見出し画像

ついにスマートフォンを手にした話とそれにまつわる昔話①

先日、スマートフォンを初めて購入した、この2024年に。記憶が正しければ2007年頃にアップル社からiPhoneの初号機が発売されているので、それから17年。下の図が示すように、発芽期こそ国内普及率は10パーセントに満たないものの、2020年代ではスマートフォンを持たぬは人に非ずの烙印を押されそうなほど世の中はスマートフォンで溢れかえっている。その烙印を押す箇所がなくなるほどスマートフォンを持っていないことを言うとこれまで幾度となく驚かれてきたが、ついに廉価版ではあるが購入するに至った。

総務省による日本におけるスマートフォン普及率の推移。https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r04/html/nf104000.html

なぜ今までスマートフォンを持たなかったのか、なぜ今になってスマートフォンを持つようになったのか。自分の人生で経験してきた通信手段の変遷とともに少し振り返ってみようと思う。


ポケットベル全盛期

もしこの記事を読んでいただいている10代〜30代前半の方がいれば日本史の資料集でした見たことがないような通信機器、それがポケットベル通称ポケベル。ポケベルと略してもそんなに字数が変わらないではないかという疑問はさておき、自分の10代はまさにポケベル全盛期と呼ばれるものだった。自分と同い年の某超人気芸能人がポケベルのCMに抜擢されるや否や、瞬きよりも速く中高生に普及していき、気づけば田舎の公立高校にもかかわらず自分の周りは皆が持っている状態であった。ただ生まれ持っての性格なのか親の躾の産物なのか、皆が持っているものに対して欲しいとの感情は湧いてこず。校内に1つしかない公衆電話になぜ10分しかない放課の間に列をなして、友達のポケベルに暗号のようなメッセージを送るのだろうと不思議に思いながら購買部のパンを買いに行った思い出がある(注: 愛知県の学校では授業と授業の間の休み時間を放課と呼ぶ)。

こう書いてしまうと単に友達がいなかっただけでは?と思われるかもしれないが実に当たらずも遠からず。詳しくは自己紹介の記事を参照されたし。しかしこのポケベルブームも大学受験を控える1998年頃には徐々に次なる通信機器・携帯電話にとって代わりつつあった(田舎なので東京や大阪の時系列と比べると多少時間差があるかもしれない)。

携帯電話全盛期

大学は実家を出て関西の大学へ進学するため、さすがに連絡手段が必要ということで引っ越しの直前に母に携帯電話を買ってきてもらった。当時はJ-フォンと呼ばれる、これも若い方にとっては神話でしか聞いたことのない企業名だろう。受験勉強から解放され、初めての都会暮らしは田舎者の青年の内に秘めたるささやかなポリシーを狂わせるのに時間はかからなかった。とりあえず躍起になったのは連絡先の数を増やすこと。愛知県の田舎から関西の都会へ出ることで、交友範囲がビッグバンの如く広がった。学科内外の同期、バイト先の同僚、気になるあの子の連絡先など、ごくごく(当時の)普通の大学生の携帯電話の使い方で、脇目もふらず通り過ぎたポケベル最盛期に味わうことのなかった"繋がり"とやらを堪能する。

今となってはなぜあんなにもメールの送返信に一喜一憂していたのだろうか。メールの言葉足らずで斜め上の解釈にとられ関係がこじれたり、なかなか来ない返信が気になり眠れぬ夜を過ごすなど、どこか携帯電話に振り回されていた。それに気づいたのは大学院も修了間近になってのことだった。

続く。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?