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嘘つきは正直のはじまり

家に帰るのがいやな子供だったと思う。よくあの頃の気持ちを思い出せないけど、「外」という非日常の場所から「家」という日常に戻りたくなかった気がする。苛立ったり優しかったりする母に心をついていかせるのが子供ながらにつらかったのかもしれない。時間を忘れるように自分を仕向けていた。「あ、もう帰る時間だ」と自覚したくなかった。気付いたら遅くなってたんだ、私は悪くない、そう言い聞かせては、幾度となく「時間を守れない子」として叱られた。叩かれたり外に出されたり、今思えば酷かったな。

子どもの私にはまだあの気持ちが何者か分からなくて、「帰りたくないと思っている」のに、帰りたくない自分が悪に思えて、そのSOSは言えなかった。母さんが怖くて家に帰りたくない、母さんに優しくしてほしい、きっとそれを言えてたら何か違ったんだろうけれど、あの時の自分は「母さんが苛立つのも大変そうなのも自分が悪いんだ」と思っていたから何も言えなかった。よって私は、叱られる時は無言になるスタイルを確立した。

その態度は母を逆撫でした。そして何も言わない私は「嘘つき」ということになり、自分の気持ちを言わないずるい一人娘は出来上がっていったのだ。

その後「話さない=ずるい」は「話す=正直」という意味を孕んでいく。何でも話すことが「正しい」と、心を開いている証だと、そう考える時期があった。好きな人ができたり、恋人の関係になったり。繋がりを堅結びしたい時にこの考え方が、正しい折り目の角を尖らせるようになる。

私は未だにこの「話す」と「話さない」のバランスが分からなくなる。言っていい事、ダメなこと、思っててもいいけど言ってはいけないこと。言わないと逃げてることになるような気がしたり、言う事こそが行動だと思えたり。自分の事だから話す、正直でありたいから、と話す。

でもこれが相手にとっては重荷になることもある。

それを知ったのは父が癌を患った時。抗がん剤治療で髪は見事に抜けて誰が見ても何かの病気と分かる状態の頃、父はその視線を気遣ったのだと思うが天気の事を話すくらいの気軽さで、自分の病気とその状態を会う人会う人に話していた。正直あまりいい状態じゃなかったから、聞いた人は驚いたろう。そして、突如受け取ってしまった未来が灰色の話に、返せる言葉は誰も用意なんてなくて、大変ですねとか応急処置程度の言葉を並べて返す。そしてそんなのでは振り払えない重さが腕に残ったまま、日々を過ごすのだ。

これは酷だ。正直と言う名の感情テロだ。

私が話す話さないバランスを分からないのはこの父の血なんだろうか。それを聞かされた相手の気持ち考えたか?と今は客観的には分かる。父は父で相手を思うばかりに「正直に」話しただけだろう。嘘を言っても仕方ない、だから正直にそのまま言いました。それだけのことだ。

今日は「SSQ9」という測定をやってみた。いざと言う時に自分を助けてくれる人の名前を挙げてみるのだが、私はどの項目も大体同じ人の名前だった。それくらい私には彼女たちが大事なのだけれど、それくらい大事なことを彼女たちは知っているだろうか。私がこれほど必要としているのかを知ったら、嫌だなって思うかな。別の不安がよぎった。

私はあなたを必要としているけれど、あなたが私を同じように必要としているかは分からない。まして「正直に」悩みを話したらつらい思いをさせないだろうか。話すのは最後の手段にしよう。でもまた黙るのも苦しいかな。

正直は扱いを間違うと両方をしんどくさせるね。でも、彼女たちのそれは受け止められる自分でいたいと思ってる。いつでもいいよ、って思ってる。

同じことを求めても仕方ない事だけれど、そうじゃない思うと途端に心細いものだ。だから大丈夫と信じて、明日からまた彼女らを大事にしよう。

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