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【8章まとめ読み】Dr.タカバタケと『彼女』の惑星移民【創作大賞2024参加作品】


【まとめ読み  8章】 約 12000文字


【8章 新しい朝 】

SIDE(視点):ノボー・タカバタケ
西暦3230年8月(新星1年10月 青日) エリンセ 

 今日は久しぶりに、ヤマバとアンジョーと3人で集まる。マスターの店『テッラ』で夕食の待ち合わせだ。
 大月おおつきの日(青日せいじつ)は、恒星の日(白日はくじつ)よりも、気温が低い。季節が固定されているこの星で、僕たちのいる場所は政府施設があり、もっとも過ごしやすいエリアの1つだった。
 大月が地平線に沈むのを見つめながら、僕はあの暑かったTOKYOでの夏を思い出した。太陽の熱から逃げ出したはずなのに、地球を焼いていたあの太陽が懐かしかった。
 僕の自動運転は、まだ大月が地平線に沈む前に、店の前まで到着した。予定よりずいぶん早い。3人で会うのは久しぶりで、気持ちが高ぶっているせいだろう。
『テッラ』に入ると、オリーブオイルとニンニク、そしてセロリの匂いがした。
 この店のコンセプトは古き良き旧イタリア国のトラットリアだ。しかし、よくここまでアンティーク風に作り上げたものだと感心する。移民の際、一般の人は地球のものをほとんど持ってこられなかったんだから、それを思うとマスターの情熱はすごい。
 いや、マスターだけじゃない。この星に来てから、人々はみんな変わろうとしている。AI新法により、働き手は格段に減った。その分、人々への負担は増えた。しかし人々はそれを受け入れ動き出した。だぶん人には負荷が必要だったのだろう。仕事に向き合い、人と向き合う。そうやってお互いに刺激を与えあい、新しい明日が作られていった。
 そこには前に進もうという意志があった。人々は地球との別れを、ちゃんと受け入れているようだった。
 でも、僕にはそれを受け入れることができなかった。僕の未来は地球の方向に向いていた。地球に戻る上で、さみしいことがあるとしたら、それはヤマバやアンジョーに会えなくなることと、ここの料理を食べられなくなることだけなのだろう。
 だからこそ、今日のこの集まりを心から楽しみたかった。
 実はヤマバやアンジョーには秘密にしておいたことがある。今日は店を貸し切りにして、マスターと一緒に僕も厨房に入り、料理を振る舞う。
 僕はマスターから、最近ここの味を習っていた。エリンセに別れを告げるなら、少しでもここの味を覚えたいと思っていた。

 厨房の中で料理の下ごしらえをしていたマスターは、扉が開く音で僕に気が付いた。
「あら、ノボーさん。早いわね」
「マスター、こんばんは」
「ねえー、今日はいいスズキが入ってね、アクアパッツァを作ろうと思ってるのよ」
「いいですねー」
 僕は荷物を椅子の上に置いてから、下ごしらえの手伝いをした。

 ドアタイプの扉が開く。まるで大昔の娯楽映画みたいだと思った。
「よう、ノボー早いな!」
 ヤマバとアンジョーが一緒に入ってきた。今2人は同じチームで働いている。ヤマバが惑星開発責任者で、アンジョーはその右腕だ。
「ノボー! なんで厨房にいるの?」
 アンジョーがいつもみたいに、僕に食って掛かるような言い方をした。久しぶりに会ったアンジョーは変わりがなくて、嬉しかった。
「ああ。実は、今日は僕も厨房に入るんだ。パスタは全部僕に任せてよ」
「そういえば、ノボーはパスタ研究家だもんなあ」
「いや、ヤマバ。自分が好きなだけ。マスターの味には遠く及ばないから、勉強させてもらっている最中だよ」
 マスターは唇を舐めながら、「今日はノボーさんが手伝ってくれるから、私もそっちの席で飲んでいいみたいなのよね」と言った。
「えー? 楽しそう。それで店の前に貸し切りの掲示板が出ていたのね」
 ヤマバが悔しそうに、「あーくそ! こういう時こそ、年代物のワインを開けたいのに!」と言った。
「まあまあ、しょうがないじゃない」とすぐさまアンジョーが慰めた。
 そうなのだ。惑星移民の際、ワインは宇宙船に乗ることができなかった。当然、ワインのためだけに移民船にいろいろと設備を整えるわけにもいかない。もちろんブドウの遺伝子は持ってきているが、ワインにとって重要な月日をかけた熟成を行うことはまだできていない。この星に来てから作られたワインは、まだ初年度のものだけだ。しかもテロワール(土壌や気候条件)を再現できているかも怪しいので、当面はエリンセワインには期待できそうもない。
 それに対してビールはよかった。ビールは出来立てしぼりたてが美味しいのだ。だからこの星に来てから僕たちはビールで乾杯することにしていた。新星新法でアルコールが禁止されなかっただけでも感謝しなければいけないのかもしれない。

 乾杯をした後、僕たちは、日々のことや地球での話をした。3人でマスターの料理を食べながらお酒を飲んでいたら、地球のマスターの店にいるような錯覚に陥った。研究で遅れていたシーが、今にも扉を開けて入ってくるような気がした。
 少しビールのペースが速いのかもしれない。
 ヤマバが、ビールを飲みながら「しかし、大統領もワインファンなんだし、もっとワインを優遇すればよかったんだよ」と言った。
「え、そうなの? 私、大統領に会ったことない」とアンジョーが黒オリーブの実を口に放り込みながら返事をした。
「あのおっさんは、ずいぶん変わっているぞ」
 ヤマバのその言葉に「あらー、ヤマバ。どんな風なのよ?」と、厨房の中からマスターも話に参加してきた。
「うーん、変としか言えないなあ。しゃべることもマニアックだし。でも俺は好きだな。理由はわかんないけど。なんとなくコシーロ教授やユミさんとも似ている気がする」
 ヤマバがそう言うと、「へーそうなんだ」とアンジョーは相槌を打ちながらビールを飲んだ。
 お酒の力もあったのかもしれない。僕は思い切ってヤマバに聞いた。
「ヤマバ、僕と大統領と、会うことはできないかなあ」
 ヤマバは僕のその突然の言葉に、表情を硬くした。
「ノボー、どうしたんだ急に」
「いや、どうしても大統領と話したいことがあって」
「繋げないこともないが、内容いかんによっては、俺は繋がない」
 ヤマバは、ビールを飲みほし、容器を『ドンッ』と置いた。
「だってお前、政府に思うところがあるんだろ?」
「いやそれは……」
「いまさらシーの話をして、恨みごと言ってみろ。お前にとって得することなんかまったくない。ましてやこの星のトップに食って掛かったら……あのおっさんは許してくれるかもしれないけど、周りは黙ってないぞ?」
 アンジョーもビールを飲みほして容器を『ドンッ』と置いた。
「ノボー! 駄目よ。駄目よ絶対! そんなことしてもシーは喜ばないわ!」
「ハイお待ち!」
 そのタイミングで、マスターがこの店定番の『なすのカプレーゼ』を出してくれた。
 みんな黙ってそれを口に運んだ。その味は地球にいるころと変わらず美味しかった。
 アンジョー違うんだ。僕は後ろ向きな話をしに行くんじゃない。そろそろ地球に戻るための具体的な話し合いをしないといけないんだ。シーと約束したんだ。必ず帰るって。
 2人にそう言いたかった。でもこの話は秘密にしなければならなかった。聞いてしまえば、この星で生きていく2人には重荷にしかならない。
「……まあ」とヤマバが口を開いた。
「まあ、とりあえず会えるかどうかは聞いておく。でも、俺が納得できる理由を聞くまでは話は前に進めないからな」
「……うん」
 その重い空気を打ち破るように、マスターが明るい声をあげた。
「ところで、意外と美味しいワイン見つけたんだけど、白と赤どっち開ける?」
「おお!」と言うヤマバの声は、ちょっとだけわざとらしく聞こえた。
 僕が「やっぱり赤ワインを飲みたいですね。若い赤も悪くないですし……」とそう言っている最中に「絶対白!」と、アンジョーは僕の声にかぶせるように言った。
 マスターはウーンと考えるように腕を組んでから、「よーし、じゃあ両方開けてしまいましょ!」と笑顔を作った。
 3人の歓声が重なった。

 8つのグラスが4人の前に並ぶ。
 まず僕は、白に口をつけた。すっきりとしているけど、コクも酸味もあった。体にしみいるような美味しさだった。
 続けて飲んだ赤は、若くてさわやかで、それでいてブドウの果実味が力強く美味しかった。
 ヤマバも、アンジョーも「美味い!」「おいしー!」と嬉しそうに声をあげた。
 マスターは赤ワインを一口飲み、ワイングラスを持ったまま、静かに口を開いた。
「ノボーさん。エリンセはエリンセで新しく歴史を作り始めているのよ。こうやって作り手も頑張って、一からだけれど美味しいワインづくりに情熱をかけているわ。私ももちろん、シーさんのこと覚えている。すごくすごく残念よ。でもね、世の中にはどうしようもないこともあるの。過去は変えることはできない。私も地球は懐かしい。でも、私たちは前に向かって進むしかないの。もちろん思い出は大切よ。でも今と未来を大切にしないと、シーさんにも失礼よ」
 横でヤマバが「そうだ、その通りだ!」とうなずきながら言った。
 アンジョーは、少し暗い顔をしていた。シーのこと思い出しているのかもしれない。
 マスターの言いたいことは僕にも十分理解できた。
 でも……。

 マスターはチーズ入りの特製パン『チーズボール』と『キャベツの煮込みコンソメスープ仕立て』を出しながら。
「じゃあ次はパスタよ。ノボーさん、ヨロシクね」と言って、僕を厨房に招き入れた。
「よっ! ノボーシェフ!」
「ノボーシェフがんばってー」
「今日のパスタはスパゲッティにするけど、2人は何を食べたい?」
「私はフレッシュトマトなら何でもいい!」
「俺はペペロンチーノだな」
「そうだね、せっかくだから、2種類作るよ。ペペロンチーノと……えーと、そうだなあ。じゃあ、フレッシュトマトは、アンチョビー入りで作るよ」
「サイコー!」
 アンジョーがワイングラスを上げ、ご機嫌で答えた。

 ゆで汁には1%の塩。厨房ではマスターが事前に準備をしてくれていたので、もうすでに寸胴鍋にたっぷりのお湯が沸騰していた。
 スパゲッティを入れる前に、まずはフレッシュトマトのソース。旧式の銀色のフライパンを調理熱機にかける。
 オリーブオイルを入れニンニクのみじん切りを入れたら、アンチョビーペーストと千切りにしたアンチョビーのフィレをいれ、ある程度熱が入ったところで、ジャパニーズ・サケを入れる。
 再び沸騰したら、フレッシュトマト、ミニトマトを入れて煮込んでいく。
 最後に小さく切ったパンをソースに溶かし、コクのために醤油を少々入れ、ミニトマトのソースは完成。
 そろそろ、スパゲッティを投入しよう。ゆで時間は8分だ。

「……ところでさぁ」
 カウンターの向こうから、ヤマバの声が聞こえた。……どうやらアンジョーと大統領の話をしているみたいだ。僕はパスタを作りながら、その話に聞き耳を立てた。
「あのおっさんに初めて会ったとき『君たち英雄が訪ねてきたら、褒美として願いを1つだけ叶えるんだ』、とか言ってきてさ」
「えー、だったら私、億万長者にしてもらおうかなあ」
「いやいやマジな話。そいで、結構真剣な顔で聞いてくるんで、なんか俺あまのじゃくなとこあるだろ?」
「あまのじゃくというか、冗談ばかり言っている気がする」
「まぁ、俺があまのじゃくだから、そういう表現になってしまうだけなんだけど……。それで、かるーく、いつものノリで言っちゃったんだよ」
「なにー? その気になる言い方」
「『マリーゴールドのマリーに会わせてください。俺が自分で叶えられないことはそれだけですんで。それが俺の願いです』って」
「……まぁ、自虐的というか、へそ曲がりというか」
「そしたらさあ、あのおっさん。腕組んで考えたかと思ったら。そのポーズのままニカって笑って『なんだそんなことでいいのか。お安い御用だな』なんて言うんだぜ?」
「へー、大統領もお茶目というか、適当というか」
「まあ、願い事叶えるってところから、ジョークなんだから、それに乗っとけばいいんだよ」
「大統領の意外な一面を聞けたわ。てか、本当になんかご褒美ないの? こっちに来て働いてばっかりいる気がするわ」
「まあ、俺は仕事好きだから別になんにも思わないけど」
 ……

 大統領、意外と人間味があって、気さくな人なのかもしれない。
 それにしても、2人とも研究室のころに比べれば、ずいぶん仲良くなった。アンジョーがアルコールを飲めるようになったのがよかったのかもしれない。
 そこまで聞いてから、僕はペペロンチーノの調理に集中した。ペペロンチーノはシンプルだからこそ難しい。
 フライパンのオリーブオイルがあったまったら、ニンニクのみじん切りを入れる。ある程度、熱が通ったところで、輪切りのトウガラシを入れる。今度は白ワインを入れひと煮立ち。汁は少し多めがいい。
 そのタイミングでスパゲッティが茹であがった。お湯をしっかりと切りフライパンに投入する。後は感性だ、ヴァージンオイルと塩と黒胡椒で味を調える。器に立体的に盛り、最後に刻んだパセリをかければ……スパゲッティ・ペペロンチーノ完成だ。
 再びフライパンの前に戻り、すでにフレッシュトマトのソースの中に入れてあった残りのスパゲッティをソースに絡め、味を調える。器にきれいに盛ってから、最後にヴァージンオイルをひとまわしかけた。

「お待ちどうさま!」
「おお!」
「おいしそー!」
「あらー、ずいぶん上手になったじゃない」
 アンジョーが取り分けた皿で、まずはヤマバがフォークを口に運んだ。
「おお! 最高!」
 アンジョーはスプーンとフォークを使って、スパゲッティを器用に口に運んだ。
「美味しー!」
 マスターは「あらあら、私といい勝負まで来たんじゃない?」と唇をオイルでテカテカと光らせながら、そう言った。 

  スズキのアクアパッツァが出たころには、みんなのおなかもずいぶん膨らんで、会話は地球での思い出話が中心になっていた。
「ところでマスター、この中で一番酒癖が悪いの誰だと思う?」とヤマバがマスターに聞いた。
「そうねー、やっぱりアンジョーちゃんかしら」
「にゃにおーっっ!」
「ほらほらもう酔ってるじゃない。酔って、ノボーさんをいじめるのよ。そしたら、シーさんが来て止めに入るの。でもね、シーさんもお酒に酔うでしょ。で、あの人はアンジョーちゃんにべたべたとまとわりつくのよ。ノボーさんはノボーさんで壊れた音声再生機みたいになって、理論の話ばかりするの」
「そうだ! そのとおりだ。俺がたぶん一番ましだ!」
「あら、ヤマバ。あなたはあれよ。眠くなって言葉が減るの。そしてアンジョーちゃんの名前をまちがえるのよ。マリー? マリーン? 自動運転AIの名前だっけ?」
「あれ、マスター知らないの? マリーちゃんの話。この人、マリーちゃんとの約束を守るために生きてきた人だから。ね、約束果たせてよかったね」
「お前が、それ、その顔で言うかー?」
ヤマバは泣きそうになっていた。ヤマバには泣き上戸なところがある。それに随分と酔っていた。たぶんみんなで集まれたのが、よっぽど嬉しかったんだろう。それはボクも同じだった。
「ちょっとー泣かないでよー。私が悪者みたいじゃない」
「そうだ、お前が悪い、いい加減気が付け!」
「なによ、分かったわよ。言い方に気を付けますー。マリーンみたいに優しく話せばいいんですよねー」
「うーん。まあ、そうじゃないけど……それでいいや」
 ヤマバとアンジョーが言い合いをしている。すごく楽しそうだ。
 僕はエリンセに来てから明らかにアルコールの量が増えた。錠剤のほうが多い。たぶん、味より酔いを求めているんだろう。そのくせ、頭の芯が冷えたままで、酔いはするけど、地球にいたころのように、楽しくなることはない。
 たぶん、シーがいないからだ。シーに早く会いたい。
 実は地球に戻ったら、大きな楽しみが1つある。ここで覚えた旧イタリア国料理を食べながら、極上のワインを飲むこと。地球に帰ったら、ビン詰め極上の年代物ワインの数々が大量に僕を待っているはずだ。
 シーと一緒に月を見ながら、輝きを増していく太陽を見ながら……。そんな風に過ごせたら、僕はきっと頭の芯まで、心の隅々まで、心地良い酔いに身を任せられることだろう。
「そろそろ、お開きにしましょ!」
 マスターの声にみんなは最後の乾杯をした。

 僕は僕の自動運転装置に、ヤマバとアンジョーはマリーンに乗り込み、それぞれの帰路についた。
 青日の夜には、赤い月が浮かぶ。自動運転の中から見上げる月は、地球の月とは全然違っていた。
 マスターの言う通り。エリンセには未来がある。人々が望んだ新しい希望の未来がここであることに間違いはない。でも、それでも僕は『彼女』がいないことがさみしい。そして『彼女』に惑星移民を導かせ、それが終われば、まるでいけにえのように地球に置き去りにした。そんな政府に対して、やはり思うことはある。特にこうして飲んだあとには、そういう想いが湧いてくる。

 必要なもの以外は何も置いていない自室に着くと、僕は自動で灯った明かりを消し、ボローに声をかけた。
「ボロー、ヤマバにつないでほしい」
「はいよ」
 ボローを通じてヤマバに回線がつながる。
「よう、どうした? さっきまで一緒にいたのに何か忘れてたか?」
「今1人? アンジョーはいない?」
「ああ、先に送り届けたから、今はマリーンだけさ」
「さっきの話だけど、ほら大統領に会いたいって言ったその理由」
「……ああ」
「僕は地球に帰りたいんだ。どうしても3230年中に」
「そうか……。で? 帰ってどうする」
「帰るだけだよ。そこで思い出とともに生きていく」
「思い出ならこっちでどれだけでも思い出せるだろう?」
「ヤマバ、ダメなんだ。僕は毎朝、絶望の中、目を覚ます。生きている感じがしない。生きながら屍であるような気持ちだ。僕の中にある想いは地球に帰る事だけなんだ」
「俺やアンジョーを捨ててでもそうするのか?」
「捨てるなんて表現よしてよ。捨てない。ただ地球に戻る。地球でみんなとの思い出の中に生きていく。ヤマバとアンジョーには感謝しているけど、これだけはどうしてもだめなんだ」
「わかった。じゃあ1つだけ、アンジョーや他の誰にも絶対に言わない」
 ヤマバはそう言ってから内緒話をするように、かすれた小さな声で言った。
「シーを起こすことは? 『彼女』を再起動することはできないのか?」
 ヤマバのその言葉に僕は黙ってしまった。
「ノボー。ちゃんと教えてくれないのなら、大統領に合わせることはできない」
 2人の間には沈黙があった。でもそれは親密な沈黙だった。
 やっぱりヤマバにはかなわない。本当は、僕は誰かにこのことを聞いてほしかった。
「ヤマバ、僕は今まで嘘をついていた。ごめん。言えなくて。大丈夫、起こせるよ。いや、実はもう起きているんだ。起きて僕を待っているんだ。3230年中に帰る約束をしているんだ」
「…OK。それを聞けて安心したよ。1人で死にに行くんなら絶対に行かせない。でもシーと共に生きるために行くんなら俺は応援するよ。俺はシーにも借りがあるからな」
「ヤマバ……」
「大丈夫だ、明日早速アプローチしておく。ただし、くれぐれもシーが起きていることを口外するなよ。反逆罪で英雄が一気に反逆者になる恐れもある」
「大丈夫。僕には話す相手なんかいないよ」
「そうじゃなくて……大統領と交渉するとき、それを知られてはいけないという意味だ。万が一にも大統領が許しても、それ以外の政府の人間は拒絶反応を示すだろう」
「ああ、そういうことか。うん、気を付けるよ。大丈夫そこまでバカじゃない」
「いや、お前は大バカだ。……そして、俺もな」
「ありがとう、おやすみ」
「ああ、ノボー。おやすみ」

 2日後の10:00、僕は大統領執務室の前にいた。
「ノボー・タカバタケです」
「はいりなさい」
 落ち着いた力強い声が聞こえ、自動で扉があいた。広い部屋は薄暗く、大統領の顔はよく見えなかった。
「こっちに来なさい」と言う大統領の言葉に引きずられるように、僕は前に進んだ。
 僕の歩みが止まった時、視線の2メートルほど先に大統領が座っていた。
 初めて実物を見た大統領はとても怖かった。後ろに流された長く白い髪に、力強い眼光。その目は僕の心まで読んでいるように思えた。
 いろいろと言いたいことがあったのに、僕は言葉を発することができなくなった。
「ノボー、シーに会いに行くんだな?」
 その予想外の言葉に僕の頭は真っ白になった。
「大丈夫だ、人払いしてある。誰も聞いていないし、言うつもりもない」
 大統領は何を言っているのだろう?
「いいだろう、地球に行きたいんだな? 年内に片道用の時空短縮装置付きの船を出そう。日はそうだな……地球歴で12月25日でいいだろう。自動運転ではあるが、その他のことは、全部1人でやるんだ。それでいいか?」
 大統領はまるで、僕の秘密も『望み』もすべて知っているようだった。
「だんまりか。まあいい。そのまま聞きなさい。しかしながらお前は天才でありこの星の英雄だ。お前が地球に行くことを歓迎できる人間はいないだろう。ストーリーが必要になる。そうだな。お前の頭がおかしくなったことにしよう。すべての情熱を研究に使ったため、地球に執着している。ただし、政府は世界最高峰の頭脳を野放しにすることはできないので『服従の証』を条件に、片道の船で星を渡ることを許可した。そういうシナリオでどうだ?」
 大統領の提案は、僕にとって最高の条件だった。
 でも、どうして……?
「お? 『どうして?』て顔をしているな。そうだな。これはご褒美だ。がんばって人類の未来を救った、お前とシーに対するご褒美でどうだろうか?」
「……ご褒美ですか?」
 そう言えばヤマバがそんなことを言っていた。
 突然、大統領は固かった表情を緩め、ほほ笑むような優しい顔になった。
「お前たちは、本当によくやった。うん。いくら地球が予見した未来があり、それに沿っていたとはいえ、本当によくやったよ。俺は感激し、祝福しているんだ。だから、お前たち、お前とシーが望む事があるなら、それを全て叶えてやりたいと言っているんだ」
 僕は大統領の意図が測り切れず、何も言えずに黙っていた。
 大統領は少しがっかりしたように「はー」とため息をついた。
「まあ、とりあえずそういう段取りで進めるよ。ヤマバからの申し出でもあるし」
「ヤマバ?」
「あぁ、ヤマバが『お願いします。何でもしますから、ノボーを地球に帰らしてやって下さい』っていうからさぁ。俺あいつに弱いんだよね。まあ、当面お前の分も惑星開拓を進めてもらうことにするよ」
 そう言ってから大統領は真剣な目で、まっすぐ僕を見た。
「もう一回言うぞ。お前は研究で頭がおかしくなっていた。地球に執着し『服従の証』を受け片道であることを条件に、政府から地球行きの承諾を得た。そうだな、あとは勲章の剥奪と歴史から名前を消す。これもストーリーに入れておくか。この先お前が、誰に聞かれたとしても、あるいは誰かに話すとしても、この前提の上であることを忘れてはいけない」
「わかりました。ありがとうございます」
 僕が今日ここに来た目的は達成されたようだった。僕は「ありがとうございました」と言って振り返り、部屋を出ようとした。長居したいとは思わなかった。
「ちょっとまて、まだいいだろう? せっかく会ったんだし。どうだ、聞きたいことがあれば何でも答えてやるぞ?」
 大統領が僕を呼び止めた。何故、大統領が僕を呼び止めるのか、僕にはよくわからなかった。
 でも確かに、なかなか無いチャンスなのかもしれない。世界の秘密を握る人が、なんでも聞いていいと言っている。
 僕は大統領の方に向き直った。
「では、聞いていいですか」
 大統領はにっこり笑って、「いいだろう」と言った。彼の目尻には深い皺が寄っていた。その笑顔はとても優しく、そして嬉しそうに見えた。その顔を、僕は何故か懐かしく感じた。
「あなたはいったい何者ですか」
「うーん。難しい質問だ。そうだなぁ、すべての意識とすべての知識に触れ、地球の声を聴き未来を予見する者、とでも言っておこうかな。残念ながら新しい星の声は聴こえんが」
「その言葉、シーからも同じような言葉を聞いたことがあります。シーと大統領の関係は? シーとはいったい誰が作った、何者なんですか?」
 大統領は僕のその言葉を受け、大げさに腕を組み、考え込んでいるような仕草をした。
「うーん。それは自分たちで見つけたほうがいいんじゃないか? そうだな、地球に行ったら『ダイブ』してみるんだな。ただし、お前がS・H・Eに飛び込むんだ。そうじゃないと意味がない」
 僕はビックリして聞き返した。
「『D.I.V.E』は法律でも反逆罪並みに、固く禁じられているではないですか!」
 大統領は僕の声を聞いて、少し呆れたように答えた。
「あのなあ、今さら地球に行って誰がお前らを裁くんだ? それに、本来地球は何も禁じていないぞ。人が自分たちのルールと都合で歪めているだけだ。まあ、『ダイブ』にはリスクがある。それは自己責任だ。でも、もう子供でもないんだしな」
 僕は、その言葉の意味を考えてみた。確かに一理ある。そしてそれを試してみる価値は十分にあるように思えた。
 僕は大統領に目を見て、もう一度大統領に尋ねた。
「最後に1つ」
「もう最後なのか?」
 大統領の声は明らかに不服そうだったけど、僕はそれほど長居したいとは思わなかったので、無言で頷いた。
「ふうむ。では俺も条件がある」
「条件?」
「ああ、握手をしよう」
「握手ですか?」
「ああ、世界を救った英雄と別れの握手をするのも悪くないだろう」
「そうですか。わかりました。では、最後の質問ですが……」


 僕は質問の答えを聞いた後、握手をするために前にすすんだ。大統領はゆっくりと立ち上がり、デスクの前まで歩いてきた。大柄に見えたその体は、立ち上がると僕よりも小さく、見下ろす形となった。
「大きいな」大統領が呟く。
 その時、大統領の手が僕の頭のほうに伸びてきた。とっさのことで目を瞑ってしまった僕の髪に、ふわりと柔らかな感触がした。
「よく頑張ったな」
 大統領の優しい声が聞こえた。どうやら頭をなでられているようだった。
「お前たちはよく頑張ったよ。コシーロ、ユーリ、ヤマバ、アンジョー……。シー、そしてノボー、ありがとう」
 大統領の手は、大きく、熱かった。その手のぬくもりを感じながら、僕は自分の中からすでに政府に対するわだかまりがなくなっていることに気が付いた。
 それから、僕たちはがっしりと握手を交わした。大統領は僕の眼をしっかりと見ながら、つかんだ手を強く握った。
「元気でな」
 僕もそれに応え、その優しい目を見ながら、強く握り返した。
「大統領もいつまでもお元気で」
 大統領は目尻に皺を寄せて、嬉しそうににっこり笑った。

 僕は政府専用自動運転機で送られながら、ぼんやりと今日の出来事を反芻していた。なんだか狐に化かされたような気分だった。でも、この心地よさはなんだろうか?
 AI新法を聞いて以来、ずっと体にまとわりついていた黒く重い泥が、すべて流れ落ちたような爽快感があった。ヤマバが大統領を「あのおっさん」と言い、「好きだ」という気持ちがわかる気がした。
 部屋に戻ると、「ヤマバさんから山ほど連絡きてまっせー。ヤマバさんから山ほど連絡きてまっせー。ヤマバさんから山ほど連絡きてまっせー」と、ボローが騒いでいた。
「そうだな、ヤマバに報告しなきゃいけないなぁ」
 ヤマバに伝えよう。地球に帰れること、シーに会えること、そして大統領のこと。嬉しかったことを聞いてもらえる相手がいることは、幸せなことだと改めて感じた。

 ヤマバとの回線を切った後は、強烈な眠気が来た。
 アルコールをとらず眠るのは、この星に来て初めてかもしれない。
 心地よい感覚の中、僕は眠りに落ちていった。

 翌日、テキストアラームもなしに目が覚める。
 白日の6:00、ちょうど朝焼けの時間帯だ。
 僕は黒にしてあったウインドスクリーンを透過させる。
 目の前の世界は朝焼けで琥珀色と赤色に染まっていた。
 白日の朝焼けは地球と似ている。
「美しいなぁ」
 美しい。
 新しい星の希望の朝だ。
 なんて美しいんだ。
 自分の中から、これまで毎朝感じていた絶望感が消えていた。
『私たちは前に向かって進むしかないの』……か。
 マスターの声が聞こえた気がした。
 この星で残された時間。マスターの言っていたこと、聞いてみるのもいいかもしれない。

 この星の恒星は人々に希望だけを届けていた。
 僕は輝く朝日を見ながら、これからこの星で何をやりたいかを考えていた。

8章 終

👇【9章 まとめ読み】6月24日 11:00

【登場人物】

コシーロ・ガート

研究アカデミー世界最高峰と言われるAC.TOKYO筆頭教授。

ユミ・クラ

コシーロ研究室助教授。コシーロとは婚姻関係。

ゼン(ボロー・タカバタケ)
統一政府の初代大統領となる男。

ヤマバ・ムラ

世界企業リコウ社から来た、現場引き抜きの研究員。

マリー

βチルドレンで、ヤマバと共に過ごす。6歳で永眠。

ノボー・タカバタケ

ワープ理論『時空短縮法』を発見し人類を救った天才科学者。

S.H.E(シー)

【使徒】として地球の意志を聞いたスーパーAI。

アンジョー・スナー

ノボー・タカバタケのかつての研究仲間。10年来の付き合い。

【語句解説】


【本編連載】※ビジュアル有


【4つのマガジン】


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