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#6 ローマ法と英米法の距離

今週はお休みの予定でしたが,せっかく連続4週間書けたことから,今週もまた書けるかも,という思いから,筆をとっています(キーボードを叩いています).

どれだけニーズがあるか分かりませんが,木庭顕先生の著作をもとに,「政治」「デモクラシー」「法」について考えるというコンセプトで,当分続けていきたいと思います.

木庭先生が現役の大学教授だった頃は,授業を受けている学生さんに,「こんな風に理解できるかも」といった,「ゆるふわ」(?)なアプローチを示す意味もあったかもしれませんが,今は退官されているようですね.

逆に,最近は,一般向けの本を書くなど,今までになかったような,幅広い活動を展開しています.そうした一般向けの本から木庭先生に関心を持ち始めたような方々に,「こういう読み方ができるのでは」「こんな違う見方もあるかも」という,セカンドオピニオン的な?内容を提示できればなと思っています.

そうすることで,木庭先生の主張,見解,著作を少しでも皆様自身で深く考えるヒントとなれば,望外の幸せです.

さて,前置きが長くなりましたが,今日は『ローマ法案内』の『旧版』と『新版』の異同を比較による,ローマ法と英米法との関係や,次いで「占有」と「人権」の距離について,論じたいと思います.

ローマ法は「法律学の土台」

『ローマ法案内』は,もともと羽鳥書店から出版されていましたが(2010年,初版),勁草書房から2017年に出版される際に,大幅に手が加えられました.タイトルも『新版ローマ法案内』となり,装いも新たになりました.

以下,羽鳥書店のバージョンを「旧版ローマ法」,勁草書房のバージョンを「新版ローマ法」と呼ぶことにします(あるいは,「旧版」「新版」と略します).

異本,あるいはヴァリアント研究というわけではありませんが,二つのバージョンを比べて見ることで,木庭先生の問題意識の所在,あるいはその変遷を垣間見れるのではないか,というのが,今回のテーマです.

その新版ローマ法は,極めて簡潔で,印象的な書き出しとなっています.

ローマ法が今の法律学の土台を成しているということは動かない事実である.」(「新版ローマ法」序 p.1)

確かに,ローマ法は,「大陸法」の基礎をなすと考えられており,「法律学の土台」を成すとしても,何ら不思議ではありません.

それでは,旧版は新版と何が異なるのでしょうか.以下見ていきたいと思いますが,一つは「英米法」との関係に関する言及です.

「ローマ法」に近い存在?

『ローマ法案内』は,タイトルの通り,ローマ法について取り扱うものであり,とりわけ『法存立の歴史的基盤』(東京大学出版会,2009年)の要約版(「新版ローマ法」序p.2)であることから,もっぱらローマ法について論じれるのが当然とも思われます.

しかし,旧版では,新版で取り上げられていない(改訂により削除された)英米法への言及がされており,新版との気になる対比を示しています.

旧版の序文では,「口ーマ法」への登山口に置かれる若干の注意書」として,「ローマ法」にアプローチするときに障害となりうる「若干の思い込み」について注意が促されています.

特に,【「ローマ法」と言われるものが反「ローマ法」であり, 反「ローマ法」と言われるものが「ローマ法」であることがある」】という見出しで,以下のような英米法への言及がある点が目を惹きます.

「コモン・ロー」をローマや「ローマ法」に代替・対抗させるというのは,ヨーロッパ中世史固有の或る脈絡から生まれたレッテル貼りの所産であり,レッテルに拘泥せず,イングランドで実に創造的な営為が積み重ねられたことを実質的に斟酌すべきである.不思議な符合で,ローマ法の地中深くに探れば,実は「大陸法」ほど「ローマ法」に遠いものは無く,エクイティーを中核とするイングランド法やアメリカ法ほど「ローマ法」に近いものも無い,という側面も容易に発見しうるのである」(旧版12頁).

ここでは,「イングランドでは実に創造的な営為が積み重ねられたこと」「エクイティーを中核とするイングランド法やアメリカ法ほど「ローマ法」に近いものも無い,という側面」があると述べられています.

「創造的」というのは,一般には「新しいものを自分の考えや技術などで初めてつくりだすさま」(コトバンク)とされています.

新版の序で,「ローマ法が今の法律学の土台を成」すと断言されていたことと,必ずしも矛盾するものではありませんが,仮にイングランド法やアメリカ法が「創造的」な営為により生まれたならば,そして,これほど「ローマ法」に近いものも無い(側面がある),というならば,英米法もまた「法律学の土台を成す」と言うことも可能であるように思われます.

しかし,新版では,英米法との関係に関する言及は削除され,先に掲げたような書き出しとなっています.「ローマ法」について扱う著作として,よりテーマを絞った改訂に過ぎないのか,あるいは改訂の間に,英米法に関する見方や態度が変わったのか,明確ではありませんが,いずれにしても注意を惹く差異となっています.

英米法との微妙な関係

続いて,上記引用に付された以下の注釈ですが,やはり新版では削除され,僅かに文中に引用されているBucklandの著作への言及(新版p.3)が残されているだけです.

日本の優れた英米法研究者(例えば田中英夫) からも聞かれた言葉であるが, W. W. Buckland, A. D. McNair, Roman Law and Common Law, A Comparison in Outline, 1936, 2ed.,1952という名著がこの視角から生まれた.「大陸法」とローマ法の差異を強調し,イングランド法とローマ法を類似するものとして捉える.この結果イングランド法とローマ法の差異の識別は一層繊細なものとなり,少なくともローマ法に関する限りその理解は一層精度の高いものになった.同時代のローマ法学のバイアスを大きく免れている.われわれの観点からすればそれでもなお幾つかのバイアスに条件付けられており,差異をなお一層高度なレヴェルで感知しうるとは思うが,現在のお粗末な比較やすりあわせの試みを目の当たりにすると,別世界に連れて行かれた感覚を覚える.ちなみにローマ法サイドにおけるサヴィニーの新鮮な占有論に触発されたコモン・ロー側の名著としてF. Pollock, et al., An Essay on Possession in Common Law, 1888が有る(旧版p.12).

実は,英米法の側においても,ローマ法の影響をどれほど受けたのかについて,議論がなされています.

上記引用で言及されている田中英夫先生の手になる『英米法総論 上・下』(東京大学出版会,1980年)は,やや古い著作となりますが,今でも英米法に関する基本的な文献とされており,そこでは,イギリス法について,「大陸法が程度の差こそあれローマ法の影響を強く受けたのに対し,イギリス法は,数次にわたって(それぞれの時期における)ローマ法の影響を受けたものの,基本的にはゲルマン法に由来する伝統的な法体制を維持してきた」とされています(上巻p.5).

イギリス法が,他の大陸諸国とは異なり,ローマ法の受継なしに済んだ主な理由としては,イギリスが早くから中央集権化されていたこと(法の統一のためにローマ法を利用する必要がなかったこと),法の近代化の要請に対して,コモン・ローだけではなく,エクイティが補充する形で法体系を発展させることができたこと,イギリスでは早くから強固な法律家の団体が存在し,外国法の継受に強く反対するとともに,ローマ法の全面的受継なしに法の近代化を達成したこと,などが挙げられています(同p.6).

「全面的受継」はなかったという点ですが,何らの影響や借用はあったのであって,例えば,13世紀イングランドで最も重要な法律家ブラクトン(Henry de Bracton)が,コモン・ローがまだ発達していなかった領域では,ローマ法から素材を借りたり,術語について大いにローマ法を参照したようです.しかし,それでも,ローマ法の影響を誇張するのは,誤りとされています(同p.68.同p.118も参照).

ここでは,英米法の成り立ちについては深掘りしません.また木庭先生も,英米法については専門家ではありません.したがって,英米法への言及が削除されたのは,自然といえば自然とも思われます.

他方で,両法体系の類似性,さらには英米法の独自性を認めることになると,「法」(占有概念)はローマで生まれたとする木庭先生の立場を曖昧にし,見解の明快さを損なう側面も有します.

そうした微妙な考慮から,旧版における英米法への言及が削除されたとも考えることができるように思います.

ローマ法と英米法の距離

木庭先生は,しばしば「ローマ法」の「カズイスティック」(ケースバイケース)な性格,あるいは事案ごとのアプローチを強調します.

ローマ法を受継したとされる大陸法の一般的な理解からはやや意外な印象を受けますが,それがまさに,木庭先生が「ローマ法」と言われるものが反「ローマ法」である,という意味なのかもしれません.

しかし,そのことを額面通り受け取ってよいのでしょうか.

木庭的「ローマ法」の立場からは,法(占有)の根底にあるのは,ある種の「パタン認知」(新版p.56)であるということになります.当事者が,ある対象との間で,いかなる関係を築いているか,形(フォルム)を通じて判断するというアプローチです.対象との間で,より個別的で固い関係を築いている方を見極め,「一刀両断して一方に占有を認め,他方をゼロとする」(新版p.57)という判定です.

いずれが「占有」を有するかーー.そうした「構図」を見つけようとするアプローチは,一種の抽象化を志向するようにも思われます.

もちろん,ことはそう簡単ではありません.「占有」は単純な事実関係に尽きず,価値判断をも含み,かつ複数の類型(端的な占有,「資産占有」,市民的占有,等)があるともされています.

そこに,木庭先生による,単純な類型化,抽象化を免れてようとする,極めて周到な企てが見てとれます.それでもなお,事実関係よりも,「占有」という概念の側を出発点にすることは,否めないように思います.

他方,英米法の特色としては,教科書的には,「判例法主義」「各論的考察の重視」「救済の強調」などが挙げられます(田中『英米法総論 上』p.10以下).

ケースごとの判断,事件の事実関係に基づく妥当な解決は,一般的に,英米法の特徴であると考えられています.「体系化の努力」が足りない,体系に無頓着であるとすら,言われています.

あくまで「占有」という「形」「概念」から出発する「ローマ法」と事件の事実関係に即して妥当な解決を与えることを重視する「英米法」

「ローマ法」と「英米法」の間には,類似点がありながらも,そもそものアプローチの違いという,「一層微細な」という以上の根本的な差異が残るのではないか,というのが今日の問題提起です.

「占有」概念の借用

ここで少しだけ,上記で言及した英米法の「歴史的淵源の多様性」「救済の重視」のうち,イギリス法のそれについて,見てみたいと思います.

イングランドにおいては,12世紀中頃から,各地の慣習のほか,ノルマンディ法,ローマ法,教会法を参照しつつ,かなり自由な法創造が行われていたとされています(同p.67)です.コモン・ローとは,そうして発展したイングランド王国内の共通の法という意味がありました.

さらには,コモン・ローによる救済が不十分とされた場合に,大法官(Lord Chancellor)により,エクイティという別の法体系が発展します(p.95-98).当初はアド・ホックな救済という性格から,ある事実関係があればある救済が与えられるという実例と期待が積み重ねられ,コモン・ローと並ぶ法体系という観念が生まれます

そうしたイングランド法の発展の中における,ローマ法から「占有」概念を借用した経緯を見てみたいと思います(やや古い書籍となりますが,『イングランド法の形成と近代的変容』(小山貞夫著,創文社,昭和58年)参照).

上で述べた12世紀中頃,コモン・ローは大きな発展をみます.初代イングランド王国の王にして,プランタジネット朝の開祖,ヘンリー2世(1133-1189)は,国王裁判権を拡大し,その結果としてコモン・ロー成立の大きな要因になったとされています.

とりわけ,土地に関する争いは,国王裁判権の拡張に影響を与えました.

「ヘンリー二世は土地所有権(ownership)と区別される意味での土地占有(possession)をも国王裁判所でも保護し始め,しかもこの訴訟では,これも陪審の一つたる小アサイズ(petty assizes)を唯一の証明方法として採用した.(中略)この占有の保護は,所有権をめぐる最終的判断を示すものではなかったが,土地を巡る争いより合理的で迅速な裁判を提供することになったため,土地所有者層にもきわめて人気があ(った).(中略)これが国王裁判所による裁判集中化に役立ったことは明白であろう.ヘンリー二世はこの小アサイズを,ローマ法・カノン法の影響下で,幾晩も寝ずに考えた上で,一一六六年に立法行為を通して採用したと推測される.」(『イングランド法の形成と近代的変容』(小山貞夫著,創文社)p.13)

「きわめて人気があった」「幾晩も寝ずに考えた」というのは,面白い下りではありますが,主に土地訴訟の解決と,国王の権限拡大の志向と相まって,ローマ法(・教会法)から「占有」を借用した経緯が述べられています.そこには,占有概念の「優位性」を認めたというよりも,その「有用性」が認められるという理由で導入したという経緯が伺えます.

ちなみに,ヘンリー二世以降,エドワード1世の治世のはじめ(1272年)までには,国王裁判所はほとんどすべての訴訟についての第一裁判所となり,その活動を通じてイングランドには,全国共通の法たるコモン・ローが生成されたようです.

この例からも,イングランド法,ひいては英米法が,特定の概念に囚われることなく,時代の要請,個別的事案の解決,救済の提供という動因を糧として発展してきたことが,示唆されているように思われます.そのあたりに,英米法の「活力と堅固さ」("vitality and tenacity (of) Anglo-American legal tradition". ロスコ―・パウンド"The Spirit of the Common Law"より)があるとも考えられます.

(注:なお,上記は主にイングランド法制史の大家,メイトランド(1850-1906)の学説に拠っています.最新の専門的な評価は検証できていませんが,今でも標準的な解釈と考えてよいと思います.)

「占有」概念の活用と限界

木庭先生は,「政治」の概念だけでなく,「占有」の概念もまた,その基底的な意味が理解されていないことを嘆いています.

端的な占有保障の機能不全は,ある意味,日本社会において「金融から憲法に至る」何もかもがうまく行かない原因である(新版p.208脚注8)とも分析されています.

木庭先生の立場は,以上の通りです.しかし,私たちには,「占有」がそのような幅広い射程を持つと考えること自体が妥当なのか,それを手掛かりに日本の法・社会制度を〈どのように〉良くしていくことがきるのか,ということを主体的に批判的に検討することが,宿題として課せられているように思います.

実はこのnoteの筆者は,「政治」というものを,前回論じたような成立困難なパラダイムとして定義しようと試みることと同様に,「法」(占有)というものを,「当事者が対象との間に個別的で固い関係を築いている」という核となる概念にまでそぎ落とし,そこを出発点にすることは,かえってその後の維持・発展の可能性を制限する弱点を内包しているのではないか,と考えています.

「占有」を端的に活用できる場面やーイングランド法が土地訴訟で占有概念を借用したのと同様にー,あるい事案の分析にあたって補助線のように利用することを超えて,民事法を統一的に理解するための概念として捉えることは,かえって民事法(立法,判例)の発展を制限する可能性があるように思います.

一方で,何が事案の解決として適切か,救済を与えるべきケースなのか,という点を出発点にするのは,実は一層幅広い,バランスの取れたバックグラウンドが必要になってくる,決して簡単ではない企てのようにも思います.英米法が,ゲルマン的な慣習,ローマ法,教会法,さらにはエクイティという法体系を最終的にまとめ上げて,そこに決定的な混乱も困難もないように見えるのは,そのようなバックグラウンドががあるのかもしれません.本稿では,そこまでは掘り下げることができませんが,今後,そうした「何か」についても,考えてみたいと思います.

さて,次回は「占有と人権の距離」というタイトルで,また少し関連するテーマを掘り下げたいと思います.

(補足)

今回は少し短めに纏めました.そのおかげもあって,体力的には楽でした.また次回のテーマ「占有と人権の距離」の構想も,頭の中ではまとまったような気がします.

タイトルの「○○と○○の距離」というのは,もちろん石川健治先生の『自由と特権の距離』(日本評論社、1999年/増補版・2007年)を念頭に置いています.内容はなんの関係性もありませんが,かっこよかったので.

ローマ法と英米法との関係,英米法の特徴は,図書館で入手可能な基本的な文献を参照しています.研究という観点ではなく,ある意味,素朴に思い浮かんだ疑問をまとめたものなので,ご容赦ください.

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