ハテナマークでSay, Hello
巨大な地縁社会としての東京
私自身はドがつく田舎からの上京組だけど、タワマン街などではない割と古くからの東京の住宅街では、地方の人間が「東京23区」と聞いてイメージするよりも遥かに土着意識が強い。
いかにも田舎くさい排他性こそないけれど、「オラが町」という自負は、何なら地方以上に強いかもしれない。
同じ名字が密集してたりもするしね。
そんなわけでちっともドライじゃない大都会・東京のPTA会長として、学区域の町内会の会合などに顔を出すことも少なくない。
そうすると学校の内外を問わずやたらと顔見知りが増えるので、石を投げれば知り合いに当たるという、まるで私の故郷のような激狭コミュニティが大都会の片隅に爆誕する。
会長就任が決まったとき、前任者から「信号無視はしないようにね」と申し送りを受けた意味が、ここにきて理解できましたね。
壁に耳あり障子に目あり。天網恢恢疎にして漏らさず。
埋めがたい情報の非対称性
そうやって地域社会に脚を突っ込んではみたものの、そこでの人間関係は私自身が開拓したわけではなく私の肩書きに結果的に付随してきたものに過ぎないので、ぶっちゃけよく知らない人が山ほどいる。
するとどうなるか。
向こうは自分のことを知っているけれど、こちらは顔を見たことがある程度、という人が、町のそこかしこにいる日常、です。
とにかくよく挨拶をされる。
通勤で駅へ向かうだけでも、ちょっとスーパーへ買い物に行くだけでも、飼い犬を散歩してるだけでも、投げかけられる「こんにちは」。
一度息子を連れ歩いていたら誰か思い出せない人から挨拶をされ、相手がまだいる中で息子が「誰? ねぇ誰?」と聞いてきたときには、冷や汗大放出。
後になって「相手に聞こえる状態でそういうことを訊くもんじゃない!」と強めに叱りつけときました。
処世術、という言葉もまだ知らない小学3年生には厳しい指導だったかもしれません。
でもまた同じことがあったら困るし。ゴメンよ。
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