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生命の記憶

-my timeline 06-

こんにちは、こんばんは。ぷさんです。

少し時間軸がズレますか、これを先に記録しないといけない気がしたので書き出してみます。
生死に関する内容となるので、引っ張られやすい方はここで読むのを止めて頂ければと思います。


私が初めて身近な人の死に直面したのは小学校低学年のときです。
4つ年下のいとこが交通事故にあい、7歳に満たない幼さで亡くなってしまいました。
事故の知らせを聞いたときは何がなんだか理解が出来ませんでした。
お通夜・葬儀と参列した際に、その場に満ちた悲しみの雰囲気にのまれ、いとこの顔を見る前に声を上げて泣きました。
最近になって自分がHSPだと気づいたのですが、今思えば子どもの頃から敏感に周りの感情を感じって、余計に悲しかったのかもしれません。
とにかくショックな出来事でした。

2回目は高校生のとき。
父が自ら命を絶ち亡くなりました。
伯母の家に母と妹と一緒に行き、父の顔を見ました。
離婚してすぐの頃に1度だけ会ったあとは顔を合わせて居ませんでしたが、死に目を前にして何となく記憶が蘇ってきました。
妹2人は全く覚えていない(H美は産まれてから会ってないので当たり前ですが…)状態でした。
遺書も少しだけ読ませてもらいましたが、実父の死のショックに最後まで読むことはできず、ここでも声を上げて泣いてしまいました。
帰り道の車内で、母から「あなたは連れてこない方が良かったね」と言われ、それもまた悲しくてずっと泣いていた記憶があります。(母としてはあまりにもショックを受けた私を見ての言葉だったと思います)

その後も高校卒業の年に中学の同級生が交通事故で亡くなり、翌年に叔父(母の弟)が仕事中不慮の事故で、高校の同級生は自らこの世を去り、専門学校の同じクラスの子が病気で亡くなりました。

社会人2年目の夏には祖父が癌で亡くなり、私の中で1番長く一緒に過ごした人の死に直面しました。
亡くなる前に1度だけ病院にお見舞いに行きましたが、既に病状が良くなく会話する事はできませんでした。
祖父は厳しい人だったので色々思うところもありましたが、やはりもう会えなくなると楽しかった思い出が溢れ、別れがとても辛かったです。

正直、20代前半でここまで人の死に対面することがあるとは思ってもみなかったので、毎回悲しみに襲われていたように思います。
何度経験しても胸が締め付けられる感じがしてとても辛かった。

思い出すだけでも涙が零れてしまうので、あまりこういう話をしたことも書いたこともありません。
ですがこのmy timelineを記録し始めて、今まで自分の中に埋めていた悲しみの塊もきちんと癒す時が来たのでしょう。
これまでの私をしっかり抱きしめて、「とても悲しかったね、もう大丈夫だよ」と声をかけようと思います。

生きていればいつかは最期の時がきます。
最期を迎えたとき「とても楽しかった、ありがとう」と言えるように、家族や友人、そして自分自身がこの世をしっかりと生き通せるように、楽しみながら過ごしていきたいです。

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