきっと健康的になれると信じていたら、だんだん、ランニングがすべてを救うような気持ちになっていて、それがそのうち、ランニングをしないと救われない、に変化してしまった。
もうほとんどランニング教という宗教。
私はランニングという神にすがりたいのに、今まさに神に背こうとしているのだ。けど神にささげるお布施がないので、このままじゃ悪魔的なにかがやってきて滅ぼされしまう。

さっさと走ればいいのは分かっている。
まずはランニングシューズの箱を開ける必要があることも分かっている。なのにちっとも手が伸びない。
どうして私は走ることができないのだろう。
性根が腐っているのかもしれない。

そんなことばかり考えていたら、罪悪感と不安ですっかり疲れてしまって、ますます走りだせる気がしない。遠く聞こえる暴走族のエンジン音さえ、私よりはるかに勇敢な人間のあり方に思えて悲しくなる。
誰か手を引いて一緒に走ってほしい。
ほんとうは今頃、「走るって楽しい!走らないと落ち着かなくて」と日に焼けた顔で言っているはずだったのに。
一歩も走らないまま、もうすぐ冬が来る。



また読みにきてくれたらそれでもう。