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国家は国民次第です。

1974年1月の田中角栄総理は東南アジア歴訪の最後の訪問国としてインドネシアを訪れた時、「反日」暴動が起きました。マラリ事件として知られています。日系企業が、当時の独裁政権であるスハルト大統領側近の権力者や華人系財閥と連携してビジネスを拡大していたことに対しての「反日」運動でした。それまで日本政府は、インドネシアを商売の対象として見る考えが強く、国民への関心は薄かったのですが、マラリ事件で、日本政府のインドネシアに対する見方や外交の考え方が変わりました。その事件を機会に日本の外務省は、東南アジアにおける外交姿勢を改め、文化交流事業を推進するようになりました。この流れは、1977年に発表された「福田ドクトリン」として結実し、インドネシアを含む東南アジアの親日感情につながったと言われています。
その福田ドクトリンの精神を中心とした、日本外務省の奨学金制度がありました。東南アジア諸国から毎年1名の奨学生を選び、日本で留学させる制度です。その制度は自民党政権から民主党政権への政権交代時に廃止されましたが、文部省の奨学金制度として続けています。私は、その制度が外務省の傘下にあったとき、お世話になった一人です。その時、現在の在ミャンマー大使である丸山氏を含め日本の東南アジア外交政策に関わっている方々と交流の場面がありました。官僚らのミャンマーに対する考え方は、2009年自民党から民主党への政権交代後も、変わりなく同じでした。現在も、外務省の東南アジア担当者と話し合う機会があり、今でもなお対ミャンマー外交はまったく変わっていないことを痛感しています。
残念ですが、現職の日本の政治家にも、有識者社会にも、日本の対ミャンマー外交政策を根本的に変えられるようなカリスマ性のある人物は存在しないです。また、日本は今まで欧米諸国と違って、独自の外交政策でミャンマーの軍事政権を含め代々の政権と親交を深めてきたため、欧米に配慮する場面はたまにありますが、独自の外交政策を根本的に変える意向は全く見えていません。
では、一体誰が日本の外交政策に一番影響できるのでしょう。それは、ミャンマー国民です。日本政府が軍評議会を正式な政府として認めづらく、国民統一政府と水面下で対話しなければならないのは、ミャンマー国民の大半が軍を否認し、国民統一政府NUGを支持しているからです。国民の意志は政府の統治の権限の基礎となるものとするという「世界人権宣言第21条」の通り、国民統一政府は政府の権限を有しています。それが、軍寄りの日本政府を困らせているところでもあり、さまざまな手段を利用して分断しようとしている動きもあります。また、ミャンマー人は歴史や外交・政治に関して知識が乏しいと見下し、日本人の意見や行動を優先する・従う人たちもいます。そのため、ミャンマー国民として、正しい判断や立場を清明にして続けなければなりません。ミャンマー国民が一致団結して、民主による正当性(Legitamacy)と支持の声を日本政府を含む国際社会に届け続けなければなりません。そして、自分たちの力でこの革命を成功させるのです。
国家は国民次第です。


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