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自分らしさの表現を忘れかけている

自分らしさへのこだわり

昔から「自分らしさ」というものにこだわりがありました。小学生のときには、その片鱗が見えていたように思います。同学年の女の子が皆ピンクの浴衣を選ぶ中、緑の浴衣を選ぶ自分。先生に体育委員長を押し付けられそうになったが、絶対に首を立てに振らず、やりたかった放送委員の座を手に入れた自分。そんな自分が誇らしかった記憶があります。人から与えられるものではなく、常に自分で選択したいという欲求が強かったのでしょう。

ビジネスは自己表現だった

そんな私ですら、社会に出ると自分らしさの表現が難しくなりました。社会に適応することに従事し、そこからはみ出ることが怖いのです。どこかに行き詰まっていく感覚がありましたが、自分らしさへのこだわりは忘れかけていました。そんな中、縁あって新規事業を立ち上げる機会が巡ってきたのです。

組織に属することしかしてなかった私は、全てが初めてのことで訳がわかりませんでした。自分なりの方法で事業を進めていきましたが、うまくいきません。そこでふと思ったのです。新規事業は、自分の持てる能力、知性、人脈などのリソースを使った自己表現だなと。自分の軸がぼんやりしていた私には、何を表現して良いのかわからないままでした。

自分らしさが不要な社会

普通のサラリーマンになると、自分を表現する機会が減ってしまいます。上司や会社からやるべきことを提示され、それをひたすらこなしていくことに慣れると、自分らしさは必要ではなくなります。解決すべきことがたくさんあった時代は、それで良かった気がします。ある程度豊かになった現在は、会社自体もやるべきことを見つけることが難しいし、個人が心から納得してやるべきことも少なくなっています。

そうなると途端に空虚になるし、毎日の充実感が減っていきます。しかし、急に自分のやりたいことをやれと言われても、何からやっていいのかわかりません。何から始めればいいのか、その糸口がないのです。

自分を表現する練習をしよう

私は、少しずつ自分を表現する場を持つことじゃないかなと思っています。文章を書く、人に考えを伝える、音楽を演奏する、そういったちょっとしたことで良いと思います。意識的に行うことで、自分の輪郭を明らかにするのです。表現したら、そんな自分を眺めて見ると、自分がなぜそれが好きなのか、なぜやっているのか、自分らしさを構成する価値観がはっきりしてくるような気がします。

私の場合は、文章を書くという表現が好きなようです。自分の考えを可視化して、深めることが楽しいと感じています。持論を持つことで判断がしやすいし、人にメッセージを伝えやすくなります。

自己表現から知性が生まれ循環する

一人ひとりの自己表現が増えると、そこからたくさんの知性が生み出されていくと思っています。その知性をシェアして、循環させて行くことで、人の考えはより成熟するし、自己表現の質も量も高まっていくのではないでしょうか。

実際、自己表現が上手な人は、発するメッセージや生み出すものに魅力がありますし、人を惹きつけます。それらを受け取った人が、自分の脳内と組み合わせ、また新たな自己表現をして、知性を生み出す。そんな循環が生まれると、とても創造的なおもしろい社会になるな、そんなことを思いました。

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