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ハラスメントへの意識

モラハラに関わらず、パワハラやセクハラ等、近年は様々なハラスメントが出てきました。世の中の言葉の認識度はかなり高くなっていると思います。

では、ハラスメントに対して当事者意識を持っている人は果たしてどれくらいいるんでしょうか?(・・;

かなり少ないと思います。

これだけ世に広まった言葉なのに...なぜでしょうか?

それはきっと...

誰もが「普通」という言葉に縛られているからだと思います。

けど「普通」ってそもそもが理想・幻想なのではないかと思います。どういうことかというと...

人って孤独、独りだけってことを基本的に嫌います。何かに属していたり、役割が明確になると安心することが多いです。

だから自分の拠り所を探します。職場、家庭、友達…。その中で「〜〜部長」とか、父・母とか、細分化されていきます。

そして、自分をある役割に分類します。役割が決定すると、仲間が欲しくなります。自分一人だと、結果何にも属することなく孤独なままですから。

こういった行動をたくさん積み重ねて、価値観の一部が作られているのだと思います。

さて、ハラスメントという言葉は割と近年になって注目された言葉です。ですので、「ハラスメントとは無縁な自分」が既存の役割として先にありますから、加害者も被害者も中々新しい役割としてアップデートすることができません。

更に、加害者は自己愛の強い人が多いですし、被害者は加害者の支配によってアップデートがより阻害されますので、共に「ハラスメントとは無縁な自分」を維持し続けてしまうのではないかと思います。

だからハラスメントの言葉だけが一人歩きして、中々内容の理解が進まない。

そんなふうに思います。

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