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人と人を繋ぎ止めるものは何か

どうも皆さんこんにちは

死にかけの人を平気で見捨てていく冷徹非情な軍人こと、うつ病と生きる青年と申します☆"

自分以外の為に生きる理由はもう無いのだ。
ゲスの極み乙女というバンドの曲で「私以外、私じゃないの」という歌詞がありますが、まさにそれで。

人に関心を持たない、依存しない、期待しないことは本来難しいことだと思います。というか考えたことすらない人の方が多いのではないでしょうか。

なぜ、いきなりこんなことを言ったのか。

それは人は無意識的にこの3つのことを「する」ことで生きているように感じたからです。

人に関心を持つし、
_________________________________

と、

ここまでが8月18日に書いて筆をとめていたブログだ。



今日は12/4(土)、ついにこのブログを書き落とすタイミングがやってきた。


人と人を繋ぎ止めるものは『好き』だ。

あくまで繋ぎ止めるものが多くある中での1つにすぎないけど、強くそれを感じたので続きを作ることにした。


TikTokライブで突然コラボ申請がきた。

コラボライブになると画面が半分ずつになって相手の人とビデオ通話みたいになる。

いつものことではあるが、相手が話し始めるまで僕がスタンスを変えることはない。
コラボになっていても普通通りライブを続けている。

世の中の普通に当てはめると
このコラボを承認した状態でどちらもしゃべり出さない、そしてお互いが好きなように配信をしている状況というのはまあまあ常軌を逸している。


どうやら相手は男性の撮り鉄さんだった。
鉄道マニアの中でも電車を撮るのが大好きな人。


しばらく駅のホームの映像だけが流れた。
少し顔が映ってから電車が通り過ぎるのを観て、お互いが延々と感想を述べていた。



いつの間にか僕たちは会話していた。
特に何があったわけでもなく、普通にもともと友達だったかのように話していた。


なんと、そこに挨拶はなかった。


「はじめまして〜、何されてる方なんですか?」
とかそういういわゆる社交辞令とか、当たり前にやるらしい初対面同士の交わしものは一切なかったのだ。



僕は自分を無理に良く見せようとする人があまり好きじゃない。
どちらにしろその人はその人でしかない。

良く見せようとする行為が価値を下げているように感じることもしばしばある。
(しばしばとか使ったことない)



今から全然別の話をします。




数年前 僕の職場で、隣の部署に男の子がいた。

仕事が全然できなくて、女上司達からボコボコにやられていた。
彼は5つくらい年下だったが、僕はずっと仲良くやっていた。毎日「来年こそ辞めます」とか言ってた。

彼は人の言っている感情論みたいなのが理解できないようだった。それがまた同僚の怒りを刺激し続けた。


そのうちロッカーで1人昼ごはんを食べるようになり、昼休みも全てロッカーで過ごしていた。
生きづらさが全面に丸出しでめっちゃ好きだった。


彼は全く分け隔てもなければ文句を聞いてくれる唯一の別部署の先輩だった僕によく懐いていた。


ある朝、出勤した僕と仕事をスタートした彼とすれ違った。

「おはよー」と挨拶をした時に
彼は一言も発せず完全にスルーして歩いて行った。


「おい、ちょっと待て。なぁ?挨拶はしとけ」

「俺はええねん、お前がどんな奴か知ってるから。やから俺にはいらんけどな、他の人は許してくれへんで」

「死なんために挨拶はテキトーでもしとけ」

彼は難しそうな顔で斜めに頷いた。


社会で生きるためには挨拶が必須になる。
挨拶さえしとけば、の世界でもあるし、挨拶ができなければ詰む世界でもある。



ついに
彼は僕たちの部署と彼の部署が絡んだトラブルを起こしてしまい、話し合いになった。

その時も終始攻め続けられていた。

僕は言い分も何もかも理解しようとしない彼の部署の同僚たちを睨んでいた。

「言いたいことは分かりますけどね」
としか言わなかった。
僕が話せば分かってもらえるとか、そんな次元ではなかった。

多分、やっぱり彼の世界はここではないと思った。
そして彼は次の年に辞めて地元に帰っていった。


それからもよく連絡をよこしてくれた。
明らかに楽しそうな文面で、あ〜やっぱり環境って大事やなぁとか思っていた。



先月、僕の診察の日、主治医から彼の話を聞いた。

「知ってる?あいつ結婚してんで!」
僕は自分の職場で診察を受けている。


彼は病棟の鬼ポンコツ看護師の女の子と結婚したらしい。
その女の子もまた、死ぬほど彼と全く別の面で鬼ポンコツだった。

ガッテンがいった。
あー!!!合う合う!合うやろなー!!笑
といった感じの2人なのだ。


デコとボコがカチッと!

パズルみたいに2人はぴったり合ったんだと思う。
補い合うように。膨らんでいくように


そういえば、彼は野球がとにかく好きだった。

おかげで自分の部署以外では人気者だったのだ。

いつも眉毛をハの字にしたような顔で申し訳なさそうに生きていたが、餅つき大会ではその謎の餅つきの技術にみんな魅了された。

彼は地元で毎年餅をつき続けてきた猛者なのだ。




話を戻そう。



TikTokのコラボライブの終わり方はこうだ。

この電車観たら終わろうかな〜。と男の子が言い
みんなで一緒に最後の電車を見届けて、何か言葉を交わすこともなくスッと終了した。


もちろん


そこに、挨拶はなかった。



挨拶を必要としない世界。

挨拶なんて重要じゃない世界。


『好き』だけで繋がれる世界がここにある。

『好き』さえあれば繋がることを体感した。


コミュニケーションが不器用とかそんなことは一般的な社会でだけ悪いとされる

そうじゃない世界で生きたり、創ればいい。




『好き』は最強クラスのコミュニケーションツールだといえる。

上辺を無視してすっ飛ばして、こころの真ん中まで届く


『好き』を表現する場所があることは、生きやすさに直結するような気がする。

連結した電車のように何両にも連なってキレイな色で夢のようなスピードで駆け抜けていく。



僕とさっきの男の子が交わることは2度とない、かもしれない。
でもそんなことはどうでも良くて僕たちは繋がった。




人と人を繋ぎ止めるものは『好き』だ。

今日の僕が見つけた大切っぽいこと。



2021.12.04 うつ病と生きる青年

(小田急線は停車が上手い)

サポートしていただいた収益は全て今後の青年さんの活動時間および、敷金礼金への支払いに使わせていただきますことををををををををを。