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今井さんのレシピがすごくてね、

そもそも、肉なんてなんでもいいと思っていた。
健康な身体を維持するために、たんぱく質を摂取するツールみたいな感じだった。

その概念がぐるんとひっくり返ってしまった。

きっかけはTwitterだった。
私が食に関して全幅の信頼を置いている、ありのすさんがなにかにつけて「今井真実さんのレシピで~」とnoteを添付した呟きをしていたのだ。
食いしん坊なありのすさんが呟くとそれだけで、なんかわかんないけど絶対おいしいじゃん、な気持ちになる。
アイコンが胃袋だもん、信じちゃうな、信じるに決まってる。

*

この長い長い自粛生活で、なんとか毎日「うきうき」とまではいかなくても、「うき」くらいになれるトピックを探し続けていた。
お散歩であるとか、庭の雑草でスープやさんごっこをするとか、毛糸をなんとなく編むとか、それはもう毎日知恵をしぼっていた。
万策尽き果てた後半、とりあえず三食食べさせるこの義務にも「うき」トピを探したくなってきたのは自然すぎるほど自然。
ありのすさんのツイートで踊った心に正直に、どうれ、と今井真実さんのnoteを拝見した。

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なんなの!!と思った。
レシピが、なんだかとってもおおらか。
「なんでもいいです」「適当です」と、書かれてある。

私がいくつか見た中で、もっとも衝撃だったレシピは「茹で豚」。
見たほうが早いのでこちらを。

「どちらでもいいです」「仕上がりにそこまで差は出ません」「適当で大丈夫」

この寛容さ。こういう風に育てられたかったし、そういう風に生きたい。レシピを読んだだけで、こんなに生きていることを許されるような気持になっていいのかな。
教会のミサとか行くとこんな気持ちになるのでは。

そして、決め手は何といっても、圧倒的においしそう。
今井さんの夫さんが撮っている、写真の美しさもはもちろんなのだけど、肉を切ったときの断面。あのほんのりした愛らしいピンク色を「今井ピンク」とか呼んでもいいんじゃないかな。
肉なんて、ほとんど摂取すべき適正量を体の中に収める、くらいにしか思っていなかった私の食指が急旋回で動いた。
ときめきを胸に、生まれて初めて肉屋で塊肉を買わせてくれたのは、間違いなく今井ピンクの所業。

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とっておきのデビューはローストビーフに決めた。
Twitterでの人気にあやかった。あっちでもこっちでもみんながつくって、美しい断面でタイムラインを賑わせてくれた。
いざ肉屋で「ろ、ローストビーフ用のお肉を」と声に出すだけで胸が高鳴った。なんなの、この芦屋のマダムみたいなセリフは。私の口から出た単語だとは思えない。
肉なんて、グラム67円の豚小間が最高正義と思っていたあの日の私はどこへ行ったんだ。牛肉を!塊で!しかもスーパーではなく肉屋で!!!買っているというこの事実。天変地異くらいの衝撃。

今井さんのレシピはとにかくおおらかで寛容だ。
このローストビーフに関しても、こんなに簡単にできて大丈夫でしょうか、と思うくらい簡単だった。手順が少なくて、とってもわかりやすい。
ほとんどほったらかしでできてしまったのに、いざ切ってみると断面は眩暈がするような鮮やかなピンク。自宅のキッチンでかつてこんなにテンションが上がったことってあったかしら。
子どもたちが私の歓声を聞きつけて集まってくる。かわいいおててがひとつふたつと忍び寄って、肉を口へ運ぶ。そろいもそろって、目をキラキラさせて声にならない声を上げていた。
なんだ、このエンターテイメントは。肉の塊ひとつで、こんなにはしゃげるなんて知らなかった。新しい扉の向こうに足を踏み入れてしまった。

そもそも私は、同時にいろんなことをすることがとてもとても苦手で、ただでさえ同時にあれこれつくりながら、子どもたちに呼ばれたり対応したりして頭がパンクしそうになっているのに、ここで??レシピを??読む??みたいな気持ちになるのだ。
どこかひとつでも読み落として、気がついたら訳が分からなくなったらどうしようと不安が走る。
レシピはながらく、読み物としてながめて、その味を想像するもの、になっていた。指南書ではなく、あくまで読み物だった。

ところが今井さんのレシピといったら、あまりの簡素さとおおらかさに「作るしかない」と思わせてくれる。俺にもできるぞ、と思えてしまうこの現象なんなんだろう。そして、実際できたし、家族みんながお祭り騒ぎになるし、自分に対する評価が爆上がってしまった。
例えるなら、少女漫画とかでありがちな、「メイクをしたことがなかった地味な女性が、イケてる友達にキラキラしたお化粧をしてもらって、目を開けたら鏡に映る新しい顔…『これが…私…??』ってなるやつ」。

豚小間と並走してきた私が、でかい肉は煮込むしか知らなかった私が、断面ピンクのおいしいお肉を調理できた。
これは完全に未知なる私との、新しいエンターテイメントとの、出会いだった。

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ローストビーフを皮切りに、ベーコン、焼き豚、人参の唐揚げ、を今日までで作った。
どれも、え?と思うほど簡単で、ええ??!と思うほどおいしかった。

いつだって常備してある人参。こんな顔があるなんて知らなかったよ。食卓に出せば飛ぶように売れる。

ずっと家でベーコンを作ってみたかったの。
チャーハンに入れたらおいしすぎて何事かと思った。

これをつくらないで死ぬのは、ほんとうにもったいないくらい。
一生に一度でもいいから作ってみたらいいと思うの。
たったこれだけの材料で、たったこれだけの手順で、こんなにほったらかしといて、こんなミラクル起こる???ってなるから。
この衝撃体験をぜひ。

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肝心の茹で豚を作ってないんかい、と思われてしまいそうなんだけど、実は茹で豚はレシピを読んだその日に、すぐさま作りたくなって冷蔵庫を開けたら、仲良しの豚小間しかなくて、真実さんの「なんでもいい」を拡大解釈した結果、豚小間でつくったのだった。
豚小間をレシピのように茹でて、いろんなお野菜を冷蔵庫に同じくあったレタスで巻いて食べた。
もちろん、レシピにあるような塊肉が最高だとは思うのだけど、豚小間でも十分おいしかった。ゆで汁もスープに使った。それもまたおいしかった。
次回は、豚バラ塊肉でこちらをもう一度作ろうと思う。
きっとまた、家族みんなで歓声を上げてはしゃぐんだろう。
巻いた食べ物(タコスとか、手巻き寿司とか、生春巻きとか、サンチュに巻いた焼肉とか)全般とお肉が大好きな長女のほくほくした笑顔がもうすでにそこに見えている。

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ここ数日、鬱屈した気持ちで暮らしていた。
なんかもうだめだ、みたいな気持ちにさえなった。なんもかんも空回って、何をやってもうまくいかないし、水筒のパッキンは忘れるし、息子は家の中でサッカーボール蹴っ飛ばすし、送迎の時間は間違えるし、ひっくり返って駄々をこねて泣きたかった。
そんな中、二日前に仕込んだ焼き豚を切った。
二日前の私から、最高のプレゼントだった。
トースターで焼いている間から、いいにおいがする。
子どもたちが「いいにおい!」って叫ぶ。カットし始めると、「早く食べたい」と大はしゃぎして、タレで煮詰めたタケノコと一緒にどんぶりにしたら飛び乗るように着席してくれて、掻っ込むように食べてくれた。
「ほかのおかずも食べてね」
いつもならとげのある言い方になるそうな言葉も、なんだかまあるく響いてしまう。
きれいなお肉のピンク色と、子どもたちの食欲と、あまくてやさしいタレの味と、ぜんぶがおいしい夜だった。

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