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不便なお家とパントリーの話

先日、夫がパントリーの中に棚を作ってくれた。

数日が経った今も、感動がすごくて、用もないのにパントリーを開けて「ああ、棚があるなぁ」と思ったり、「物がきちんとおさまっているなぁ」と感動したりしている。
ものすごくうれしい。嬉しくてこれを書いている。

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というか、今までパントリーの中がいったいどうなっていたの、という話なのだけど、半畳ほどのがらんどうの中に結婚した時からずっと使っていた大きな棚を中に突っ込んでなんとか凌いでいた。
なんだけど、この棚がパントリーを開けて正面に配置したいのに、その向きでは間口の広さの都合で入れることができず、仕方なく、縦にして突っ込んでいたのだ(分かる?)。
正方形風のパントリーなんだけど、扉を開けて左手に横長の棚が縦におさまっている感じ。私はパントリーに薄い身体を突っ込んで奥のものを取ったり覗いたりして暮らしていた。5年も。

たまらなくものすごく不便だったんだけど、不便って恐ろしいことに生死にかかわらなければそこそこ慣れてしまうもので、そのうち、「まあ、これもこれだよね」という気持ちになってしまった。

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保育園児だった頃、ひとり1冊配られる月間絵本と呼ばれる薄い本があって、毎月、その季節や暦に応じた読み物と、小さな物語が収載されていた。
その中で、とてもよく覚えているお話がある。
ぶた君とうさぎ君の不便で窮屈な共同生活を描いたもの。彼らは小さな小ぬさな家にぎゅうと身を寄せ合って暮らしていて、いつか大きくて広いお家でのびのび暮らすことを夢見ている。
それがある日、ご先祖様が書いたらしいお手紙がはらりと現れて、それが「〇月〇日家がたくさん降ってくるよ」というものだった。
それを見つけたうさぎ君は飛び起きて(夜中だか朝だったか、なんしか寝ていた)、ぶた君を「おきろ、ぶた!!」と言って叩き起こすのだ。
今の暮らしから抜け出したい彼らは、満を持してその時を待つ。
そして、手紙のとおり、家はやっぱり降ってきて、しかもそれはどれもこれも、とてつもない大豪邸だった。
なんとかして、その家々を手に入れたい彼らなのだけど、非情なことに家々は、降ってきたにもかかわらず、ふわふわと浮遊して空に還っていこうとする。ぶた君ももうさぎ君も慌てて縄と杭を持ってきて、家に縄を括り付けて飛ぶのを引き留めるのものの、大きな家たちはとうとう空に還ってしまう。
彼らが手に入れられたのは、今まで暮らした家よりも小さな家、たった1軒だけだった。

なんど読んでも、お城みたいな家が発光しながら降ってくる様にとても高揚した。だってこれで窮屈な暮らしから脱することができるし、夢のような快適さが手に入るのだ。
私だったら絶対に薄紫に光るこのお城がいいな、と読むたび思っていた。

けっきょく、ちいさな一軒のおうちを縄と杭で地面に括り付けて、ぶた君とうさぎ君はまた窮屈な共同生活を続けることになる。
最後のページでは、狭い家の中が小さなベッドとハンモックだけでぎゅうぎゅうになっているのだけど、ぶた君とうさぎ君は安心しきった様子でそれぞれベッドとハンモックで眠っている。
私は読むたび落胆して、でも快適そうなふたりの表情に安心もした。

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引っ越して新しい暮らしを始めるといつもこの話を思い出す。
暮らしはいつも劇的に変化することはなく、箱が変わってもたいてい中身はおんなじだ。
いつもがっかりするほどそれなりに不便で、それなりに窮屈だ。
でも、いつも拍子抜けするほど、不便は不快ではなく、馴染むほどに暮らしは快適にもなる。
使い慣れた道具みたいに、ちょっとした癖や面倒を引き受けて、こちらが合わせてあげられるのは、なんだか暮らしを使いこなしているみたい。

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そんなふうに、ずっと面倒を引き受けて、けれど決して不快でもなく、少し不便な家で厄介なパントリーと5年も暮らしていたんだけれど、インターネットの契約を変更することがまさかの転機になった。
我が家の電話線はパントリーに引かれてある。インターネットの契約を変えて、最新のスーパーモデムに変わったら、パントリーの棚の下にそれまで格納されていたモデムが大きいものになってしまったのだ。
棚の下部にスーパーモデムは収まらなかった。なんてこった。

どげんかせんといかんというわけで、パントリーの中身を全部出して、あらあらと首をひねることになった。
すると休日だった夫が、いつか話していた棚を作ろうじゃないか、と立ち上がった。
パントリーの中があまりに不便で、いつかこの中に棚をしつらえて、快適なパントリーにしましょうね、と我々は幾度となく話していたのだ。

あっという間にあの魔窟みたいだったパントリーがとてもお行儀がよくなった。ほんとうに瞬く間のできごとで、これまでの5年がなんだったのかと思うほど。
そして、パントリーからは期限がとうに切れた経口補水液がぞくぞくと出てきた。ああ、経口補水液が突然にたくさん必要になる暮らしをそういえばしていたね、とかなたの日々を思ったりもして。勿体ないことをしてしまったなあと思いながらも、それはいつかの我々の化石のようだねと思ったりもした。

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あのぶた君とうさぎ君が、小さなおうちの中を彼らなりの住処にちゃんと仕立てて九十九折で眠っていたみたいに、窮屈さの中で快適に暮らすのは性に合っている気がする。
ほんのちょっとの気合と工夫を繰り返しては不便なこのお家で末永く快適に暮らしていきたい。
つまりなんの変哲もない、ただ棚板がまたがったパントリーなんだけど、そんなひと手間を経てものすごく最高になったし嬉しいよってこと。


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