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「アナと雪の女王」ー跳べ!マイノリティ!

 近頃、急に寒くなりましてアナ雪の季節ですね(?)みんな大好き金ローでも11/12と19でアナ雪1と2を放映するみたいですよ。私は1も2も大好きなので既に5回くらい見た。ところでこの作品、子どもが観て楽しい、ファンタジーもの、ディズニープリンセス映画でもあるのだけれど、大人の皆さまはどうゆう風に解釈されましたか?私はマイノリティ当事者に対する「Let it go(諦めろ)‼‼」という呼びかけだと思っています。

 エルサが雪山で独り華麗に歌い上げる「Let it go」は日本語版では「ありのままで」と訳されているのだけれど、個人的にはそんな明るいだけのニュアンスの言葉ではなく「諦めよう」くらいの意味で会話中で使われている印象です。「3年前、当時付き合ってた元カレが浮気したのが未だに許せない」「もう諦めなよ(Let it go)」みたいな感じで。英語ぜんぜん詳しくないけど海外ドラマとか観てるとだいたいそんな感じ。だからあのシーン、ずっと慎重に誰にも隠してきた自分の魔力をよりによって戴冠式の衆人監視の中で晒してしまい、「化け物!」と糾弾されながら間一髪逃げてきた寒い剣山で、エルサが「Let it go!」と歌いながらギリギリの緊張状態で保ってきた全て(途中で投げ捨てていく手袋、マント、ティアラはエルサの欲求を抑圧する恐怖、背負った重責、立場のメタファー)を遂に捨てていく、あの名シーンは湧き上がるような感動があります、私は。

 生来でも、生得的でも、マイノリティである者が背負う宿命として、共同体か個人(自分)かのトレードオフがある。共同体に所属して自分を抑圧するか、もしくは孤独になって自分を偽らずに自分の思うように生きるかという選択を迫られる。エルサは魔法が使える。これは諸刃の剣で、氷で様々な物を形作ってみんなを喜ばせられる一方で、アナに瀕死の重傷を負わせたような攻撃性も合わせ持つ。魔法の良い面だけを引き出すためには常にエルサ自身によるコントロールが必要になる。このファンタジー世界でのエルサの魔力を、現実世界での人の表現力に置き換えてみよう。芸術家は鋭敏な感覚と繊細な感性で素晴らしい作品を作る。しかし、才能ある芸術家は往々にして、常識から逸脱したり感情的に制御不能であったり周囲が見えなくなってしまったりして、家族や周囲の人間をことごとく消耗させ、傷付ける。あらゆる刺激に対して過敏な芸術家が周囲に迷惑をかけまいとすれば、戴冠を迎えるまでのエルサのように「隠せ、感じるな、(いい子を)演じるのよ(conceal it, don't feel it, put on a show)」と終わりのない努力をしながら自身を恥じて生きていくことになる。エルサの「Let it go」はそんな涙ぐましい努力をしているマイノリティ諸君に「そんな努力は止めてしまえ!」と発破をかけているのだ!

 まぁディズニー映画だし、ハッピーエンドにするために最後は「魔法を制御するのは愛よ」的な展開でエルサは魔力をある程度コントロールできるようになる。確かに、アナのことが大事でアナの笑顔のためなら頑張ってもいいっていうのは本当だけど、でもやっぱり常に魔力に気を付けていないといけないっていうのはエルサにとって大変なのも本当。っていう部分はちゃんとアナ雪2で言及されてます。

 心理的障壁があったり、人間の理解力、想像力には限界があるから、価値観の異なる者同士での争いはなくならない。争いが起これば、圧倒的に数で劣るマイノリティはあっさり負けて、その主張はかき消されてしまう。だからこそ今までは、マイノリティは共同体か個人かのトレードオフで共同体を取ってきた。しかしアナ雪がディズニー映画として作られ、大ヒットを収めたように、時代は多様性、個人主義の黎明期である。もうそろそろ「共同体を諦めろ!」って自分だけのための氷の宮殿まで走り出したっていいんじゃない?もちろん、長らく自分自身を恥じて殻に籠ることで安全を確保してきた人がそれをするのは、とてつもなく勇気のいることなのだけど。

 でも「跳んでしまえば何てことない」って私は思う。まぁつまり「案ずるより産むが安し」というところで…。「Let it go」の2番の歌詞でも「おかしいわね、ちょっと離れただけで全てが小さく見えて、以前捉われていた恐怖はもう全く気にならない(it's funny some distance makes everything seem small and the fears once controlled me can't get me at all)」とある。やってみる前に色々なことが頭に浮かんで不安になるのは当然なんだけど、やらないという岸からやったという岸にぴょんと跳んじゃえばそんな心配事は杞憂だったと分かる。むしろ何であんなに恐れていたのかしら?とおかしくなるくらいだ。ということだ。これは私も臆病ながらに小さな挑戦を経験してきた結果、同意する。後悔することもあるだろうと思うかもしれないが、後悔というのは実際の過去の選択が問題なのではなく、上手くいかない現状を過去の自分のせいにしている現在のマインドセットの問題だ。忘れてしまうものだけど、過去の自分だってけっこう精一杯やっていたはずだ。そう責めてやるなと思う。後悔にとらわれている人にアドバイスするなら、「前向きになれるエネルギーが回復するまで休め」ということくらいだ。

 長々と語ってしまったが、こんな風にどこの馬の骨か分からぬ曲者の一人語りでは人の心など動かないことは百も承知…。人を一番説得できるのはカッコいい姿を見せることですよね、たぶん。だからみんな11/12と19はぜひ金ローで超カッコいいエルサを観ることをお勧めします♪

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