買わないものは買わない

前回のnoteです

エコロジーと無料のツケを払うのに何年掛かったか考えたくない話|パグすけ #note https://note.com/pug_32/n/nf4b865c9ed3c

ここで「貰うことも愛だと思っている」と書いた。

私は長女で弟一子なので、ご縁がなければお下がりやお古を貰うことはあまり無い子だった。だからかわからないが衣類や文房具を貰って新品でないモノで済ますことに基本的に抵抗が無い。

私の両親はともに長男長女でなく、ついでに言ってしまうと昭和10年代に生まれているので、物質的に恵まれない時代に大正以前に生まれた大人に育てられたためか言うほどモノを捨てる人ではなかった。祖父母はもっとだった。それでも父はよそ様がお古を下さることを喜ばなかった。母はそんな父に気を使った。

後から知ったが、正直貧乏暮らしだったと思うのに父方の祖父母達はその生活を不思議がっていた。早くから着回ししやすい服など教えてくれたりたまには衣類もプレゼントしてくれた。不思議がって母を怪しんでいたことを大人になってから知った。子供目線からの贔屓目でなく心外だった。

私は母も祖母達も、なんなら父も祖父も器用な方だったので自然と針や編み針を持つようになった。買えないなら作れば良いことも他の子より早く知った。
母を人知れず悪者にした父はそんな娘を喜んだ。このことについては喜ばせたかった訳じゃねーよと思わなくもない。

月日は流れ今でいうハンドメイドが最もダサい時期に社会人になった私はプロ並みの腕なんか持っていなくて、それでも「このぐらいなら買わんでもええか」と思うものは作っていた。我が家は子供にお金を掛けない家だったので、自立しても結婚するまでテレビが無かったことも前回までに書いた気がする。書いて無くてもテレビは無かった。

祖父母の家を継いだ叔母はこの言い方を嫌がったが、祖父母の死後に遺品を減らすこともしているようには見えず、今ほどではないが既にモノが溢れて見えた。「余ってたら」と言うと大変嫌がった。母の娘と思ったからかまだ兄弟親戚の出入りが多かったのか暮らすのに十分な量の食器やリネン類はくれなかった。それは実家も同じことで、今のように百均が店舗を構えることもない時代で若いなりに難儀したのを覚えている。

更に時は流れ、両親は離婚、どちらの家も無いと言う割にモノはそれなりに増えていき、叔母の家も同じように見えた。私も後に離婚したが、更に更に時が流れ私の子供達が巣立つ時にはさすがにいろいろ変わって食器から衣類やら使いきれなくなったものを「好きなだけ選べる」だけくれた。しかしそれで一掃出来ない量が残った。

今年、母が引っ越したが新居に運ばず業者に託した総量は目分量だがまるまる残せば次の人がそのまま暮らせるほどあった。惜しんで捨てず譲ることもしなかったツケを業者に払う。アホらしいと思ってしまう。
私が貰うにしても運びきれる量ではなかった。定期的に促してこうだ。定期的に食器を割る欠けさせるそそっかしい人がいないのに「貰えるものは貰い続ける」からこうなる。衣類も同じことで、私が貰っても運びきれなかったモノが(まだ処分していなければ)母の新居に有る。

叔母の家はおそらく母の場合の倍以上有る。伯父夫婦も叔母もそれなりに冠婚葬祭に忙しい程度に人付き合いがあり、新品が新古品になって山のように有る。叔母の場合、伯父夫婦が使いきれない引出物や香典返しを祖父母に叔母にと次々持って来たらしいので一人暮らしになってからはますます使いきれない。なのに何故惜しむのか。聞いて呆れたが父と伯父の仲が悪かったかららしい。

父は私と同じ心配もして、叔母の家のモノを引き取るつもりで今の私と同じようにちょこちょこ消費していたらしい。しかし最初の方で書いたが元々母が怪しまれていて、特に伯父は父も怪しんでいて、とこれも後から聞いた。叔母も遂には伯父が何らかの新品を持ち込むのを断って、ようやくモノが勝手に入るのを伯父からは防いだらしかったが、そこで終わらないから今も私が心配する。

母も叔母も「断ると次が無いから」「病気や災難以外ならとりあえず」「使えるものなら」断らず貰う人付き合いの仕方で今日も暮らしている。聞けば成る程と思う。責める気にはならない。買わずに済むのは助かる年齢と収入になってもいる。しかし処分は重たい。面倒で億劫だ。

という訳で、私は要らないモノは要らないとはっきり言いながらも欲しいモノは欲しいと言うことにした。
子供達は母や叔母のお古を着ると大変嫌々渋々とにかくお気に召さない。特に母の衣類は似合わないと仰る。
似合わないと言われたら処分しても惜しくないだけ集まるので、一度着て見せてそれきりというのも沢山あった。素材から私に合わないものもあって、仕方ないとも言える。

以前、引っ越す訳ではなかったけれども我が家で倉庫など一掃するのに業者を呼んだことがある。元夫が捨てたことになっていたモノが全部詰まった倉庫のおかげで家の中のモノは半分も処分出来ず、どうしても個人でボチボチ捨てられないモノ(家具や家電品、タイヤなど)だけ頼んで、それでも他人に言えない金額になった。母は引っ越しに組み込んだから安く済んだが叔母の場合は量が倍以上は有ろう。心配にもなるわ。おそらく5倍はと予想している。

誰だって働いてようやく買ったお気に入りや思い出の品を、モノが溢れ片付けられないなどの弱味につけこんだように欲しがれば嫌なものでしょう?そういうのは欲しがらない。むしろそういうものは積極的に使ってほしい。しかし、あまりにモノが溢れるとお気に入りは遠ざかる。そういう法則が有るとしか思えない。

皆様は「は?関係あるの?」と思われるでしょうが、我が家では関係あるから言ってしまうけれど、私の学生時代の家庭科の成績は1とか2なのね。だから貰えるというのもある。「失敗したら捨てても良いものを私と孫にください」が我が家では通用する。
そういう訳で、“何枚あっても困らない“たまに買っちゃう”ものを欲しいと申し出て貰ってきた。コロナで自粛中もずっと言っていた。思い出の中では押し入れの中はそれで詰まっていると思っていたが、そんなにはないと呆れられつつ。古いものは捨てたらしく、記憶に残るものは無かったけれど、それでもエプロン割烹着合わせて10枚ぐらい。叔母が今後も使うものを残して10枚。あとポーチとハンカチのセットに今後は使わない新品の靴下1足。割烹着は直しても着るがエプロンは着ずにリメイクするものが殆どというのは話した。ここに嘘は無い。

私と叔母は骨格が違うので、洋服はサイズが合っても肩が合わないとか難しく、3枚でやめた。叔母の体力や生活リズムに合わせると一度に一掃は無理だ。来月も行くよ。
今月はそれでも叔母が「これ嫌い」「もう入らない」とサクサク決めたので良かった。手伝えば進むのは本当に良いね。「もう着ないけど好き」なら思い出の品としてまだ解るが「いつか着る時が来る“気がする”」「傷んでないのに捨てられない」などの理由で保留にするものが多すぎると誰もが手に負えないはずだ。

ちなみに着るつもりで貰ったブラウスは今日着たし、夏至の日には赤い割烹着を早速着た。赤い割烹着は着てから思い出が蘇った。あと同じ色の布を当てて穴を塞いだ部分を見つけて嬉しくなった。穴をボタンステッチのように同じ色の細い糸でかがったのは名札のピンで傷んだのだと勝手に思っている。こうして大事に着た跡が見えるものを譲られて嬉しいと私は思う。
更に今日は自宅で処分に踏み切った衣類を資源ゴミに出した。素材によっては資源にならないとのことだし、思いきってしまえば燃えるゴミでも良いのだけど、どれだけの衣類を処分するのか可視化するのもとても良いと思う。年齢や趣味嗜好の変化で簡単に買い替えも処分も出来る気軽な時代において、衣類の扱いは軽い。このことを日本に住む人間としては考えることもある種の課題だと思ってきた。

そういう訳で、着ない使わないモノを処分出来ない人は他人から貰うことはいけませんよ。とはかろうじて言える。使い道の無いモノを保管する場所を持っていたとしても、管理出来ない人は所有することが難儀な時代です。処分もなかなか難儀です。だから「貰う愛」は頭も使うしパワーが要る。

買わないで済ますこともパワーが要る。買えるのに買わないパワー。片付けられない人が捨てられないのに買っちゃうのは買う方が楽だからでしょ。その場しのぎが楽な時代はみんなアホみたいに買うよね。DAISOやセリアを知らない人は日本にどれだけいるでしょう。利用した経験が無い人も。

若い頃に比べると私もそんなに貰わなくても買わなくてもそこそこ暮らせている。育児も終えたしね。
自分を見つめてどんな生活がしたいのかどんな衣食住が好きなのか向き合っていたら、節約でもケチでもなく古くなったものに命を吹き込むというか、使いきることが好きだと再確認したから私は買わないものは買わないで暮らせています。そういう暮らしが好きなのね。

ここまで読んで頂きありがとうございます。

よろしければサポートお願いいたします。頂いたサポートは記事で役立てたいと思います。