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「みんなで一つの聖霊を受けた日」

 プロテスタント教会では6月5日(日)にギリシア語で「50番目の」を意味する「ペンテコステ」の礼拝を行います。ペンテコステの礼拝はイエスが復活してから50日後に弟子たちの上に聖霊という目に見えない不思議な力が与えられて、弟子たちがイエスのこと、イエスが話した神や神の国などさまざまなことを宣べ伝えるために全世界に派遣されていったことを記念する時です。

 ここでは四街道教会のペンテコステ礼拝において語ったメッセージを公開します。聖書箇所は新約聖書の使徒言行録2章1〜11節です。

本文:

 ペンテコステの祭日を迎えました。ペンテコステの出来事が記された使徒言行録にはまず復活したイエスさまが40日間弟子たちと一緒に過ごし、みんなで一緒に食事をしていた時にイエスさまが弟子たちにこう言うのです。「エルサレムから離れずそこで神さまが約束されたものを待ちなさい。まもなくあなたたちは聖霊を受ける。」このことを話し終えるとイエスは天に昇り弟子たちの元からいなくなりました。

 この話のポイントはイエスがいなくなってからも弟子たちがエルサレムに留まり一緒にいたということです。ちょっと想像して欲しいんですが、ある人を中心に集まっていたグループからその中心人物がいなくなってしまったら普通はバラバラになっちゃいますよね。この人の話を聞きたい、教えを乞いたいと思っていたのにその人がいないのならもうここに留まる必要はない。別のところに行こうとなるのが普通です。しかし弟子たちはイエスがいなくなってからもエルサレムに留まり一つとなっていました。

 今回改めて聖書をじっくりと読む中で私が気付かされたことは「みんなで聖霊を受けた」ことです。この共通認識が大切です。みんなで聖霊を受けて、全世界へと派遣されていくのです。それぞれ違いはあるけれど神さまから一つの聖霊を受けたという点で一致しています。「みんな」の中に聖霊を受けていない人はいないのです。そのことの記念あるいは象徴として今日は礼拝後皆さんにマドレーヌが配られます。教会によっては聖霊のイメージが鳩で表されることがあるので鳩サブレを配る教会もあるそうです。目には見えないけれど一つの聖霊をみんなで神さまから受けたのだという感覚を共有したいと思います。

 これもしも弟子たちがエルサレムに留まらず、散り散りになってそれぞれの場所で聖霊を受けていたら、弟子たちは同じ聖霊、一つの聖霊を受けたという共有認識を持てずに「私が正しい、正統だ。あいつは間違っている、おかしい」という覇権争いが起きてバラバラになっていたと思うんですね。でもそうならなかったのはイエスさまの命令によってみんながエルサレムに残り、そこでみんな一緒に聖霊を受けたからです。

 先日3年ぶりに開催された東京教区の総会に出席してきました。この20年間東京教区では現住陪餐会員数も礼拝出席者数も受洗者数も教会学校出席者数もすべてが減少しています。20年前と比べるとざっくり半減しています。教団全体の統計でみますと20年前2000名前後の受洗者数だったのが、最新の2020年では743名、これはコロナ禍の影響も大きいかと思いますがそれでも2019年で938名と1000名を切る状況です。この20年間教団は、教会が社会的な活動ばかり力を入れてきたから伝道が疎かになり教勢が下がったのだと前政権を批判して政権交代し、伝道に力を入れるというスローガンのもとで社会的な活動の予算を削り「伝道」してきました。その結果がこれだという現実と向き合う時期が来ています。

 ここまで教勢が下がり教団の力が衰えた原因を私なりに考えてみますと、それは教団の分断、分裂に他ならないと思うのです。あの教会、あの牧師のやっていることや考えはおかしい、間違っていると言って正しさを振りかざし考えや意見の違いを認めないことが続いた20年間でした。いまなお教憲・教規と教団信仰告白を振りかざしての一致が声高に主張されています。でも改めて教会一つ一つに目を向けると、どこの教会も教憲・教規と教団信仰告白に従って主日礼拝を守り、役員会や教会総会等を行っています。どこに想定されている教憲・教規に違反した教会があるのでしょうか。

 教団という一つの合同教会の中にありながらも、みんなが神さまから約束された一つの聖霊を受けた集団であるという教会の大前提が見失われています。このような状況だからこそ私はペンテコステの出来事が教団に起こることを祈らざるを得ません。教区議長の報告にも「厳しい状況が続いていますが、………信徒、教師が祈りを1つにし、この時代にこそ『わたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる』神を信頼し、キリストの福音を宣べ伝えてまいりましょう。………私たち全ての者が1つとなって主イエス・キリストに仕え、主の栄光を顕すことができるようにと祈ります」と記されています。教区総会においても「私たちの教区の教会は教憲・教規と教団信仰告白によって一致している教会ではないか。このままでは本当にまずいから、考えや意見の違いを豊かさ、多様性と受け止めてやっていこうじゃないか。」との声が上がっていました。

 ペンテコステは弟子たちの上に同じ、一つの聖霊が降り、そこから全世界に福音が宣べ伝えられたことを記念する日です。パルティアやメディアなど様々な国の言葉で話すのを聞いたという5節以下の出来事は全世界に宣べ伝えられたことの象徴です。そのようにして福音が広まっていく前に大切なことは、宣べ伝える側が共に祈りみんなが一つの聖霊を受けたという感覚を共有することです。そのことを理解して互いを尊重し合うことが大切です。同じ教団の教会なのにあっちの教会とこっちの教会で言っていることが違うどころか互いの悪口を吹聴していたら、信用されるはずありませんよね。教勢が下がるのも当然です。

 私たちはそれぞれ洗礼を受けた時期・場所は異なりますが、同じ一つの聖霊を神さまから受けました。そのことを心に留めましょう。マドレーヌはその象徴です。またこの日私たちは日本基督教団のために祈りたいと思います。神さまによって建てられた日本基督教団というキリスト教会が長きにわたる分裂を乗り越えて祈りを一つにし、同じ聖霊を受けたという感覚を共有できますように。一致と和解、愛をもたらす聖霊なる神に祈りを捧げましょう。

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キリスト教会の礼拝で行われている説教と呼ばれる聖書をテキストにしたメッセージを公開しています。

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