新卒で入るべき会社とは

新卒採用の現場で働く者として、タイトルにある「新卒で入るべき会社」について考えてみたい。

今、学生と会っていると「ワークライフバランスが整っている会社に入りたい」だとか「働きやすい会社に入りたい」だとかいう言葉が聞こえてくる。これはある面では大いに結構である。会社はそのような働きやすい環境を整えるべきであるし、実際に整えつつある。そもそも会社はその環境を売りにもしている。そして環境を整えていない会社はこの先働き手がいなくなって自然淘汰されるだろう。でも、これから働こうとしている学生には、この「働きやすい環境」を第一の理由にはして欲しくないと強く思う。

藤原和博氏は著書『100万人に1人の存在になる方法』の中で、「ファーストキャリアは事故でいい。ただし、5年目までに思いっきりバッターボックスに立たせてくれる会社を選べ」と述べている。最初の仕事を1万時間本気で取り組めば100人に1人の存在になることができ、それをあと2回やれば100の3乗で100万人に1人の存在になっている。この100万人に1人という数字はオリンピックのメダリストレベルの希少性といえる。だから逆に5年くらいの間に(=1万時間やる間に)「つらい、ヤバい、何かおかしい」と思わない仕事からはすぐに足を洗えと。

僕は藤原さんが述べていることには100%賛成で、心の底からその通りだと思う。ただ、それはある程度働いたことのある人への言葉であり、叱咤である。結果論的な意味合いも強い。藤原さんの言葉を今から就職活動をする学生に対してのエールと捉えるとやや冷たい。というか足りない。そんな気がしたので、僭越ながら僕が藤原さんの言葉を就活生への回答に転換したいと思う。したがってこれから先は悩める学生へのエールと思って読んでほしい。

かくいう僕もファーストキャリアは感覚で決めた。僕の最初の仕事は、たまたましっかりチャンスを与えてくれたし、しっかり「つらい」と思わせてもくれた。僕は文系出身にもかかわらず、初任配属として周りは全て理系というエンジニアの部署に配属された。文系は僕ともう1人配属された同期のみ。入社前には聞いていなかった職種だったのでいきなりギャップを食らった。学生がよく聞く「入社前後で感じたギャップはありませんでしたか?」というアレだ。ただ、そのような「そのままの自分」で太刀打ちいく世界ではなかったが故に、学ぶ姿勢や自分なりの仕事へのこだわりといった今の自分を構成するベースを築くことができたように思う。スキル的な意味で今の人事の仕事に生きているかは分からないが、少なくとも広く人間力を高めることができたと思う。

企業のあり方や組織のあり方はここ5年くらいで本当に大きく変わった。会社(特に大企業)は頑張って「社員が仕事のことばかりを考えなくてよい環境」を整えてきた。働き方改革というやつである。残業は減り、パワハラ職場にはメスが入った。社員を働かせる管理職の意識も徐々に変わってきている。でも、これは違う見方をすれば、会社が「社員がバッターボックスに立たなくても良い状態」を必死に整えているということだ。若い世代のメンタルヘルスや早期離職も大きな問題の一つになっているため、新入社員に対しても手厚いお節介を提供している。このおかげで僕も含めた若い世代はかなり自分のペースで働けるようになったが、これが実はまずい状態であることを認識した方が良い。バッターボックスに立ちたくとも立たせてもらえないのである。

就職活動では、日頃会うことのできない活躍社員と座談会や個別面談で直接話をできる機会が多い。だが彼らは、若い内から「思いっきりバッターボックスに立った」世代なのである。いや、そんな楽しげで綺麗な話ではない。組織と個人の関係が歪んでいたがために、有無を言わさず立たされた世代と言った方が正しそうだ。本人がなりたくなくても、キツい環境が個人を活躍社員にまで引っ張り上げてくれたのである。したがって、今の働きやすい働き方を提供してくれる会社に入っても、実はその道は“そのままでは”彼ら活躍社員には繋がっていない。その道はむしろ、会社に自分の命運を委ねているぶら下がり社員に繋がっているだけである。厳しい言い方になるが、これは厳然たる事実である。

ただ、これは絶望的な話ではない。むしろ逆。

確かに会社は「社員がバッターボックスに入らなくても良い環境」を整えてきたが、「バッターボックスに誰も立たなくて良い」とは考えていない。今まで誰にでも立たせていたバッターボックスに、手堅い人(=結果を出してきた人、できる人)や人の代わりになるもの(=ロボットやAI)を優先的に立たせようとしているだけだ。そう、実は打席数は変わっていないのである。したがって「無理に立たせない」だけであって、「立てる人の登場」はいつでもウェルカムなのである。これは見方を変えると、個人にとって今が最大のチャンスということだ。「バッターボックスに立ちたい!」という意思表示が会社に伝わるようになってきたということである。だがこのためには、自ら努力することが必須である。それがこれまでとの最大の違いだ。会社が優先的に立たせようとしている人やモノより、自分が立つにふさわしい存在であるということを必死にアピールしなければならない。でも、もちろん彼ら活躍社員と比べて若い人が結果を残す確率は低い。実力も足りない。でも、だからと言ってバッターボックスに立てないわけではない。それが「経験を積ませる」ということだ。人の育て方がわかっている企業は、これから先むしろ若い世代に優先的にバッターボックスを任せるようになっていく。「立ちたい!」という意思と弛まぬ努力によって、「こいつに経験を積ませたい」と思わせるかどうかが肝である。

新卒で入るべき会社は「バッターボックスに立たせてくれる会社」であることは間違いないが、それよりもむしろ、「バッターボックスに立ちたい!という思いがある社員にチャンスを与えてくれる会社」という方が正しいと思う。

自ら動き出さなければ、何者にもなれない。一方で、自ら動き出せば、何者にでもなれるチャンスが与えられる。それがこの時代だ。幸か不幸か僕もあなたもこの時代に生まれ、この時代を生きなければならない。どうせなら自分の意思と二本の脚で立って、自分を組織に対して貫き通せるような生き方をしていきませんか?

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