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知らない人にこそ救われている

久々に帰ってきた。
物を書く時間もまた、向き合う時間を用意しないとできないものだな。

年末年始、心が破綻していた。「母の為に時間を用意する」を最優先してたことに気がついて、悲しくなってしまったのだ。今となってはそうして欲しいと言われたわけでもないし、そうした方がいいなんて誰にも言われてないから、私本意で自分の中の「あらねばならぬ」に縛られていただけだったとは思う。でもあの時は本当に苦しかった。

自分の居場所を持ちたくて中古の家を4年前に購入したけれど、今や家は高齢者の母仕様になってしまって、私の住みたかった家ではなくなっている。正直に言えば既にあの家が好きじゃない。こんな悲しい事ないなと思う。今の夢と聞かれれば「一人暮らし」と答えられる。でも母にも居場所は必要だし、彼女が彼女らしく暮らせる家になるならそれもありじゃないか、そう思う自分もいるにはいるのだ。これが、長年培われた「母寄りの私」なんだろう。たまに出てくるもう一人の私が「もっと自由になっていいんだよ」って言うけど、その方法、よく知らない。
彼女がこの世を去るまで、私の家は私の家じゃないんだ、そう考える自分も、その事実も受け入れがたいほど悔しくて苦しかった。

こんなに私がしんどいことを、この家で楽しく暮らす母に知っていてほしいと思えども、言ったところで、謝ってほしいわけでもないし、たとえ謝られても何か変わることもない。出来るとすれば今から自力で強引に何かを変えていくことだけだと気が付けた。よく言うところの「過去は変えられないけれど、未来は変えられる」というやつだ。

そこで超単純に、スポーツジムに通うことにした。仕事が終わって、好きじゃない家に帰らなくて済むのだ。ジムに直行して頭を真っ白にして帰る。週に3~4日通えるようにして、その間母も私の帰りを待つ必要もなく、自分の時間で暮らせる。WIN-WINである。その代わり週末は母を連れ出して、出来るだけ一緒に気持ちが動かされるものを探す。景色、絵画、イベント、おいしいもの、かわいいもの。親子だもの、ときめきポイントは分かる。

ジムに通うと、今まで自分に無かった「人の世界」が出来た。敢えて仲間は作らないし、あくまでソロ活として通っているけれど、周りの人を見ているのは面白い。老若男女、ゆるくやる人、追い詰めに来てる人、様々。でもなんであれ、ジムに来る人に後ろ向きな心持ちの人はいないように思う。

絡み合わないけど、知っている間柄。あの人毎日来てるのかな、今日はあの人こないのかしら、自分の中にそんな薄い点線程度の関係が出来ていることを感じる。素敵な人もいたりして、ああなれたらいいなと思えたり、失敗しても絶対叱る事のない(むしろ褒めて盛り上げてくれる)インストラクターが心の味方に思えたり。単純だけど、私の心はあんなにしんどかったのに、自然と補修されていて、そういうタイミングだったのだと感じている。

知らない人だけど、その人を少し垣間見る感じって、旅先の出来事みたいだ。たまたま隣に座った人と近い角度で何かを見たり、同じ瞬間を体感したり。ジムだと「このしんどさはやった人にしかわからん」とか「今日も無事最後までできた」という共感があったり。勿論知らない人だから何も言わないけど。多分お互いそういうのは生まれていると思う。

そして自分に対しても、今日もケガ無く終わったねーと少しほめてあげる。

母を放り出したような気持ちも今ではもうなくなって、親子のルームシェア状態が出来上がった。気兼ねなく自分の時間を自分の為に使っている。そうだ、壁は自分が作っていた。多分ずっとそうだったんだ。

ともすると、今思えば、やりたかったことをやってもよかったんだろうなって思う。客観的にみれば、母を理由にやらない選択をしてきただけのような気もしてくる。それも悲しいからもう過去は考えないけど。でも、こんな風に潜在的に「母を許せない気持ち」が根付いている事を知ってしまったから、自分の中に「母を許す作業」が必要だなと思う。いつか本当に母がこの世を去った時、許し切れていなかったら、私が一生抱えることになってしまうから。それは一番望まないことだから。

私のために、私の時間を使う。未来の私のしあわせのために。

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