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自分のことなんて自分が一番知らない

私は「自分のことは自分が一番わかっている」とは思えない人です。

主観より客観の方が正しい場合もあるし、何より社会という他者との関わりの中で生きているので、自分がどう思っていようが、“他者から見られた自分”がその社会で動いていることになります。

他人に自分を見出してもらうこともあります。今回はそんな私自身のエピソードです。

時刻は21時を少し回った頃。

夜の外来診療を終え、リハビリ室の戸締りをしてから、私は1人の先輩とともに病院の薄暗い廊下を歩いていた。

すると先輩の方からこう切り出した。

「今日は遅なったな。せっかくやし、飲みにいくか?」

「良いんですか?行きましょう!」

二つ返事で私はこう返した。

先輩の名前は、重岡さん。
私より5歳年上で、管理職では無いが、何より患者さん想いで勉強熱心、治療結果も出しまくる、まさにウチのリハビリ室の“エース的な存在”だ。

若手の療法士はみんな重岡さんを尊敬しており、もちろん私もその1人だった。

着替え終えた私たちは、病院を出て駅前の路地裏へ。

この時間は“二軒目”巡りをして、ご機嫌な方々が多いのだが、シラフの私たちはそれを尻目に行きつけの焼き鳥屋へ足速に向かった。

店の前に着くと、重岡さんがのれんを手で上げて店内に話しかける。

「おばちゃん!空いてる?」

「空いてるよ!こっち来ぃ!」

おばちゃんの威勢のいい返事が聞こえた。

中に入ると1番奥のテーブルが空いている。

この店は夫婦2人でこぢんまり経営している店なのでそんなに広くないのだが、味はピカイチ。おばちゃんの愛想も良く人気店だ。

席に座ると同時ぐらいにおばちゃんがおしぼりと紙と鉛筆をテーブルに置いた。
忙しい時は注文を自分で書いておばちゃんに渡すスタイルになっている。つまり、今日は忙しいようだ。

生中×2
鶏刺し盛り
もも焼き
焼き鳥おまかせ

などを書いてカウンターに置いた。

注文を書いてる時におばちゃんは横目で確認したんだろう。

「はい、コレ。持って行き!」

と、すぐに生ビールのジョッキを2つ渡された。

「ありがとう」
と、言って受け取り、重岡さんに1つを渡す。

「お疲れさん」

重岡さんの一言の後、乾杯をして私はジョッキの半分ほどビールを飲んだ。
お酒が特別好きというわけではないが、仕事後の一杯はやはり美味しい。

「いきなりやねんけど、岡くんこの先どうなりたい?」

重岡さんは、本当にいきなりな事を質問してきた。

「どうなりたい…とは?」

この時私は3年目の理学療法士。
アルコールのせいではなく、重岡さんの質問を理解しきれていなかった。

「簡単に言えば、ずっとこの病院で働くんか?ってことですか?」

「まぁそれもあるけど、どんな風に働いていきたい?臨床でバンバン患者さん診ていきたいとか、研究もしたいとか」

私の逆質問に対して、重岡さんはこう答えてくれた。

「あー、なるほど。今は患者さん診るのが楽しいです。だから重岡さん達にいろんなこと教えてもらうのもすごい面白いし。だからその答えで言うと“臨床でバンバンと”になりますかね」

「そうかー。ならもっと頑張らんとアカンな。岡くん、『うまくやる方』の人間やから」

自分なりには頑張ってたつもりだったが、重岡さんやそのお仲間に比べればまだまだ勉強してないのはわかっていたので、悔しい想いはなかったのだが、『うまくやる』というのはイマイチ腹落ちしなかった。

「僕、うまくやれる方ですか?不器用と自覚してるんですけど」

「そら、もっとうまくやる人もおるし、うまくやりながらめっちゃ努力する、1番敵わへんタイプの人もおるよ。けど、俺から見たら岡くんは『うまくやる方』やわ」

「そうですか…?」

「いや、別にアカン言うてるわけちゃうで?ようは賢いねん。俺らが言ったことをすぐ理解して自分なりに患者さんに還元していくやろ?そういうことやわ」

「そうですねぇ。確かに患者さん診ててわからんことは先輩に聞いたり、本読んだりして、解決するようにしてます。でもそれ当たり前ちゃいます?」

「当たり前やで。ただ、見聞きしたことを自分で使い分けて患者さんにチョイスするってとこはセンスやわ。でも、俺らみたいな“臨床家”てなるとちょっと違う」

「どんな感じなんですか、“臨床家”は?」

「簡単に言うと、疾患や個人が違っても、“自分の診方”を持ってるかどうかやな」

教科書やエビデンスは大事なことだが、それだけを武器にしていると結果の出ないことがある。

その時にはやはり発想力や柔軟性が必要になる。
それらを含めて“自分の診方”というのだそうだ。
だから、間違っても、手技に固執することではない。

なるほど、と思った反面、別の疑問もあった。

「でも、僕みたいな若手だとまだまだ“自分の診方”を持てる経験がないですよね?経験値に左右されそうな気がしますが……」

「それはある」

ここでおばちゃんが注文した何品かをテーブルの上に置いた。

遮られた形になったので、重岡さんは焼き鳥を1つ手に取り続けた。

「ただ、常に考えながらやってる若い奴もいる。そういう奴は“自分の診方”が出来てくる」

うんうん、と頷く私。

ただ心の中で思ったのは、

(自分も考えてるつもりだけど、実は常に考えながら介入するって実はすごく大変)

ということだった。

どうやら、重岡さんは普段の私を見ていて思うところがあったのだろう。

「岡くんは考えてるやろ?でも、さっき言った足らんのはそこの部分。言われたことすぐ吸収するから、それでスーっと行ってしまうねん。俺も君には自分の代診振ろうと思うけど、そこの部分をどう捉えるかやな」

痛いところを突かれた。

愚直にやる、ことはどちらかと言うと苦手な性分だ。

「まだまだですね。感謝された患者さんもいてますが、うまくいかなかった方も多い。今それを言われて自分がちゃんとやり切ってたかなぁって思います」

「そんなもんやねんけどな。しかも経験が増えていくと“なんとなく”で介入できてしまうから。結果が1番やけど、“なんとなく”だけではうまくいかないことも出てくる。次4年目やろ?1つの変わり目やから言っておこうと思ってな」

「ありがとうございます」

気づけば最初の一口から全然飲んでなかったので、ビールはぬるくなっていた。
そのぬるいビールをグッと飲み干し、その勢いで重岡さんに自分のことを聞いてみた。

「僕、何に向いてるんでしょうね?正直、重岡さんほど愚直にはなれる自信もないし、でも臨床は好きだし」

「俺は岡くんは研究とかに向いてると思ってたけどな!地頭が良いというか、疑問を持って相手を見れるやろ?ただ、それは臨床家のって感じじゃないねんなぁ」

「研究?大学院とかですか?」

「そこまでいかんでも臨床でデータ取ったり、症例発表したりできるやん?そんなん向いてると思うで?」

自分が研究??
一体どこを見てそう言うのだろう?

ただ、

(この人が言うなら、ホンマに向いてるんかも)

とも思った。

コレを全然知らない人に言われていたら感じ方は違っただろう。
自分の尊敬する人が、自分を見て感じたことを言ってくれてるのだ。
すると、なんだか期待に応えたい気持ちになった。

その矢先、ポンと頭に思い浮かんだことがある。

「そういや、今度地区ブロックの新人症例発表があるんです。その知らせが来てました。3年目までが対象だったんですが、出してみましょうかね?」

「ええんちゃう?手伝うで!」

私はその時、ポストポリオでADL拡大のために装具を調整しようとしている方を担当しており、義肢装具士さんや主治医の先生と話し合って、どうしていくか考えていく途中だった。

その人をケースとして考えていこう!

その飲み会の翌日から、私はケースの方の動画を撮ったり、装具の解釈について義肢装具士さんと話し合ったりと、症例発表に向けて準備をし出した。

スライドは重岡さんや、主治医の先生に見てもらえたことで、形が整った私の発表は、思いのほか好評だった。

そしてなんと、地区ブロック代表の発表として、大阪府の理学療法士学会に推薦されてしまった。

推薦理由は、

“問題点の整理から考察にかけて、臨床推論がしっかりしていた。見せ方がよかった”

というものだった。

喜びより驚きが大きかった。

まず重岡さんに伝えると、

「ほらな?そうやってちょっとして結果が残せるやろ?アウトプットの才能があんねんで。ただ天狗になるやろから、研究とかしてもっと愚直に知識を追い求めることもした方が、より成長すると思うで?」

なるほど。
やはり、良く見られている。

私だけでは、推薦されるような発表どころか、そもそも発表しようとすら思わなかった。
自分で自分のことなんてわからないものだな、と改めて感じた。


その翌年、重岡さんは病院を辞め、“臨床家”として独立した。
その方が縛りがなく、クライアントを良くできると考えたらしい。

そして私は、大学院に進学した。
『研究なんて向いてない』と思っていたけど、症例発表のようにやってみなけりゃわからないと思い直し、挑戦してみることにした。
(結果的に、研究は向いてなかったのだけど……)

重岡さんの一言から、
症例発表→大学院進学と繋がり、
そこからキャリアやアウトプットの重要性を学んだことで、noteや電子書籍という現在の活動に至っている。

「自分はこんな人間」と決めつけず、
他人の意見やアドバイスに耳を傾け、
最後は自分で行動する!

頑固さは不用だ。

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