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ザッハトルテのにがいはなし

気がつけばもう35年前のザッハトルテとのファーストコンタクトを備忘録。(2024年時点)

1970年頃、雑誌『りぼん』の付録に、ケーキの名店を扱ったノートや冊子がついてきて、それをうっとり眺めたものだった。一番印象に残っているのはいまは亡き巣鴨のカドの豚の形のケーキだった。と思ったら、カドは引き継いだ方が場所を移転して営業はされているらしい。

その頃は新潟に住んでいて、あぁ、東京に行ったらいつか食べてみたいと憧れたものだった。それから何年後に父の転勤で埼玉県に引っ越し、しかも学校が巣鴨のお隣で憧れのそれをいただくことができた。私にとってカドのケーキは格別な存在だった。

その特集で何度も見かけたのが、デメルの「ザッハトルテ」である。

チョコレートスポンジに、分厚いチョコレートがかかっていて、これは夢のようだ、、が、ウィーンなんて外国にはとても行けそうもない、一生かかってもこれを食べられることはないだろう、、と思ったものである。

が、それが!1988年デメルが突如東京は原宿に上陸したのである!!!当時は世田谷に住んでいて、自転車通勤していたので自転車移動範囲にザッハトルテが?!とそれはまるで夢のようであった。

場所は原宿クエスト、原宿駅を降りて大通りを真っすぐ行ってすぐのところ。内装はウィーンから運び本格的に店を再現したとのこと。当時はロードレーサーにレーサーパンツ、SPDペダル対応の靴で移動していたのだけど、さすがに店の雰囲気にあわなさそうなので、到着してからスカートを着用して訪れた。

当時の様子はスイーツ番長さんのブログに詳しい。

席数は多くなく、入店待ちはいつでもあった気がする。少し待って、猫足の小さな二人テーブルに通される。このころはまだ若くてずいぶん背伸びした気分だった気がする。頼むものは決まっている「ザッハトルテとコーヒー」である。

さて、運ばれてきて夢が叶う!と思ったザッハトルテ

ファーストインプレッションは

「あ、あまいいいいいいいい?!」

そりゃ、チョコレートケーキなんだから甘いんでしょとなりそうなものなのだが、今となっては知らない人もいないかもしれないが、、、ザッハのこの外側のチョコレート色は「チョコレートではない!」わけです。
チョコレート味のフォンダン(糖衣)で、どちらかというと砂糖のかたまりのような。ちがうんだ、チョコレートじゃなかったんだ!という衝撃。

そして、コーヒーが運ばれてきた。当時としてはけっこうなお値段の1100円。すてきなカップとソーサーに入ったコーヒーをいただいた、が

「にがいぃいいいいいいいいい!!!」

コーヒーは深煎りの苦いのが好きだと思っていたがそんなレベルではない、苦くて胃が痛くなりそうだった。
今となってみれば、あれはエスプレッソに近かったのではないかと思う。が、当時はまだエスプレッソという概念がほとんどなかったのよね。そののちにもエスプレッソはチャレンジしてみたけど苦くて苦手。

20年近くあれほど恋い焦がれたザッハトルテが、ウィーンのコーヒーが!冷や汗しかでてこなかった。w

ヨーロッパ菓子は、たとえば銀座レカンもそうだが頭がクラクラしそうなほど甘い! 甘さに手心を加えない!のがヨーロッパのアイデンティティなんだろうなと思ったりもする。(2024年現在については不明)

夢が叶うことが必ずしもHappyなわけでもなく、ただただ忘れられない衝撃の思い出となった一幕でした。

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