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私はライター、文章が苦手です。

自分は現在、Web ライターをしているのですが、小さいころから言葉をつづるのが苦手でした。
厳密には、頭の中に浮かんだものや自分の気持ちを瞬時に言語化できず、口から発するのに長い時間がかかるのです。

自分の考えを表現しようとすると、頭の中の薬棚がパタンパタンと閉じていきます。
ちょうどいい言葉を見つけるには、この引き出しを一つひとつ開いて、自分が持っている語彙を確認する作業が毎回必要になります。

急な質問をされると、この薬棚を開く作業に追われ、質問者を目の前にフリーズすることもしばしば。
これにより、人とのコミュニケーションも不得手でした。


これは文章を書くときにも当てはまります。書き進めるのに、ものすごく時間がかかるのです。

どれくらい時間がかかるかというと、小学生の作文の授業では、その時間内に完了することは一度としてありませんでした。
授業内でできなければ、もちろん宿題になります。
学年と名前だけ書かれた作文用紙を持って帰り、家でにらみ合うのが毎度のこと。
そして夜の8時ごろ、やっと始めの一文を書き出すことができるくらいの遅さだったのです。

今では多少マシになったものの、それでも恐らく日本人の平均よりは文章の作成時間が長いような気がします。
人の話を聞くと、もう少しスムーズに記事を書き上げているみたいなので。


そんな自分がなぜ Web ライターをやっているのか。
それは、文章への苦手意識を克服する出来事があったからです。

中学生のころ。
夏休みに作文の宿題が出されました。すでに休みの終盤になり、作文が嫌いな自分はげんなりしながら、いざ取り組もうと鉛筆を取りました。

時間がたてど何を書いていいかもわからず、ひたすら悩む中学生。しかし時間がありません。追い詰められた自分は、この際「作文が嫌い、書きたくない」という愚痴をしたためてやろうと決心しました。

作文には「現在作文を書いているところだ」というメタ要素を盛り込み、なんでこんなこと(作文の執筆)をしなくてはならないのか、といった内容を、やけくそのギャグを交えながら書き進めていきます。
そのままだと締まらないので、後半は「作文が宿題として出される教育論的理由」を思いつくまま適当に並べて文章を閉じました。

提出したその作文は、なんと、学級代表に選ばれてしまいました。自分は同学年の生徒全員の前で発表することになったのです。

結果、教育論は国語の先生にウケたようで評価され、ギャグは学年全員の前でスベり倒しました。


発表会の是非はともかく、自分が代表に選ばれるほどの文章が書けるという事実は、この先の自信となったのです。
言葉への苦手意識はすこしやわらぎ、作文に時間がかかるのは変わらないものの、文章を書くこと自体はそれほど苦痛を伴わなくなりました。

どんなに苦手なものでも、認められる機会があると意識が変わる。意識が変わると作業が平気になり、量をこなしていくうちに得意に変わっていくのだ、ということを身をもって理解できたひと夏の体験でした。

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