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「沖縄へルーツを探る旅」 参加後記録

自分の先祖を襲った沖縄戦の歴史やさまざまな苦労、ルーツを辿った先に見えたものは、想像を超えるほどに向き合うのが大変で、本来の目的から少し逃げながら仕事に全振りした1ヶ月を送っていた。

横浜の鶴見からきた若者たちとの「第27回沖縄へルーツを探る旅」は、改めて自分が沖縄を訪れた理由を考え直すきっかけとなった。仕事詰めの日々から抜け出して、自分の感情に丁寧に、素直に向き合った1週間だったと感じている。
 以下は、プログラム終了後すぐに記した「みんなの旅の感想レポート」の一部である。

「自分は何者なのか」
日本人でもペルー人でもないと感じるとき、いつの日からか沖縄とのつながりに思い馳せるようになった。

そう思い始めたのは、沖縄からペルーへ海を渡った移民の歴史に興味を持った高校生の時からだ。当時参加したスペイン語スピーチコンテストのため、若くして移民した曽祖母の歴史について学び、発表した。その時から「自分が繋がっている沖縄を訪れてみたい」と、観光客としてではなく、何かを探しに、誰かに会いに行きたいと、他の人とはちょっと違う特別な感覚を抱き始め、大学4年生の今、今までの人生で一番大きな挑戦をしているところだ。

沖縄移住から3ヶ月後に行われた「沖縄へルーツを探る旅」では、読谷村(よみたんそん)のチビヒリガマ(沖縄戦で多くの人たちが自決した防空壕)を訪れ、沖縄戦の歴史に関して学び、元々小学校として使われていた校舎に宿泊し、みんなで遊んで、ガールズトークで盛り上がり、1人で沖縄にいるのとは違う暖かさや楽しさで充実していた。小学校でヤモリを探したこと、フリスビーに本気になって筋肉痛になったこと、雨の中の海で楽しんだことは本当に素敵な思い出である。

犠牲者が記された石碑に目を奪われる小学2年生のプログラム参加者

プログラム5日目、親戚訪問当日。快晴な空と急な土砂降りの不安定な天気だったこの日、私たちの班は親戚に会うことが叶わなかった。誰かに会うことができて歓迎されて、自分と沖縄とのつながりを深く感じることができたという話をよく耳にするからこそ、少し寂しく感じた。「私の親戚は戦前民だし、家族のほとんどがペルーに残っているからしょうがない。会えなくても、辿れなくてもしょうがない。ただ沖縄滞在を楽しめばいいや」と開きなおっていた。

しかし親戚訪問の後の夕食中にみんなの出来事を聴き、素敵な経験ができた他のメンバーが少しだけ羨ましかった。会うことができていない私の気持ちに寄り添い「知り合いを紹介する」や「この機関を訪ねてみたらいいよ」と、沢山手掛かりを教えてくれる先生や参加者たちの姿を前に、「ルーツを探しに来る」という本来の目的を諦めてしまっている自分に気がついた。本当は誰かに会いたいと思っている自分の気持ちを知って、なんだか感極まって涙が止まらなかった。会えないことのもどかしさと、鶴見から来たみんなや島の暖かさに触れた時の感情でぐちゃぐちゃの涙だった。

沖縄にルーツを辿りにくる、同じ目的で集まる人たちと一緒にいるのはとても心地が良く、自分が今後どう生きたいのか、自分のルーツやアイデンティティについて、参加したメンバーに話しながら、素直な気持ちで向き合うことができた。今まで経験したことないくらい、色んな文化や価値観の中で揺れ動いている自分にとって、頼れる先生方やこの旅で友達になった人たちの存在は特別なものだったと感じている。

私にとっての「沖縄ルーツ探しの旅」は、この日を境に再スタートする。

戦前移民だから残っている資料は少ないかもしれないし、会えないことも多くあるかもしれない。だが、会えないなりに、感覚を研ぎ澄まし、自分の感情に素直になって島の暖かさを感じながら、語り継がれなかったファミリーヒストリーを辿っていこうと思う。

ー残波岬ー 100年前の沖縄から南米への移住船を見送るスポット

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