音楽と幸福(well-being)に関する一考察(後半)
ピティナ音楽研究所音楽教育研究室研究員の石川裕貴です。前半では,「well-being」と音楽教育の実態についてまとめました。後半では,「サウンド・エデュケーション」について,そして実践と結果について,説明したいと思います。
1.「サウンド・エデュケーション」という切り口
カナダの作曲家,音楽教育者のR.M.シェーファーは,1960年代,音を風景の一部として捉え,自然音や環境音といった「社会を取り囲む様々な音の相対」として,「サウンドスケープ」という概念を提唱しました。この「サウンドスケープ」を基盤とした,「音」を〈聴くこと〉と〈創ること〉の往還を学習する音楽教育プログラムが,「サウンド・エデュケーション」です。
今回の発表では,中学1年生の音楽の授業で「サウンド・エデュケーション」を実践し,音楽科の目標である「生活や社会の中の音や音楽の働き,音楽文化についての理解を深めていくこと」(文部科学省 2018,p.6)に貢献し,「well-being」を追求していくことのできる音楽教育の在り方を検討しました。
2.「サウンド・エデュケーション」の実践と結果
(1)実践
実践したのは,『音さがしの本』(シェーファー,今田 2009)の中の4つのエクササイズです。
静かに歩きながら身の回りの音を知覚する〈サウンドウォーク〉,そして,聴こえてきた音とその特徴を記録する〈音の日記〉による鑑賞活動を行い,そこから強弱やリズム,音色といった音楽の要素やその特徴を探りました。そして,実際に聴いた自然音や環境音もとに,「音」を図形にして記譜する〈図形楽譜〉を創作し,それをもとに「紙」を音素材として用いた音楽づくりを行い,班毎にアンサンブルを行いました。
今回は,授業実践の参与観察,そして「生活や社会の中の音や音楽の働き,音楽文化についての理解」に関する事前および事後アンケートの結果を分析しました。
(2)結果と考察
参与観察とアンケート調査の結果より,以下の考察が挙げられました。
このことから,「サウンド・エデュケーション」は,公正性や柔軟性,エラーへの寛容性,身体への非負担性等を原理とする「Universal Design」(Mace 2018)や,インクルーシヴ教育システムの構築のための「障害の状態や発達の段階に応じた指導や支援」(文部科学省 2018,p.96)が担保され,音楽経験の有無や得手不得手に関わらず,生活や社会の中の音や音楽の働き,音楽文化についての理解の深化に貢献し,「well-being」を追求していくことのできる音楽教育のひとつだと言えます。
3.Final Thought
音楽の教科書や指導書では,ほとんどがプロの作曲家によってつくられた楽曲で構成され,主に18世紀古典派から19世紀ロマン派頃に中央ヨーロッパで確立された調性音楽の演奏のための技術を要求します。そのため,音高を確実に取れない生徒は音楽嫌いになり,ピアノ等の経験を持つ生徒が良い成績を取るなど,不公平が生じてきました。
学校には,音楽経験の有無や得手不得手など,様々な子どもたちが混在しています。学校教育,とりわけ義務教育では,2015年に国連総会で採択された持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals:SDGs)でも掲げられているように,「誰一人取り残さない」を原則として教育を展開していく必要があります。
ピアノを習っている生徒もそうでない生徒も,誰一人取り残さず,「well-being」を追求することのできる音楽教育の在り方を,今後も追究していきたいと思います。
【引用・参考文献】
Organization for Economic Co-operation and Development (OECD) (2019). Learning Compass 2030 concept note. https://www.oecd.org/education/2030-project/teaching-and-learning/learning/learning-compass-2030/OECD_Learning_Compass_2030_concept_note.pdf (accessed August 30, 2022)
R.M.シェーファー,今田匡彦(2009)『音さがしの本:リトル・サウンド・エデュケーション』春秋社.
The RL Mace Universal Institute (2018). Principles of Universal Design. http://udinstitute.org/principles.php (Accessed August 30, 2022)
外務省(2022)CONSTITUTION OF THE WORLD HEALTH ORGANIZATION. https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000026609.pdf (accessed August 30, 2022)
菅裕(2021)「コロナ感染症対策下での音楽科授業についての調査:音楽科教員は何に困り,どのように対応したのか」『音楽教育実践ジャーナル』vol.19,pp.25-34
文部科学省(2018)『中学校学習指導要領(平成29年度告示)解説音楽編』
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