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ついにスマートフォンを手にした話とそれにまつわる昔話②

最近ようやく購入したスマートフォン。前回はスマートフォンがここまで世間に広がる前時代において、自分がどのように通信機器に振り回されてきたかについて少しまとめてみた。

今回はスマートフォンが世に現れて、現在に至るまでのスマートフォンを頑なまでに持たなかったその意味不明の孤軍奮闘っぷりから陥落までについて書いてみようと思う。


スマートフォン黎明期

広辞苑よりも気軽に調べることができるが、信憑性に少し欠けるネット辞書でスマートフォンと調べると、どうやらその発祥は1996年に発売されたノキアによる電話機能付き携帯情報端末になるらしい。ただスマートフォンを市民レベルにまで認知させたのはおそらくアップルのiPhoneであるとしても問題はないかと思う。

携帯電話に振り回される生活に疑問を感じながら大学院をどうにかこうにか修了する頃にはくだんのiPhoneの新作が徐々に出始めており、周りのアンテナ感度が良好な人たちの間で話題になっていた。そんな話題に取り込まれないのには理由があった。学位取得後に拾ってもらったポスドク研究員は半年のみの契約で次の職を見つけなければならなかったが、偶然見つけた公募に拾った宝くじが高額当選していたと同じくらい幸運にも採用され、ポスドク終了後にシンガポール🇸🇬にいくことになっていた(これについてはまた別記事で)。こんな状況ではスマートフォンに現を抜かすわけにはいかず、頭の中はポスドクでの研究とシンガポールでどうやって生き残っていくかだけで常時満員御礼。

シンガポールにはとりあえず日本で使っていた携帯電話を持って行き、日本で就職する当時お付き合いをしていた女性(今の妻)とはスカイプで連絡を取り合うことにした。正直シンガポールにいる間はこのスカイプに実家の次ぐらいにお世話になった。インターネットにさえ繋げば無料でしかもお互いの顔を見ながら会話ができる。時差もあってないようなものなので、昼間は互いに仕事に集中し帰宅すればスカイプで会話。こうなれば日本から持ってきた携帯電話の存在感は水墨画のように薄くなっていく。帰国時に解約し、その直後に当時同居していた日本人の子がスマートフォンに変える際に、彼のノキアの携帯電話をもらい、プリペイドのSIMカードでシンガポール国内の通信手段を確保。更には初めての賞与でiPod Touchを購入し、これでパソコンを持って行かずもネットされあればどこでもスカイプができるほぼ無敵状態になった。

それでも世間にはスマートフォンの波が押し寄せる。様々なメーカーから様々な機種が我先にとお披露目されていく。当時職場以外にも交流を持とうと日本人のとあるスポーツチームに参加させてもらった。チームのメンバーの90%はいわゆる駐在員で、現地採用の自分からすると到底住めないような住環境・休日の過ごし方などを謳歌しているように思えた。彼らの生活ぶりは眩しく、する必要のない比較をして心に影を落としそうになる。そういう駐在員の人たちが手に持っているのは当然スマートフォン。どこどこの機種がいいだの悪いだのといったような話を聞いていると、当時30歳になったばかりの異国の地で結果を出すために荒削りの牙を一心不乱に研いでいる研究者になりたての者にとっては青い反骨心に火をくべるかっこうの燃焼促進剤。自分はスマートフォンなど持ってなるものかとポケットベル全盛期に自分がとった行動をここで再びとることになる。弁明をさせてもらうと、チームのメンバーと仲が悪かったわけでなく、むしろ仲良くさせてもらいノルウェーにいる今でも交流は続いている。

スマートフォン全盛期?

自分がiPod Touchで満足している間にスマートフォンの機能拡大は加速度的に増してゆく。スマートフォンひとつでいつでもどこでも支払いができたり、銀行取引、航空券の予約、車のナビゲートなどなどスマートフォンさえあれば何でもできる時代になりつつあった。iPod Touchでできる機能もあったが、それはネットに繋がっていればの話で、スマートフォンと比べるとやはり制限がある。それでも持とうとしなかったのは万が一どこかに落としてしまったらどうしようという不安が大きかったからである。何でもできるスマートフォンは言ってしまえばその持ち主のほぼ全ての情報が詰め込まれており、一度誰かの手に渡ってしまえば悪用されることはほぼ間違いない。そんな不安が防波堤になり、スマートフォンを手にすることなく2014年にシンガポールからノルウェーに移動することになった。

ノルウェーはすでに脱現金化が進んでおり、毎日の支払いはほとんどカード。周りは当然のようにスマートフォンだが、ここノルウェーでも話す・簡単なメールを送ること以外に機能がないようなノキアの携帯電話を購入し、引き続き日本にいる妻とはiPod TouchやMac Bookに搭載したスカイプで連絡を取り合う日が続いた。妻がノルウェーに来た2015年頃にはVippsというノルウェー発の決済アプリが登場し、カードからスマートフォンでの支払いに徐々に移り変わっていく。それでも自分がスマートフォンにしなかったのは、妻が輪をかけて反・スマートフォンの旗印のもとに生活していたからというのが大きい。最新技術に疎いというわけではなく、彼女もiPadにスカイプやその他のアプリを入れて在宅時に必要最小限の使い方をしていた。それでも「ブルーライトを無遠慮に照射するスマートフォンを首から上が落ちそうな姿勢で見続けることが健康にいいわけがない」というのが彼女のテコでも動かぬ主張。さらにはソーシャル・ネットワーキング・サービスなどには見向きもせず、最新技術とはほどよい距離感。

時には同僚に「まだそんな化石みたいなの使ってんの?」と嘲笑われたり、スマートフォンを持ってないことを伝えると表現しようのない顔をされようとも、心の中でひとまず拳を握る程度で、特に苛立つこともなかった。ただノルウェーで新調したiPod Touchが更新されなくなり、20年の歴史に幕を降ろすことになる頃には自分のおよそ14年に渡るレジスタンス活動もいよいよ終幕の時なのかと感じるようになった。その決定打が先に触れたVipps。iPod TouchやiPadにもインストールは可能だが、このアプリを使うのは屋外が多く(つまりインターネットに繋げない)、最近ではVippsのみ受け付けるという場合が多々ある。息子が小学校に行くようになり学校のイベントなどで支払う機会が増えたのだが、そこでもVippsでしか支払いできない。そうなるとVippsを使えない我々は息子に我慢を強いることになる。自分たちの我儘で息子に惨めな思いだけはさせまいと、妻と相談しスマートフォンを購入することになった。

こうして14年の孤独な抗争の果てに人並みの通信技術を手に入れた。iPodやiPadなどで慣れていたこともあってか、特に真新しさはなく、最小限のアプリしかインストールしていない。今現在頻繁に使っているアプリは2人揃ってプリインストールされている万歩計で、その数字を増やすために日々歩きまくるというスマートフォンを使って健康が増進されそうな生活になりそうなのは、ある意味反・スマートフォンの名残りだろうか。



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