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聖書の分かち合い:サムエル記上26〜27章

この記事では毎週水曜日に行われている聖書研究祈祷会から、聖書通読の際に用いたレジュメを公開します。


聖書通読:

サムエル記上26章〜27章

聖書本文は以下の日本聖書協会のページから読むことができます。

https://www.bible.or.jp/read/vers_search.html

サムエル記の前提


 ダビデ王朝下で書かれた書物である。つまりどういうことかといえばダビデ物語であり、ダビデ王朝礼賛の要素を持っている。一方で私たちは聖書が単純に著者の手によるものではなく、神の霊感を受けて書かれた書物であることも信じている。サムエル記を読むとダビデ王朝の保護・強化を目的とする意図を随所に感じるが、それだけでなく王朝礼賛を超えた真実や真理を私たちに示してくれる。バト・シェバ事件など。

並木浩一・奥泉光『旧約聖書がわかる本 <対話>でひもとくその世界』

 2022年にICUで教鞭と取られ、日本を代表する旧約聖書学者の一人、並木浩一先生が教え子であり芥川賞作家である奥泉光さんと旧約聖書について対話する本が出版された(並木浩一・奥泉光『旧約聖書がわかる本 <対話>でひもとくその世界』河出新書、2022年)。並木先生は知性の塊であり研究書、学術書は難しくて私もよく理解できない深みがあるが、この本は<対話>形式で記されているので並木先生がどのように聖書という書物を理解しているのかがよく分かる。この本を通して私たちも多くの示唆を受け取ることができる。以下に印象的な並木先生の言葉を引用する。興味のある方は本の貸し出しをするので読んでほしい。

「神話」は起源を語るんですよ。ことに生活を支配している制度の起源を。それから人間の運命の起源を語る。人間は「どのようにしてどうなったのか」ということに関心がある。神話はそのHowを語るのです。これが神話の語り方です。(26ページ)

王権イデオロギーが世界の必然性を説明しているからね。政治の現実とか、人間の運命とか。王権イデオロギーが、王の支配の必然性とか、人間の死ぬべき運命なんかを説明する神話を育てていく。それで個々の神話ができていく。その状況づくりを王権イデオロギーがやった。(34ページ)

並木浩一・奥泉光『旧約聖書がわかる本 <対話>でひもとくその世界』河出新書、2022年。

サムエル記には「神話」と呼んで良い物語が随所にある。その目的は国民に対して王権保護だと感じる。

「主が油注がれた方に手をかけ」てはいけない

 油を注がれた者(マーシーアッハ)。メシア。王や祭司、預言者などが任職される時に行う儀式。ヘブライ語の「メシア」はギリシア語では「キリスト」という語が当てられる。「キリスト」、「クリストス」、ニコライさんで有名な「ハリストス」正教会も同じ語の異なる読み方。ちなみに「イエス」はヘブライ語だと「イェホシュア」、聖書の表記では「ヨシュア」。ギリシア語だと「イエスース」でイエズス会の「イエズス」と読むところもある。英語だとジーザス。

追い詰められたサウルをダビデは小見出しの通り「寛大に扱う」。

 9節:ダビデはアビシャイに言った。「殺してはならない。主が油を注がれた方に手をかければ、罰を受けずには済まない。………主が油を注がれた方に、わたしが手をかけることを主は決してお許しにならない。」

問い:どうして?

 ダビデの尊さ、神に対する信仰と評価することもできるが、それだけでなくこれがダビデ王朝が確立された時代に書かれたと考えると理由が浮かび上がってくる。それはダビデ王朝保護のため。国民に対して暗に自分の暗殺を企てる者を神は許さないぞという牽制も含んでいるように思う。

「聞く」ことができるサウル

 聖書の神は私たち人間に「聞く」という姿勢を求めている。サウルは聞くことのできる人物であることが19節「わが主君、王よ。僕の言葉をお聞きください」というダビデの言葉を聞いて21節「サウルは言った。『わたしが誤っていた。わが子ダビデよ、帰って来なさい。………わたしは愚かであった。大きな過ちを犯した。』」と反省し態度を変える姿から読み取ることができる。

強かさを持つダビデ

 ダビデはサウルのことを受けとめつつも、サウルのことを完全には信頼しない。27章1節以下にはダビデがサウルを信頼せず、ペリシテの地に逃れる様子が描かれる。ダビデの読み通り、ガトに逃げたダビデをサウルは2度と追跡しなかった。

適切な距離感は大事

 このことから思うのは、人間関係は適切な距離感が大事ということである。私ごとだが数年前に家庭菜園をやってみた。その際に本を読み「コンパニオン・プランツ」という言葉を知った。植物の中にトマトとバジルのように近くに植えると相性の良い植物があり、逆に相性の悪い植物があるというのだ(乾いた土壌を好む植物と湿った土壌を好む植物の組み合わせなど)。私たちは神が天地万物を創造したことを信じている。神に創造された植物に相性があるように私たち人間にも相性が存在する。「みんな仲良く」なんてきれいごとで実際にはみんなが平和に暮らせるように相性の悪い人とは適切な距離感で過ごす必要があるように思う。

ブルーハーツの甲本ヒロトさんの名言

ブルーハーツの甲本ヒロトさんもこれに通じることを言っていたとしてSNSで話題になった。調べてみたものの出典が分からなかったが…

 王さまであったサウルにとってダビデが近くにいると嫉妬の対象だった。自分より容姿も優れていて周りから慕われていて能力もある。そんな存在が近くにいると落ち着かない。平和でいられない。だから殺そうと考えてしまう。そのことを察したダビデはサウルの改心の言葉を受けとめつつも距離を置くという選択肢を選ぶ。私たちの人間関係にも必要なことで、特にSNSは注意が必要だと思う。

以上、サムエル記上26〜27章を通して私が思ったこと、受け取ったことでした。いいね&フォローよろしくお願いします^^

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