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人生初の長期入院…

一月の5日だったか、緩和ケアのソーシャルワーカーさんと医師が訪ねてきてくれました。

ここ数日、電話看護サービスに質問してた痛みや息切れの対処法が気になって、心臓周辺に溜まった水を抜いた方がいいと思う。いまから入院しましょう。

といってそのまま、お母さんとお姉さんのように荷造りを手伝ってくれて、入院。

救急車じゃなかったので待合で6時間待って、翌日心臓外科にあって、水を抜く処置をしてもらいました。

そのあと、3日目に退院したのだけど、なんと翌日明け方にギュッとうしろから肋骨上部を掴まれるような感覚で、トイレにいったのだけど、手を洗おうとした自分の手が見えず、蛇口の位置にも届かず、画面が虫食いのように暗くなって、次に後頭部をぶつける感覚。

1時間ぐらいシャワーで気絶してたみたいだけど、自分の感覚ではすぐに目を覚まし、なんとか寝室にはっていきました。

頭が床に強い磁石で貼り付けられたみたいにもちあがりません。

頭を床にひきずったままなんとかケータイのある寝室までズルズルとはっていきました。

我ながら、はたからみると呪怨かなにかでみた、関節技のできる役者がやってたユーレイみたいだろうなとおもいながら、ああ、床の埃を体で掃除してるわ、などというOCDな煩悩を振り払いつつ、取り敢えず生きられる力が残る限り限り頑張る、という決意のもと、ベッドに辿り着きます。


感覚から、頭蓋骨か首の骨がまずそうだと思った。1、2、3!と心で叫んだかは忘れたけど、あたまを片手でささえながらもう片手と足で一気に半分立ち上がり、ベッドに肩から落ち、ケータイにたどり着く!

ケータイで000をまわし救急をよんで、病院に後戻りしたのでした。

C2C3骨折。
6週間にわたるアスペンカラーの生活。

一人の公団は帰るのがこわかったのです。

病院のひとはそんな心情を聞いてくれて、凄い努力をしてくれたけど、FMCは救急病院で、5日以上の入院は基本対応しないらしいのです。

理由は政治問題にも発展してる病床不足です。


ランピングといって、救急車で運び込まれても救急処置室が空いてなくて何時間も待たされる患者が何十人も毎晩続き報道が繰り返されたのは記憶に新しい去年の政権交代までの話でした。

政権交代でマシになったようだけど、やはり日によっては数時間のランピングがあるようです。この件はまた別記事で。

とにかく、一度入院すれば医者や看護スタッフの技術は優秀で、見事に問題をかいけつしてくれるのですが、医薬品と医療機器をつかって対応できるすることがなくなると、この時点でだいたい痛みもなくなってなんとか生活できるレベルにもってこれて、あとは帰ってご自宅で療養くださいとなるらしいのです。

その後は外来や訪問医やケアホームなど、その人の状況にあったリハビリ対応になるようです。

そんな過酷な社会のなかで向こう水なアラフィフ元ホームレスの私は行く先がないだけでなく、そこから数日おきに倒れ続け、なんと1ヶ月も入退院を繰り返してしまったのです。

それでも、医療機関のマネジメントレベルは冷酷でしたが、現場の医師や看護師、社会福祉士さんたちの温情と、その皆んながわたしのために何本も電話したり書類を沢山書いたりしてくれて、この国の「正しいと思うことのためにはプロ意識をかけて矢折れ刀尽きるまで戦う」という諦めない姿勢に感動と感謝の日々でもありました。


それから、世界がぐれんと音を立てて変わるような出来事があり、2週間が経ち、またユニットに戻った翌日に痛みがひどくなり、緩和看護相談に電話→入院となってしまぃました。


というわけで、年明け早々ずーっと入退院でなにもアップできませんでした😭

と言うか、せっかく行き始めたTAFEという学校の準備もまったくできず…

入院て、安全で安心感があるけど、どんどん依存心がたかまって、何もする気がなくなって、衰退してゆく自分に飲み込まれるような感覚でした。

きょう、ふと、そうだ、noteのケータイアプリ落としてみよっかな、と思い至りました。

死にかけながら、もう働くのはマジで無理そうだけど、それでも、向こう水人生の果てには思いもよらなかった感動する出会いがたくさんありました。

私にしか伝えられない、ちょっといい話がすこしでもお伝えできればなと思います。



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