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『戦雲-いくさふむ-』を観てきた

「不思議だ。ずっと前と同じ空を見てるのに、少し前からまるで違く見える。」
「きっと、それが何かを知るということだ。」

魚豊『チ。―地球の運動について― 第3集』

ドキュメンタリー映画のお誘い

隣の研究室の子に誘われて、『戦雲‐いくさふむ‐』というドキュメンタリー映画を観てきた。
博士課程・同じ専攻・同性という共通項だけで、なんだか仲良くなってしまった3人で、20名も入らなさそうなミニシアターに行ってきた。
平日の昼間、もうアラサーにもなって映画を観るために学生証を見せるのは、なんだか後ろめたかったけど、自分の親よりいくばくか年上の方々に囲まれて、自分に「若者」のラベルを貼った。

この映画を観に行こうと誘ってくれた子は、よくドキュメンタリーを観るらしいけど、どこからこんな映画の情報を仕入れてくるんだろうか。
沖縄の現実を撮った映画なのに、沖縄出身の私は、こんな映画があるなんて知りもしなかった。教えてくれた友達には感謝しかない。

沖縄本島、与那国島、宮古島、石垣島、奄美大島――この美しい島々で、日米両政府の主導のもと急速な軍事要塞化が進行している。自衛隊ミサイル部隊の配備、弾薬庫の大増設、基地の地下化、そして全島民避難計画……。2022年には、「台湾有事」を想定した大規模な日米共同軍事演習「キーン・ソード23」と安保三文書の内容から、九州から南西諸島を主戦場とし、現地の人々の犠牲を事実上覚悟した防衛計画が露わになった。しかし、その真の恐ろしさを読み解き、報じるメディアはほとんどない。全国の空港・港湾の軍事拠点化・兵站基地化が進められていることをどれほどの日本人が知っているか。本当の「国防」とは何か。圧殺されるのは沖縄の声だけではない。

映画『戦雲‐いくさふむ‐』公式サイト

声を上げるのは誰なのか

132分もある映画のなかで、自衛隊や防衛省に対して、当初と話が違うじゃないかと、説明を求め、抵抗する人々の姿が繰り返し出てきた。
鑑賞後に入ったファミレスで、友達は、ぽろぽろ涙を流しながら、「あの人たちにあんなことを言わせてしまっていることが、なんというか、申し訳ない」と言っていた。

そんな彼女の姿が、実習で行った老人ホームのある利用者さんの姿に重なった。私が沖縄の人だと知ったその方は、「戦争のときは、沖縄の人たちに申し訳ないことをしたねえ。堪忍なあ、堪忍なあ。」と、私の手をとって何度も謝った。私は思わず泣き出してしまった。実習中なのに。

心のどこかで、内地の人たちは、沖縄の人たちのことなんてどうでもいいと思ってるんだろうと思い込んでいたから、そうやって沖縄の痛みに寄り添ってくれる人はちょっと物珍しかった。
隣にいた私は、そういう感傷に浸りながら、「あの抵抗の姿が、日常風景だと思っていた私の方が変なのかも」なんて考えていた。

それに、声を上げたところで何も変わらないというのは、もう刷り込まれてきたことだった。「持久戦なんだと思った」という友達の言葉も、「え?そうだけど?」くらいにしか思えない自分が、ちょっと大人げなかった。持久戦に持ち込まれること自体の腹立たしさを、うまく言葉にできないまま、口のなかがべたつくバニラオレと一緒に飲み込んだ。

それよりも私が気になったのは、声を上げ続けているのはどんな人たちなのか、ということだった。

映画に登場した声を上げる人たちは、度々「島を出ていく選択」に言及した。この島以外で生活することができないわけじゃない。でも、この島を捨てろというのか、いや、守らなければ。そういう想いを口にした。
でも、あの漁師のおじいにとって、島は、海は、生活のすべてなんじゃないだろうか。そこ以外で生活するなんて、きっと考えていない、いや、考えられないんじゃないだろうか。
暮らしているのは同じ沖縄でも、同じ与那国でも、宮古でも、石垣でも、見えている景色は違うのだ。

沖縄の外を知らなかった頃の生活が尊い

沖縄に帰ると、「自分はもうここの地域の人間じゃないんだ」という感覚に陥ることがある。
新しい道ができて、通学路が変わり果てたからでも、地元の友達にしばらく会ってないからでもない。
この、自分が生きてきた世界を、いろんな意味がくっついた「沖縄」という枠で捉えようとする自分の脳みそのせいだ。
今日は沖縄そばの気分だな~と思って、沖縄そば屋に行くのではない。
沖縄でしか食べられないから、行けるうちに沖縄そばを食べに行くのだ。
退屈な場所だと思っていた沖縄戦の数々の資料館に、ちゃんと知らなくてはと思って行くのだ。(実際、「ここの何が楽しいの?」と無邪気に聞く子どもがいたけど、それでいいのだ、と心のなかで思った。)
そして、その思考回路を自覚して、ちょっとがっかりする。お前、外から来た人間みたいだな、と。

それは、自分がいろんなことを知った証だ。
否定し、忌み嫌うようなことではない。むしろ、立派な成長だ。
それなのに、沖縄の外を知らなかった頃の生活が尊い。

もちろん、沖縄での生活がちゃんと幸せだったからそう思っているだけなのは間違いない。沖縄の生活が様々に経験されていることは、私も肌で感じてきたし、描かれ続けてきた。
それでも、私が守りたいのは、沖縄で暮らす人たちの生活なのだ。

「では、そのためにあなたは何をしますか?」
そう問いかけられたような映画だった。

何ができるか考えていたら、6月23日になってしまった。
その日は、慰霊の日。沖縄での組織的戦闘が終わったとされる日。国民の休日がない6月に、沖縄県民は、お休みになる日でもある。今年は、日曜日だったけど。
普段は全然つけないテレビをたまたまつけていたその日、惰性で笑点を観ていたら、春風亭昇太さんが「6月23日はオリンピックデー…」と話し始めて、不意にがっかりしてしまった。

でも、おかげで、周りの人にもっと沖縄の話をしないといけないのか、と思った。沖縄の話というか、民主主義の話。
私たちの声は、私たちの生活は、簡単に握りつぶされるということ。
握りつぶされないようにするにはどうすればいいのかということ。

ゆでガエルにならないように。


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