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私のアトツギ問題:ものづくり新聞編集長 伊藤

ものづくり新聞を運営する伊藤は、大阪生まれなのですが、父親が機械設計事務所を経営しておりました。

父の機械設計事務所は主に工場の組み立て工程における組立ラインの設計を行なっており、関西地区の製造業の方を顧客として事業を行なっておりました。いわゆるFAという分野です。

自宅兼事務所の作業スペースには所狭しとドラフター(図面を描くための台)、各社部品のカタログ、サンプルのパーツ、過去の図面がおいてありました。その後1990年ごろから紙図面からCADへ切り替わるにしたがい、パソコンが主の仕事ツールとなりました。

小さい頃からその様子を見ていた私は、あまり不思議にも思わず大学では機械工学専攻を志望し、大学院でもロボットの研究に進みました。この背景からすれば、私が機械設計事務所の後を継いでも不思議ではなかったのですが、結果として一般企業に就職しました。

その就職に関して、両親とは特に議論はなく、私がそうしたいということについて「いい会社に就職できるといいね」という反応でした。

結果としてIT企業の製造業担当として新卒の仕事を開始しました。縁というのは不思議なもので、3次元CADを使って金型設計を支援するという仕事を担当することになりました。あれ、結局機械設計を担当しているという不思議。でもこの仕事は非常に楽しい仕事でした。なにせ図面が読める。金型図面の断面図を見せられてその3次元がイメージできるということはものすごいアドバンテージでした。

両親にも都度そのような話をしていたのですが、「俺には3次元CADはわからんなあ」くらいの会話で、とにかく体には気をつけろと言われていました。アトツギのような話をすることなく、日々は過ぎていきました。そのころ両親とは疎遠になっていたので特に会話はありませんでした。

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30代後半のある日、横浜にある蕎麦屋に1人で入りました。平日の夜、その蕎麦屋には誰も他の客はなく、店主と私の2人だけ。お酒とおつまみで一杯飲んでいたら、なぜか蕎麦屋の店主と会話になりました。

「地下鉄が延長するっていうからここに店を建てたのに結局延長しねえんだよ。だから最近は客足も減ってね」「そうなんですね」「まあ、息子みたいな若いのがいれば新しいこともできるんだろうが、俺じゃあもう新しいことも億劫でね」「息子さんは後を継がれないんですか」「継がねえよ」「どうしてですか」「サラリーマンだからね」「いまからでも後を継ぐということはないんですか」「ねえよ。そんなすぐに蕎麦打ちできないよ」「そうですよね」「だいたい、サラリーマンのほうが楽だろ、あんたもサラリーマンなんだろ」「そうですね」「お前はこのへん出身?」「いえ、関西です」「じゃあ両親は関西か」「そうですね」「何やってるの」「機械設計事務所やってます」「社長?」「まあそうですね」「お前は後を継がないのか」「継がないですね」「どうしてだよ」

そんな会話になってしまいました。

「父親の技術を見ていると、自分にはとてもできないとおもったんですよね。職人芸です」「なんで、できねえって決めるんだよ」「・・・」「今お前はどんな仕事してるんだよ」「IT系で製造業を支援」「一緒じゃねえか。なんで同じようなことしているのに後を継がないんだよ」「・・・」「お前、さっき俺にどうして息子が後を継がないのかって聞いただろ」「そうですね」「同じ質問だよ、なんでだよ」「・・・」

困りました。蕎麦屋で激論になってしまいました。

「今からでも遅くねえんだよ、後継げよ」「え」「だって親父さんまだ仕事してるんだろ」「してます」「じゃあ遅くない、後継げよ」「いやあ」「なんでだめなんだよ」「もういまさら」「いまさらじゃないんだって。遅くないんだって」

ちなみに、私はお酒が入っていましたが、相手はシラフです。その後も3時間近くに渡り激論が交わされました。「まあお前は後を継ぐ気がぜんぜんないってことなんだな」「父親は継がなくてもいいと言ってましたし」「なんでだよ」ぜんぜん結論はなかったのですが、蕎麦屋の店主が私に向けていたその言葉は、その人の息子さんに向けられている言葉なんだなと感じました。きっと息子さんにも言いたんじゃないかなと「今からでもいいから継げよ」と。

3時間も蕎麦屋にいたので途中頼んでもいないメニューが出てきたり、何杯お酒をのんだかも覚えていないのですが、いいかげんお互い疲れてきた頃、「じゃ、そろそろお会計お願いします」

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お店を出て歩きながら、思ったんです。

「俺の後なんて継がなくていいよ」って父親は言っていたんですが、でも、心の中では、蕎麦屋の店主みたいに思っていたのかもしれません。本当は言いたかったのかもしれません。

そして、親の後は継がなかったのですが、今もなんだかんだ製造業を支援する仕事をこうやってしていることを思うと、なんだかご縁ってすごいなと思わずにはいられません。

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追伸

ちなみに、この蕎麦屋の店主はそんなことを言っていましたが、地元に愛される蕎麦屋として今も元気に営業されています。息子さんが継いだのかどうかはわかりません。見に行ってみたいんですが、それ以来入りにくいんですよね。たぶんもう忘れてると思うのですが・・・



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