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山梨記とおまけの町田

少し前に仕事で山梨に行っていた。
ここ数年お仕事をさせていただいているメーカーさんの新商品にまつわるインタビュー取材だった。
詳細は省くけれど、とりあえず私が特筆したいのは、山梨にはどでかい山があったということ。
ほんとうにそれはそれはでかい山だった。
「でかい」という言葉はこういうときに使うんだなとしみじみ実感するほど、ほんとうにほんとうに、それはそれはでかい山だった。

三重県の津駅から甲府駅は永遠に到着しないのかと思うほど、はっきりと遠くて、長野をひたすら抜けていく間、到着のことはいったん考えないようにしていた。
私は今、電車に揺られることが本分ですよ、と思うことで無為な時間を過ごしていないと思うしかなかった。
子どもが生まれてからというもの、私にとって長距離移動とはだいたい家族旅行か帰省で、やかましさとせわしなさのボディーブローだった。
なのに、今回は単身の長距離移動である。
大きな大きな余白の中にぽつんと置かれたような不思議な気持ち。

そんな中、電車の車内から見た山がでかかったのだ。圧倒的なでかさ。
あれは長野から山梨に向かう間だった。
車窓から見える景色に巨大な山が、しかもぬらぬらと長く連なっている。
人生で一度も見たことがない、あまりに大きな大きなほんとうに大きな山だった。

その異次元の大きさに度肝を抜かれてしまって、子どもみたいに窓に張り付いて景色をずっと見ていた。
子どもたちにも見せたいと思い、スマホのカメラで撮ってみたけれどやはりと言おうか、その強烈な存在感はスマホの画面には収まりきらなかった。

*

誰かにこの感動を伝えたいと思った私は、ライターで友人の吉玉サキさんにメッセージを送った。
彼女はかつて長野県の山小屋で働いていたことがある。

サキさんからすぐに返事が届き、山のふもとは日没が早いということを教えてもらった。サキさんは山のふもとでも働いていたことがあるらしい。

そうか、こんなにこんなに大きな山ならば、ふもとの町はさぞかし暗いことだろう、と事実に納得しながらも納得できない。
決して動かすことができない山のせいで、暗い場所で暮らすというのはどうも理不尽な気がしてしまう。
それでも、地域に根を下ろして暮らすということは、理不尽も背負って、理不尽に腹を立てず、それ以外の部分に感謝をして、日々を紡ぐということなんだろう。
私は日本で最も晴天が少ないと言われる県の出身だ。
だからと言って、そのことに駄々をこねる人はもちろんいなくて、みんなそういうものとして、理不尽を笑いながら暮らしている。
げんなりするのはほとんど、外から見ている人だけだ。
暮らすとは、そういうことだよな、外の人間が余計なことを思うものじゃないよな、とでかい山を見ながら思った。

*

ようやく甲府駅に着いた頃にはとっぷりと日が暮れていて、すぐに夕飯を食べることにした。
なにかおいしいものを食べに行こうかと思ったけれど、移動ですっかり疲れてしまって、騒がしいところで食事をする気になれない。
駅ビルをウロウロしていたら、成城石井が目に入る。
お弁当コーナーには洒落たダイニングのようなお惣菜がずらりと並んでいた。
私が暮らす津市には成城石井もタリーズもロッテリアもない。
甲府、都会であるよ。

大好きなナシゴレンと豆と野菜のマリネを買った。
他にも美味しそうなものがいっぱいあって、ああ胃袋がもっと頑丈で大きければ、と思った。
そんなとき脳裏に過るのは、ありのすさんのこの 名言 。

お腹はさほど空いていないが、気合いで食べられなくは無いのでは?

この精神で生きていきたいのに、私の胃袋はまったく脆弱だ。
仕方がないので、いつだって身の丈に合った量を食べるしかない。

ホテルのテレビをつけると、大好きな「世界ふれあい街歩き」をやっていた。ホーチミンの街並みを眺めながら、ナシゴレンをもりもり食べた。幸せ。

少し仕事をして、お風呂に入って、ひとりだと時間がゆっくり過ぎていって信じられない。あれもこれもしても、たっぷりと時間があるよ。
広いベッドで両手を伸ばして寝た。

*

2日目

ホテルで朝食を摂ったあと、ロビーで昼前まで仕事をする。
12時近くに慌てて、ありのすさんおススメのやつどきへ。

お土産を少し買って、ついでにやつどきの2階でお昼ごはんも食べる。
さくっとカレーを食べて、取材先の会社の方と合流。現場へ移動する。

移動の間も遠くに見えるでかい山のことばかり見てしまう。
ああ、でかい。ほんとうにでかい。

甲府の町に立ちはだかる要塞みたいにでかい山を見ていると、この山の向こうに行けるとは誰も思わない時代がきっとあっただろうな、と思いを馳せてしまう。でかい山がそこにあるという不思議がいっこうに体から抜けない。

インタビューを無事に終えて、帰路につく。

*

往路は長野経由で甲府入りしたのだけど、みどりの窓口で相談したら横浜経由をおすすめされた。
横浜線に乗り換えてしばらくしたころ、車内の電光掲示板を見ると「町田」の文字が。
町田と言えば、吉玉サキさんの町だ。サキさんは町田に関するエッセイをいくつか書いている。

思いついて、サキさんに連絡をして、町田でぶらり途中下車。
町田が思いのほか都会でびっくりした。めっちゃ人いるじゃん。

サキさんがよく行くという日高屋へ。

小一時間ほどだったけれど、あれこれとおしゃべりをして、お別れした。

私とサキさんは知り合って6年ほどが経つけれど、実際に会うのはこれがたったの2回目。だけど、その間にも何度かオンラインでおしゃべりをしているのでちっとも久しぶりという感じがしない。

「いよいよ40歳になってどこもかしこも年下だらけだし、たぶん大人の人だと思われてるし、できないふりができなくなってきて震える」

みたいな話をした。
鏡を見ると、まるで大人みたいな見た目をしている自分が映っていて、ぎょっとするこの頃ですよ。

サキさん楽しいひとときをありがとう。

*

町田の余韻を残したまま、ひたすら三重を目指す。
行きは遠いと思ったけれど、帰路はあっという間だった。

着かないかもしれないと思うほど遠かった甲府出張だったけれど、終わってみればきちんと充実していて、行ってよかった。
なによりも、仕事が大変はかどった。

甲府のあのでかい山をいつか子どもたちにも見せたい。
また行きたい、甲府。





また読みにきてくれたらそれでもう。